第82話 魔石安定化装置
☆
屋敷の屋根を飛び越え、裏の庭園を飛び越すと、オウルアイズの本工房はすぐ目の前だ。
「さて。どこにいるのかしら?」
空中から広い工房エリアを見下ろして、逡巡する私。
私に「ぜひ工房に来てくれ」と伝言を残したゴドウィン工房長。
彼がいるとすれば、本館の自分の書斎か現場だろう。
「…………」
お師匠さまのことだ。
書類仕事がなければ、まず現場だろう。
「きっと、試作工房ね」
私が当たりをつけてそこに向かおうとした時、後ろから恨めしそうな声が聞こえた。
「お嬢さまぁ、待ってくださいよぅ」
私が振り返るとそこには、手に持っていた旅行鞄を他の使用人に押しつけて慌てて私を追って来たであろう侍女が、情けない顔をして浮かんでいた。
「ごめん、アンナ。ちょっと気がはやっちゃって」
手を合わせて謝る私。
そんな私を見て、彼女は小さく、ふう、と息を漏らした。
「お嬢さまが荷ほどきを後回しにしてまで駆けつける『何か』があるのですよね? お気持ちは分かりますから、せめて十秒待ってくださいな。いきなり飛び出されたら、私も焦っちゃいますよぅ」
ぷぅ、と頬を膨らませる私の侍女。
確かに。
一応、彼女は私の護衛でもあるのだ。
せめて彼女を連れて飛び出すべきだった。
アンナの手をとる私。
「ごめんね。次から気をつけるから」
「本当、約束ですよ?」
アンナは口を尖らせながらもどこか嬉しそうな顔をすると、私の手を両手で握り返したのだった。
☆
「お師匠さま! ひょっとして完成したのですか?!」
試作工房に入り、私が声をかけると、試験室の中央に置かれた装置をいじっていたゴドウィン工房長が、ギロリとこちらを振り返った。
「ちょうどいいところに戻って来たな。これから動作テストだ。まあ、見てみろ」
そう言って、手に持っていた何かを私に差し出す師匠。
私はそれを受け取り、窓から入ってくる光に晒した。
半透明のその石は、濁った赤い光を湛えている。
「……安定化前の中型魔石ですね」
「そうだ。これからそいつの処理にトライする。––––嬢ちゃんが設計したこいつでな」
そう言ってお師匠さまは、部屋の真ん中に設置され配管が繋がったバレーボール大の球形の容器を、ポンポンと叩いて見せた。
尚、ボール型の容器は四本の支柱で地面に固定され、中央部のみ真下に向かって軸が出て、土台に繋がっている、という状態だ。
「それが、出来上がった装置ですか」
私はその金属製の球形容器に近寄り、そっと触れる。
そう。
これはグラシメントへの出発前、私がお師匠さまと相談しながら設計した魔導具。––––いや、魔導装置と呼んだ方が良いだろうか。
『魔石安定化装置』。
機能はその名の通り。
これまで人の手で一個一個丁寧に行っていた魔石の安定化作業を、自動で機械的に行うことができる。
それだけ聞くと大したことないことのように思えるけれど、これは我がエインズワースにとっては、長年夢に見てきた待望の発明だったりする。
なんと言ってもこの装置が完成すれば、これまでうちが時間と労力をかけていた安定化魔石の大量生産が可能になる。
魔石の値崩れや過当競争を防ぐためにそこまで安く売るつもりはないけれど、これまでこの作業をやってもらっていた熟練の職人たちを、設計や試作にまわせるようになるのは、非常に大きい。
現状維持ではなく、未来を切り拓く『開発』に人をまわせるようになる。
魔導ライフル部品の治具設計と製作の作業も加速させることができるだろう。
またこの装置には、次に私が作らなければならない装置に必要な新技術を、二つほど盛り込んでいる。
大げさでもなんでもなく、私にとっての『未来への扉』なのだ。
装置の構想は、それこそ二百年前、初代イーサン・エインズワースの時代からあった。
アイデアが形にならず開発が進展しなかったのは、魔石に対する理解がまだまだ不十分であり、当時の技術が未成熟だったためだ。
しかし五十年前、その停滞に突破口を見つけた人がいる。
誰あろう、私の曽祖父にして我が家門を破産の淵に導いた、魔力コントロールの天才、ヨアヒム・エインズワースだ。
彼は職人の経験と勘に頼っていた魔石安定化の技術を、「魔石内部に偏在している魔力の均一化と波長の固定化である」と喝破した。
その研究の結実が、今私の首にかかっている『スティルレイクの雫』。
この魔石は、当時の王から王妃への愛の証であり、同時に我がエインズワース三百年の魔石研究の頂点なのだ。
曽祖父は、この装置の開発にあと数歩のところまで迫りながら、財政問題によって諦めざるを得なかった。
実家の書庫に遺された彼の日記には、装置の構想と、それを実現できなかったことへの無念が綴られていた。
私にとってこの魔石安定化装置の開発は、未来への扉であると同時に、曽祖父さまの夢のリベンジでもある。
☆
「昨日の動作テストでは、小型魔石を使ったんだが––––どうして、なかなか悪くないものができた。そいつは今、測定室で分析中だ」
「魔力分析機で?」
「そうだ」
本工房の測定室には、王都工房同様、最近私が魔力探知機を元に開発した『魔力分析機』が置いてある。
検体の魔力量、魔力圧、魔力波長が測定可能なのだけど、安定化した魔石のそれを正確に測定するには、一工夫必要なはずだ。
「測定には時間がかかるでしょうから、処理した検体をすぐに見たければ、この中型魔石の処理が成功するのを祈るほかない、ということですね」
そう言って魔石を返す私。
師匠はそれを受け取ると、にやりと笑った。
「なに、なるようにしかならんわ」
そう言って球形容器の上蓋を開け、魔石を内部の受け治具に据えつけたのだった。
「始めるぞ」
短くそう言って、傍らの筒状のタンクから出ている大きなレバーに手をかけるお師匠さま。
「お願いします」
私が頷くと、彼はガタン、とレバーを引く。
––––ゴポッ ゴポゴポゴポッ
レバーによってピストンが上から押し下げられ、シリンダーの下部から出ているパイプの中を何かが流れる。
その何かが流れ込む先は、二重構造になっている球状容器の外側の隙間。
実は中を流れているのは、焼結したスライム樹脂を再加熱して溶かし、再び液状化したスライム粘液だ。
スライム樹脂は言うまでもなく魔導基板の材料なのだけど、今回は液体に戻して魔力絶縁体として使用する。
「次だ」
スライム粘液で容器を満たしたゴドウィン工房長は、今度は傍らの机の上に置かれた箱のレバースイッチを捻る。
––––ブン ゴウンゴウンゴウンゴウン
今度は球状容器の下部から出ている軸の周りに魔法陣が浮かび、軸が回転を始める。
この軸は土台の部分をベアリングで保持され、その先端は、先ほど師匠が魔石を置いた治具に繋がっている。
つまり今、球状容器の内側では、魔石が陳列台に置かれた宝石のごとく、水平方向にグルグル回っている訳だ。
「仕上げだ。誘導魔力を流す。––––せっかくのトライだ。設計者のお嬢がやんな」
「はいっ。ありがとうございます!」
最後のスイッチを譲ってくれたお師匠さま。
私は机の上のスイッチボックスのところまで歩いて行き、盤上に配された二つ目のレバーに手をかけると、深呼吸し、ガチャリとそれを捻った。
––––パァッ
次の瞬間、球形容器に上下から繋がる魔導金属線に魔力が流れ、容器の隙間から帯状の青い光が放たれた。