第73話 奇跡のふる夜
☆
紙吹雪が舞っていた。
領都オウルフォレストの街を貫くメインストリート。
その両側に多くの人々が立ち、歓声とともに二種類の旗を振っている。
一つは、フクロウと蔦をあしらったオウルアイズ侯爵家の旗。
もう一つは、二体のテディベアが描かれたエインズワース伯爵家の旗だ。
「レティシアさまーーっ!!」
「お嬢様ーーっっ!!!!」
「こっち向いてぇえええ!!」
私が慌てて笑顔をつくって窓越しに手を振ると、
「きゃあああああああああああっ!!!!」
「うぉおおおおおおおおおおおっ!!!!」
すさまじい反応が返ってきた。
王都での叙爵式を上回るのではないかというその情熱的な反応に、少しばかりどん引きしながら、私は手を振り続ける。
「ね、ねえ、アンナ? 私って、領内でこんなに人気あったっけ?」
笑顔を引き攣らせながら手を振る私に、私の侍女は、
「元々お嬢さまは、真面目で飾らない性格と愛らしさで街の人たちから好かれていましたよ? 皆からすれば、『孫娘が外国で大活躍して帰ってきた』感覚なんじゃないですかね」
そんなことを言って、ふふっ、と笑う。
「ああ、なるほどっ」
海外の大会で活躍して帰って来たスポーツ選手が、地元の商店街でパレードするような感じかしら?
それならまあ、分からなくはないけれども。
「それにしても、これじゃあまるでお祭りね。よくこの短期間で準備したものだわ」
道端のあちこちに露店が出て、人々は笑顔で旗を振っている。
私たちが本領に帰る旅程が決まったのは一週間前だから、街の皆はわずか四日ほどでこれだけの準備を整えたことになる。
「どうも、凱旋パレードの準備自体は、一ヶ月以上前から進めていたみたいですよ」
「そんなに前から?!」
目を丸くする私に、アンナが笑顔で頷く。
「はい。オウルアイズのお屋敷からの手紙に、そんな風に書いてありましたから」
「どうりで……」
私は皆に向けて手を振りながら、再び苦笑いしたのだった。
◇
その日の晩。
長旅とパレードの疲れでふらふらになっていたレティシアは、夕食後早々にベッドに入り、夢の世界へと旅立っていた。
熟睡する彼女の傍らには、二体のテディベア。
レティお手製のミニチュアソファに座ったココとメルは、優しげな瞳で彼らの主を見守っていた。
夜が更ける。
あちこちで光を灯していた魔導灯が一つ、また一つと消え、騒がしかった屋敷がしだいに静寂に包まれてゆく。
そうして殆どの光が消えた頃。
レティの部屋で、異変が起こった。
静かに主を見守っていたココが、ぼうっと青白く光り始めたのだ。
その光はやがて粒子となって隣のメルを取り巻き、今度はメルも青く光り始める。
二体がまとった光の群れは、やがて彼らの主のもとへ。
柔らかな青い光が、レティ、ココ、メルの三人を包み、柔らかな輝きを増す。
それは幻想的な光景だった。
誰かがそれを見たならば、彼女のことを本物の天使、あるいは女神だと思っただろう。
だがそれは誰にも見られぬまま、レティ本人すら気づくことのないまま、始まり、そして終わった。
どれほど時間が経ったのか。
青い光はしだいにその光量を減じ、やがて細かな粒子となって霧散したのだった。
☆
夢を見ていた。
懐かしい夢を。
それは、幼い頃の––––大好きだった母と過ごした日々の記憶であり、ココとメルが初めてうちに来た日の記憶だった。
アンナとの出会いの記憶であり、テオとの再会の記憶であり、父や兄たちとの絆を確認した日々の記憶だった。
夢の中の思い出は、さらに遡る。
それは日本で生まれ過ごした日々の記憶であり、優しい両親と少しばかりエキセントリックな兄と暮らした日々の記憶だった。
ココとメルと再会した日の記憶であり、二人と共にロボット工学を志し、邁進した日々の記憶だった。
そうして私は夢の中で、いくつもの場所と時間を巡り、懐かしい日々を繰り返した。
そして、最後。
長い旅の終わりにたどり着いたのは、王都の研究室だった。
作業机の上に立つ、二体のテディベア。
ココが私に言った。
「なあ、レティ。一度俺たちのことを診てくれないか?」
その言葉に、首を傾げる。
「診るって……ひと月前に診たじゃない。テオの処置をするために『魔力安定化』の回路を追加したでしょ? ––––あ、ひょっとしてあの処置の負荷で、どこか壊れちゃった?」
「あー、いや。別に壊れた訳じゃないんだ。ただ、その回路がいらなくなったんで、言っとこうと思って」
頭をかきながら、そんなことを言うココ。
「たしかに、もうあの魔法を使うこともないわね。テオの蜘蛛の件は解決したわけだし」
そう返した私に、今度はメルが首を振りながら口を開いた。
「違うわ、レティ。そういう意味じゃないの。この回路の基板がなくても、もう私たちはあの魔法を使えるようになったのよ」
「え? どういうこと???」
私が更に首を傾げると、メルは困ったように言葉を続ける。
「なんて説明したらいいのか……。要するに、私たち自身が『魔法を覚えた』ってことね」
んーー?
「覚えた、って……。二人とも記憶装置なんて持ってないでしょ?」
私の問いに、困ったような顔をする二人。
「そうなんだけどさ。なんか覚えちゃったんだよ」
「『魔力安定化』だけじゃなくて、『絶対防御』も『自動防御』も、今なら回路がない状態で使えるわ」
つぶらな瞳で私を見つめるココとメル。
「そんな、まさか……」
戸惑う私に、ココが言った。
「とにかく、一度俺たちのことを診てみてくれよ」
「それで『試して』みて。百聞は一見にしかず、でしょ?」
確かに。
こうして言い合っていても意味がない。
「……わかった。基板を取り外して魔法が起動できるか、試してみるわ」
私の言葉に、ほっとしたように顔を見合わせる二人。
「それじゃあ、よろしくな!」
「またお話ししましょ」
ココとメルがそう言うと、辺りが青く、柔らかい光に包まれた。
☆
「んんっ」
夢から帰ってきた私は、体を起こして伸びをした。
カーテンの隙間からのぞく朝の日差し。
珍しく、アンナが起こしてくれる前に自分で起きられた。
まあ、あんな夢を見たら起きるわよね。
ただの夢というには、あまりに具体的で、思わせぶりな夢。
もちろん、実際に何かあるとは思えないけれど。
「でもまあ、一度状態を確認するのはいいかもね」
テオの処置の際には、二人への負荷は後回しで魔力を注ぎ込み、暴れまわるテオの魔力を押さえ込んだ。
思えば、『絶対防御』に始まり、『局所防御』、『自動防御』、『魔力安定化』と、二人には負荷をかけまくっている。
前回の改造の時に一通り魔導回路の確認はしているけれど、二人の中にある整合用の魔石も、そろそろ検査した方がいいだろう。
「よしっ!」
私はベッドを降りると、ココとメルを両脇に抱え、作業台に向かったのだった。
––––数分後。
私の目の前には、くまたちの体内に埋め込んであった二つの魔石があった。
この魔石は、外から注ぎ込んだ私の魔力を他の魔導回路に供給できるよう安定化し、圧力と波長を変換する整合回路に使っているものだ。
私はココの魔石を手に取ると、反射鏡を備えた検査台の上に置き、拡大鏡をのぞき込んだ。
そして––––
「ちょっと……これはなに?!」
驚きのあまり、叫び声をあげたのだった。