第79話 エインズワース伯爵領にて ②
今後の予定が決まり、そろそろお開き、ということになった時、ソフィアがミオダイン子爵に話しかけた。
「申し訳ありません、子爵。詳しいことは明日お伺いしますが、一点だけ教えて頂きたいのですが」
「なんでしょう?」
すでに立ち上がっていた子爵は、ソフィアを振り返り、首を傾げた。
「本領の予算ですが、かなりの金額を魔物討伐に充てられていました。これは、それだけ魔物の被害が多い、ということでしょうか?」
私の金庫番の質問に、頷く子爵。
「その通りです。本領は平地やなだらかな丘陵が多く、ご存知の通り広大な農地と放牧地を抱えています。が、逆に言えばそれは『魔物もエサに事欠かない』ということです。我が国の食料庫は、同時にゴブリンやオークどもの絶好のエサ場でもある訳です」
「エサ場ですか」
ソフィアが眉を顰める。
「各村に隣接する森には毎年春に討伐隊を入れており、幸い魔物が集落の中まで押し入ってくることはそれほど多くはありません。ですがそれでも日常的な家畜や農作物の被害は相当なものですし、稀に発生する人的被害の人心への影響は、計り知れないものがあります」
「––––なるほど。理解致しました」
納得したらしいソフィアが頷いたところで、傍らで話を聞いていたお父さまが口を開いた。
「グラシメントの魔物討伐には、オウルアイズ騎士団も毎回参加している。一ヶ月ほどかけて各村をまわり、隣接する森のゴブリンやオークの集落を潰してまわるのだが、どんなに潰しても一年後には元通りになっているのだ。奴らの繁殖力には本当に舌を巻く」
顔を顰める父に、私は言った。
「だからと言って、私の民が傷つくのを甘んじて見ている訳にはいきません。––––何か、手を打たなければなりませんね」
「そうだな。それでこそ私たちの娘だ」
そう言って、私の肩をぽんぽんと叩く父。
「お父さま。今度、魔物についてくわしく教えて下さい」
「もちろんだとも!」
頼られたのがよほど嬉しかったのか、お父さまは上機嫌で即答したのだった。
☆
翌日。
私たちはミオダイン子爵の案内でプリグラシムの街を視察することになった。
馬車で街の中央広場まで出て見学。
その後、街の東、南、西と馬車でまわる。
そんなプランだ。
広場で馬車を降りた私は、ちょっとだけ驚いた。
「結構大きな市場が立っているのね。昨日はなかったように思うのだけど」
そう。
中央広場には、ざっと数えて四十を超える出店が軒を連ね、野菜や果物、肉、チーズ、パン、それに金物や衣類などを店先に並べていた。
道ゆく人々はそれらの店主とやりとりしながら、賑やかに買い物をしている。
昨日私たちが馬車でここを通過した時には、見られなかった光景だ。
そんな私の疑問に、子爵が答えてくれた。
「マーケットが立つのは、週に二日です。食料品などは農村から直接新鮮なものを売りに来ていることもあって、街の住人の台所となっているのですよ」
「ひょっとして、他領から買いに来る人も?」
「いえ、さすがに領地間取引の場合は、専門の卸業者が間に入ります。そういった商会の多くは街の東側、つまり王都側に店を構えていて、外の商会と盛んに取引していますね。街の東側が商業区、西側が住宅地、南側が倉庫街と覚えておけば、大体間違いありません」
なるほど。
ちなみに街の北側にはお役所や裁判所、兵士の屯所などの公的な建物や土地が集まっている。
今回私たちが滞在し、これから私の家となる統治官の屋敷もその北のエリアにあった。
「あの、ところで工房街はどのあたりにあるのですか?」
私にとって一番気になる質問。
実は、私が下賜されたこのエインズワース領に、エインズワースの工房はない。
現在ない以上、うちが新たに工房を開けば、既存の工房の経営を圧迫してしまうだろう。
私は新たにやって来たよそ者の領主だ。
住民感情を考えれば、既存業者を圧迫して恨みを買ったり、悪評を立てられるのは避けたい。
とはいえ、この街である程度の時間を過ごすことになる以上、気軽に頼み事ができる工房がないのも困るのだ。
今後私は、エインズワース領、オウルアイズ旧領、王都と、三つの拠点を行き来することになる。
旧領と王都、二つの工房の役割をそれぞれどうするかはまだ考え中だし、お父さまとも相談しなければならない。
それに加えて、この街での魔導具の開発環境をどうするかを考えなければならないのだけど、うち直営の工房がない以上、地元の工房とは良好な関係を築いておきたかった。
そんなわけで、興味津々で尋ねた私。
けれどミオダイン子爵から返ってきたのは、何やら困ったような反応だった。
「工房街ですか……」
うーん、と唸る子爵。
その反応に不安になる私。
「なにか問題でも?」
「いえ、問題はないのですが……その、閣下が関心をお持ちなのは魔導具工房ですよね?」
「ええと––––はい。主にはそうですね」
意図を見抜かれてしまった私は、気恥ずかしさに引き攣り笑いをする。
すると子爵は、申し訳なさそうにとんでもないことを口にした。
「実はこの街には、魔導具を扱う工房がないのです」
「……はい?」
思わず聞き返す私。
「この街にある工房は、日用品や農器具を扱う普通の鍛冶屋と木工店が数軒あるだけで、魔導具を扱える工房は一軒もないのです」
「で、でも、領内の兵士たちや冒険者が使う魔導武具にもメンテナンスは必要ですよね。それらはどうされているんですか?」
「兵士の魔導武具は国からの支給品ですので、壊れたら新品と交換して王都に送り返しますし、本領は王家の直轄領でしたから、治安を冒険者に頼るということは、基本的にしてこなかったのです」
「……なんてこと」
私は茫然として立ち尽くした。
「つまり、ゼロから工房を立ち上げなきゃいけないってこと?!」