第61話 テオとアンナと飛行靴
「ちょっと、大丈夫?!」
空飛ぶ何かが突っ込んだ中庭の植木。
そこに私が駆け寄ると、ガサガサと枝葉が揺れ、見慣れた赤髪がぴょこんと顔を覗かせた。
「あはは。失敗しちゃいました」
アンナはばつが悪そうに笑うと、いそいそと植木の間から出てくる。
その足には、私が作った飛行靴。
どうやらアンナは、靴の練習をしていて操作を誤ったようだった。
「大丈夫? ケガはない?」
私が尋ねると、衣服についた葉っぱを払っていたアンナは、にこっと笑って頷いた。
「はい。落ちる直前にふわっと空気のかたまりに受け止められたので、全然痛くありませんでした。さすがお嬢様ですね!」
「はあ…………落下したとき用の安全装置がさっそく役に立ったのね。でも、ひやっとしたわ」
私はため息を吐くと、先日アンナに渡したばかりの彼女の飛行靴を見た。
☆
2ヶ月前に起こった、飛竜による王城襲撃事件。
そこで私が飛竜迎撃に使った飛行靴は、新聞報道を通じて瞬く間に有名になり、各所から『売って欲しい』という要望が殺到した。
『傾きかけた工房を立て直す、まさに千載一遇のチャンス!』
一瞬、目を輝かせた私だったけれど、すぐに現実的な問題に打ちのめされた。
魔力操作が難しくてバランスをとるのが至難の業だったり。
誤って落ちたらそのまま地面に直撃だったり。
元々私が自分用に作った魔導具だったので、安全性に著しく難があったのだ。
実際あの飛竜戦の時も、気絶して落下した私をお父さまが受け止めてくれなければ、どうなっていたことか。
冷静に考えれば、そのまま売る訳にはいかない。
相当な改良が必要だった。
そうして飛行靴の再設計に掛かろうとした私。
『安全装置といえば、やっぱりエアバッグよね!』
––––などとノリノリで図面を引いていたところで、突然、意外なところから横やりが入った。
『軍用装備として極めて有用。かつ、外国への技術流出のおそれがある』ということで、一般販売について国から待ったがかかってしまったのだ。
たしかに飛行時間が短いとはいえ、簡単にかなりの高さまで上がれるこの靴は、うまく使えば戦場を空から監視・観測することができる。
魔導銃と併せて一撃離脱的な使い方をすれば、戦場のゲームチェンジャーにもなり得るだろう。
ジェラルド殿下からは「安全面と安定性がもうちょっとなんとかなれば、騎士団で正式装備として採用するんだが」とまで言われてしまった。
一般販売を目指すにしろ、軍用装備として国に販売するにしろ、安全対策は必須。
そんな訳で、私はあらためて王都工房と協力して靴の改良に着手することにしたのだった。
さて。
では、なぜアンナがそんな危険な試作品を履いていたのか。
実は出来上がった安全性向上試作の第一号は、私自身がテストした。
失敗すれば、良くて大けが。悪ければあの世行き。
そんな危険なテストを他の人にやらせる訳にはいかない。
とりあえず落下時のエアブレーキ起動テストは合格。
操作の安定化機構も一応動作テストは行った。
ただまあ、安全装置なしでうまく飛べる私がテストしても限界があるわけで……。
(試作二号のテストは他の人にお願いするべきなんだけど––––でも、こんな危ないことを他人に頼むのもなあ)
と悩んでいたところ、ある人物から熱烈なラブコールがあった。
それが、アンナだ。
ある日の午後。
研究室で彼女が淹れてくれたお茶を飲みながら、その件で頭を抱えていた私は、迂闊にも、
「誰かテストしてくれないかなあ」
と呟いてしまったのだ。
と、後ろから間髪入れず「私がやります!」という声が返ってきた。
「へ?」と振り向く私。
こちらにかけ寄ってきて、私の手を取るアンナ。
「お嬢さま! そのテスト、ぜひ私にやらせて下さい!!」
彼女は私の目をまっすぐ見つめ、キラキラした目でそう訴えてきた。
私としては、大切な侍女にケガでもされたら嫌なので、「危ないから」と何度も止めたのだけど。
彼女の意志は固く、結局テストを頼むことになってしまった。
どうも彼女は、乗り物や動くものに強烈な憧れがあるらしい。
☆
そんなことを思い出しながらアンナの試作飛行靴を見ていると、背後から訝しげな声が飛んできた。
「なあ、今のは何なんだ?」
振り返ると、テオが腕を組み不審げにこちらを見ていた。
「私が作った試作品の飛行靴よ。彼女にテストしてもらってたんだけど、バランスをくずしちゃったみたい」
「フライング––––って、もしかして、それを履けば飛べたりするのか?」
「ええ。短い時間だけどね」
「マジか……」
目を丸くしてアンナの靴を凝視するテオ。
彼は次の瞬間すごい勢いで私を振り返ると、ずいっ、と顔を近づけてきた。
「レティ! これ、僕も一足欲しいっ!!」
目をキラキラさせて叫ぶテオ。
この目は、どこかで見たことがある。
確かちょっと前に、どこかの侍女がこんな目でテスト飛行に志願してた。
私はため息をつき、首を横に振った。
「––––あげたいのはやまやまだけど、残念ながらできないわ。国から譲渡規制が掛かってるの」
「規制? なんで???」
「軍用品として採用される可能性があるからよ」
私の言葉に、テオは目を細めて飛行靴を見る。
そして、
「…………なるほどね」
しばしの間のあと、ボソリと呟いた。
「じゃあ、ちょっとだけ履かせてよ。それくらいなら良いだろ?」
そう言って、再びニコニコと私を見るテオ。
うっ……。
すごく断り辛い笑顔。
だけど、それもダメだ。
「残念だけど、ダメよ」
私の返事に、テオは「えーーっ」と口を尖らせた。
「ちょっとだけでもダメか? 別に持ち逃げしようなんて思ってないし」
「そんなことは心配してないわ。さっきも言ったけど、その靴はまだ試作段階で危ないの。貴方も見たでしょう? 彼女が植木に突っ込むところを」
そう言って、自分の侍女を振り返る私。
「あはは……」
当の侍女は、頭に葉っぱを一枚くっつけたまま苦笑いしている。
なんにでも器用な彼女がバランスを崩すくらいだ。
やはり今のままでは危険すぎる。
靴の操作は足元からの魔力操作で行うけれど、魔導具師でもなければそこまでの微細な魔力コントロールを訓練している人はほとんどいない。
誰でも扱えるようにするには、ある程度雑な入力でも許容できるようにしなくてはならないだろう。
安定化機構の更なる改善が必要だ。
「別に、ケガくらい気にしないのに」
諦められないのか、まだぶつくさ言うテオ。
そんな彼に、私はお説教モードで言い返した。
「貴方が気にしなくても私が困るの! 病気を診るように頼まれた相手を試作品で遊ばせてケガさせたりしたら、陛下に申し訳が立たないわ。そもそも他国の王室関係者をケガなんてさせたら外交問題になるでしょう」
「うっ……。まあ、そうだけどさ」
私の剣幕に、首をすくめるテオ。
しょぼんとした彼は、しばしあって自分のミスに気がついたのか、はっとして私の顔を見た。
「レ、レティ? 君、今……」
「さて。私は何も知らないし、何も言わなかったわ」
そう言って、テオににやりと笑ってみせたのだった。