第75話 名もなき魔剣とテディベア
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「むぅ……」
検査台に置かれた魔石を拡大鏡で観察していた師匠は、うなり声をあげていた。
今のエインズワース工房で、おそらく一番知識と経験があるだろうゴドウィン工房長。
ひょっとして彼なら、この魔石の不思議な現象について何か知っているのでは? と思ったのだけど……。
やはり無茶振りだっただろうか?
師匠は拡大鏡から目を離すと、ふぅ、と息を吐き、こちらを振り返った。
「こんな魔石は初めて見るな」
「やっぱり、前例はありませんか?」
「ああ。儂が知る限り、ない」
「そうですか……」
師匠の言葉に、肩を落とす私。
師匠はそんな私を見て、視線を図面が収められた棚の方に向ける。
「なあ、嬢ちゃんよ」
「なんです?」
「あんたさっき、『回路なしで魔法が発動した』って言ったな?」
「はい。私が作ったある魔法の回路基板を取り外して、魔石と整合回路と魔導器だけの状態で発動句を唱えてみたんです。そうしたら、なぜか普通に発動してしまいました」
私の言葉に、イスの肘掛けを、とん、とん、と指で叩きながら考え込むお師匠さま。
「…………うむ」
やがて彼はおもむろに立ち上がり、部屋の隅のキャビネットの方に歩いて行った。
「…………」
キャビネットの本立てに並んだ何十冊もの手帳を睨み、その中からとても古い数冊をごそっと抜き取り、一冊ずつページを繰り始める。
しばらくそうやって目当てのページを探していた彼は、やがてあるページで手を止めた。
「……これだな」
「?」
首を傾げる私を、じろりと見るゴドウィン工房長。
「実は、儂がまだ見習いだった頃、先々代様から不思議な話を聞いたことがある」
「先々代というと、ヨアヒムさまですか?」
「そうだ」
例の、魔導コンロなんかを開発した私の曽祖父さまだ。
「どんな話です?」
「『回路が壊れてしまった魔導具で、魔法が発動することがあると思うか?』と。先々代様は、儂にそう訊かれたのだ」
「えっ……?」
回路が壊れてしまった魔導具。
それは考えようによっては、基板を取り去った状態のココとメルに近いかもしれない。
「話のきっかけは、儂が先々代様に『なぜエインズワースは魔石の安定化にここまで手間ひまをかけるのか。競合の工房はそこまでやっていないではないか』と噛みついたことだった。––––まあ、若気の至りだな」
そう言って、遠い目で窓の外を眺めるゴドウィン工房長。
「そんな儂に、ヨアヒム様はある『魔剣』の話をされた」
「魔剣、ですか?」
「ああ。魔剣だ」
その言葉に、眉を顰める私。
魔導剣や魔法剣なら分かる。
魔導剣は、魔石をエネルギー源として魔導回路を起動し、剣のリーチと威力を倍増させる魔導具。
魔法剣は同様に、魔導回路によって攻撃魔法を発現させる魔導具だ。
だけど師匠は今、『魔剣』と言った。
魔剣というと、魔導具ではなく『おとぎ話に出てくる不思議な剣』のイメージなのだけど……。
怪訝な顔をする私に、お師匠さまはこんな質問をした。
「嬢ちゃんは『北の谷の暴れ竜』の話を知ってるか?」
「もちろんです。百年ほど前に北の山脈に現れ、王国北部の街や村を荒らしてまわった赤竜のことですよね。第二騎士団と北部領地の連合騎士団で討伐を行い––––最期は、ご先祖さまが命と引き換えにとどめを刺したと聞きました」
赤竜は、口から火炎を吐く中型竜だ。
小型竜の飛竜より体躯が大きく強靭だが、吐き出す火炎の射程距離は短い。
その代わり威力は絶大で、その炎は大岩をも溶かすという。
遠距離から爆裂火球を投射してくる飛竜に比べれば動きは読みやすいけれど、魔法防御なしに射程圏内で生き残るのはほぼ不可能。
討伐するには、大規模な戦力を編成し、何層もの魔法防御と氷雪系の魔法と魔法剣でごり押しするしかないという、大変な魔物だ。
私の言葉に、お師匠さまが頷いた。
「そうだ。その時の当主がヨアヒム様の祖父様でな。一緒に討伐に参加した騎士の生き残りから、不思議な話を聞いたというのだ」
