第64話 少年と海賊
☆
その後三日ほどかけて、私とテオは魔力操作の訓練を行った。
驚いたことにテオはかなりスジがよく、二日目には身体の意図した位置に魔力を集められるようになり、三日目には発作時の『波』もある程度抑えられるようになっていた。
そして三日目の夜。
私は午前零時の発作に備え、少し前からテオの部屋にやって来て、二人でお茶を飲んでいた。
「ねえ、テオ」
私はティーカップを置くと、テオに切り出した。
「ん?」
窓際に置かれた丸テーブルをはさんで向かいに座ったテオが、顔を上げる。
「今晩の発作でどれだけ『波』を抑えられるかを見て、明日から処置を始めようかと思うんだけど、どうかな?」
「––––分かった。それでいいよ。こんなもの、早く外したいしな」
そう言って、苦々しい顔で自分の胸元を見るテオ。
彼は、はあ、とため息を吐くと、こんなことを言った。
「そういえば、レティは僕がなんでこんなものを埋め込まれてるのか、訊かないんだな」
その言葉に、ドキリとする。
実は、私がこれまでテオに蜘蛛のことを訊かなかったのには理由がある。
一つ目は、それが色んな意味でセンシティブな問題だから。
政治的にも、テオのメンタル的にも。
そして二つ目は、私はやり直し前の彼から話してもらったおかげで、少しだけ経緯を知っているからだ。
今持っている情報だけでも、なんとか蜘蛛への対処はできる。
だからわざわざテオの傷を抉り、嫌なことを思い出させたくなかったのだ。
「あなたにとっては嫌な記憶かと思って……。訊いてもいいの?」
「…………」
私が尋ねると、テオは顔を上げてこちらを見つめ、やがてこくん、と頷いた。
「レティならいい。むしろ聞いてもらいたいんだ」
「……分かった。聴くわ。––––教えて。あなたに何があったのか」
テオは両手を組み再び視線を落とすと、その日のことを話し始めた。
☆
「その日僕は、うちの商団の船に乗ってたんだ。といっても船に乗ること自体は珍しいことじゃない。物心ついた時には海の上だったし、ハイエルランド航路なんて何度行き来したか分からないくらいだ。––––ただ、その航海は僕にとって特別だった。太西洋にあるトリナード群島への長距離航海でね。うちの家門では十二になると遠洋航海の経験をするんだ。まあ、通過儀礼みたいなものさ」
そう言うとテオは事務机まで歩いて行き、さらさらと紙にペンを走らせると、戻ってきてその紙を私に手渡した。
それはテオの故国であるエラリオン王国の首都エラン島を基点とした周辺地図。
「その右端に描いてある島がエラン島で、すぐ上の港がここマーマルディア。それで、左の端……つまり西の果て、太西洋の真ん中に浮かんでるのがトリナード群島だ」
「トリナードというと、西大陸との中継点? ––––確か、北西の『帝国』や、南大陸のアーベリヤ半島との航路もあったわよね」
私が地図を指差しながら尋ねると、テオは目を丸くした。
「驚いた。ハイエルランドのお嬢さまが、なんでそんなこと知ってるんだ?」
「ま、まあ、たまたまね。ふふふふふふ……」
そう笑って誤魔化す。
今の知識も、もちろんやり直し前の王子妃教育の賜物だ。
「まあ、知ってるなら話が早い。家から僕が与えられた課題は、四隻の商船団を率いてそのトリナードの本島まで行って積荷を売り、買付けをして帰って来るってものだった。もちろん、指南役という名のお守りつきだけどな」
そう言うとテオは視線を落とした。
「航海は順調だった。四週間かけてトリナードの本島に着いた僕らは、積荷を売って、西大陸産の物品を買い付けて出航した。そこまでは順調だったんだ。……そこまでは、ね」
俯いたまま、しばし沈黙するテオ。
きっとここから先は、彼にとって苦しい記憶になる。
私はテオが口を開くまで、静かに待った。
そして、彼はその時の話を始めた。
「……あれは、出航して二日目のことだった。空は快晴。海も凪いでて、僕らは群島の島々を見ながら東を目指して進んでた。その時突然、二隻の中型船が左の島陰から現れて、僕らの行手を塞いだんだ」
「––––海賊?」
私が尋ねると、テオは黙って頷いた。
「なんとか舵を切って避けたんだけど、あいつら、こっちの帆にバカバカ火球を撃ち込んできてさ。帆が焼け落ちて身動きがとれなくなったところで何隻もの船に囲まれたんだ」
「船団ごと囲まれたってこと?」
「そう。中型船だけで五隻はいたと思う。––––それからはあっという間だった。両舷から乗り移られて白兵戦になって……僕以外、みんな殺された」
そう言ってテオは、指で目を押さえた。
きっと、彼にとって大切な人たちだったんだろう。
しばらく涙をこらえていたテオは、やがて顔を上げた。
「結局、船は乗っ取られ僕は海賊に捕まった。海賊船に移されて、船倉に放り込まれたところまでははっきりと覚えてる。だけど、それから後の記憶は曖昧なんだ。……たぶん食事に何か入ってたんだと思う。暗い船倉に閉じ込められて、何日も何日も船に揺られて––––ある日突然船倉から連れ出された」
テオはそこで一度だけ大きく息を吸い、吐いた。
「麻袋をかぶせられ、そのまま担がれて船を降りた。馬車に乗せられた気もする。その後、レンガ造りの建物の中に連れてかれて、冷たい台の上に縛り付けられた。そこに真っ白な服を着た奴らが現れて、この蜘蛛を埋め込んだんだ」
気がつくと、膝の上に置かれたテオの手が震えていた。
私は席を立って彼の前に行くと、膝をついて震えるその手に自分の手を重ねた。
「レティ……」
「だいじょうぶ。ここにはあなたを傷つける人はいないわ」
しばらくそうしていると、やがて手の震えが治まったようだった。
「ありがとう。もう大丈夫だ」
そう言ったテオに頷くと、私は自分の席に戻った。
「その後はまた船に乗せられて何日も航海することになった。例によって朦朧とした状態でね。ほとんど何も覚えてないけど、発作の度に床を転げ回ったことだけは覚えてる。そうして次に僕が意識を取り戻したのは、自室のベッドの上だった。どうやら母国の海岸に置き去りにされて倒れてたのを、地元の漁師が見つけて騎士団に通報したらしい」
そこまで話したテオは、「はあーー」と大きく息を吐いた。
「これが、僕がこの蜘蛛を埋め込まれた経緯だよ」
「––––ありがとう。話してくれて」
「レティには、ちゃんと聞いてもらいたかったから」
そう言ってぎこちなく微笑むテオ。
私は頷くと、しばし考え込んだ。
正直なところ、今のテオの話は、初めて聞くことばかりだった。
やり直し前の彼は、細かい点はとばして要点だけしか話してくれなかったから。
その上で、今回はっきりと分かったことがある。
私は顔を上げ、テオを見つめた。
「?」
首を傾げる傷ついた少年。
「ねえ、テオ。今の話だけど……海賊に襲われたのって偶然だと思う?」
「––––いや、偶然じゃない。トリナードの本島で目をつけられたんだと思ってる。うちの商船団はかなりの量の商品を積んでたし、あの海賊たちは狙いすましたように僕たちの進路を塞いでたから」
首を横に振るテオ。
そんな彼に、私は––––
「違うわ」
「えっ?」
驚いた顔でこちらを見つめる少年に、私は言った。
「狙われたのはあなたよ、テオ。それも恐らく、最初からね」