「どんな話です?」
「赤竜を追って北の谷に赴いた連合騎士団は、谷奥の崖っぷちでドラゴンと対峙した。敵は執拗に火炎をまき散らし、騎士団は半壊。当主が振るっていた『氷結』の魔法剣も熱で変形し、魔導回路もズタズタになったそうだ」
「『氷結』の魔法剣というと––––」
「当時、対赤竜用にエインズワースが開発した魔法剣だな。剣先が触れた瞬間に『氷結』の魔法が発動して対象が凍る。リーチが短い上に一回使えば魔石の魔力がなくなるから赤竜用にしか使えず廃れたが、当主は自分の大魔力をこめて何十回と赤竜に斬りかかって行ったそうだ」
「それでも、なかなか倒せなかったのですね」
お師匠さまは頷くと、話を戻した。
「騎士団が総崩れになる中で、追い討ちをかけようと口を開けた赤竜に、当主は壊れた魔法剣を掴んで真正面から斬りかかった。––––そして、そこであり得ないことが起こった」
「まさか––––?」
「そうだ。当主が赤竜の鼻面を打った瞬間、壊れた魔法剣に埋め込まれた魔石が輝き、特大の『氷結』の魔法が発動。その魔法は赤竜と当主をまとめて凍らせ、竜は谷底に落下していったそうだ」
お師匠さまはそこまで話すと、水差しの水をコップに入れて口をつけ、窓の外を見た。
「先々代さまが仰っていた。『私は、その《奇跡》は魔石が『進化した』ことによるものだったのではないかと考えている。安定化した魔石に繰り返し大量の魔力が注がれることで、魔石に魔導回路が転写されたのではないかと思うのだ。実際、そうして使いこまれた魔法剣や魔導剣は、通常のそれに比べわずかに魔法の発動が早く、出力が向上している。もし私の考えが正しければ、我々はより効率的に魔力が使えるようになり、魔導具は今以上に普及するようになるだろう。だからエインズワースは、私は、魔石の安定化にこだわるのだ』とな」
ヨアヒムさまが乗り移ったのでは、と思われる師匠の言葉に、私は圧倒された。
「そうして先々代様は魔石の研究を進めようとされた訳だが…………お嬢ちゃんも知ってるように、その後まもなく財政が傾いて、研究どころじゃなくなった」
ため息を吐く工房長。
私はあらためて、胸のペンダント……『スティルレイクの雫』を手に取り、眺めた。
大量の魔力の重みと、波のない水面のような静けさ。
この魔石は、曽祖父ヨアヒムさまの信念の証し。
そして、ココとメルの『進化』の道しるべなのかもしれない。
「お師匠さま」
「なんだ?」
「魔導ライフルの量産準備で忙しいのは重々承知しておりますが、ちょっとお願いしたいことがありまして……」
笑顔の私に、「うっ」と顔を歪めるゴドウィン工房長。
「その悪い笑顔はやめろ。先々代様が無茶振りしようとしてきた時そっくりだ」
「それは光栄ですね。それに、今回の『お願い』にぴったりです」
「何がぴったりなんだ?」
怪訝そうに私を見る師匠。
私はその目を見返し、宣言した。
「曽祖父さまの遺志を––––魔石の研究を、私が引き継ぎます。ですから、ちょっとだけ、全面的に協力して下さいね!」
その瞬間、お師匠さまは天を仰いだ。
さて。
いよいよ本作書籍1巻の発売日が、明後日6/15(木)に迫って参りました。
先日一二三書房様のページで、特典SSの配布店舗が発表されましたので、ご興味のある方はご参照下さい。
https://www.hifumi.co.jp/lineup/9784891999810/
内容はアンナとレティの記念日にまつわるお話で、2400字と一般的なSSよりやや豪華な小冊子として頂いております。
私的にも満足度の高い良いお話が書けましたので、ぜひご一読下さい。
ところで、現時点でまだ私の手元に見本誌が届いておりません。
早よ……。
早よ儂にもレティたちのイラストの現物を見せてたもれ。
なるほど。分かった。
これは著者にも本を買わせようという誰かの陰謀に違いない。
まあ、買うんですけどね。
小冊子欲しいから!
もう有給も申請して、電気街行く準備も万全ですよ!?(白目)
という訳で、引き続き本作をよろしくお願い致します。









