第59話 毒蜘蛛と少年
(なんて禍々しい……!!)
私が『それ』を見るのは、二度目。
だけど目の前でテオに張り付き、彼を苦しめている毒蜘蛛は、遠い記憶にあるそれに比べはるかに醜悪で禍々しい気配を放っていた。
(これは、作り手の悪意そのものだわ)
一見、本物の蜘蛛のように黒光りしているそれは、実は金属で出来ている。
その事実が、この蜘蛛が自然物ではなく、何者かが明確な意図を持って作り出した魔導具であることを物語っていた。
「うぎぁああああああああああーーっ!!」
全身を駆け巡る激痛に、悶え、叫び、掻きむしろうとするテオ。
「っ!!」
はだけた寝巻きの隙間から覗く、無数の傷痕。
彼の体と腕には、自ら傷付けたのであろうみみず腫れが、いたるところに走っていた。
「ココ! メル! 手伝って!!」
「はいよ!」
「もちろん!」
私のコールとともにカバンから飛び出す、二体のくまたち。
私はテオを挟むように二人を移動させ、叫んだ。
「『魔力安定化』!」
私からくまたちに魔力が流れ、ココとメルの両手が光る。
それらの光は一瞬の瞬きのあと、フィン、という音とともに二人の両手––––四つの丸い手を頂点として、青白い光の膜を形成した。
「––––いくわ」
私はその状態で、くまたちをゆっくりと下降させる。
やがて光の膜が、もがき苦しむテオの頭と体にかかった。
「っ!!」
乱れる魔力の波。
それはまるで、長縄を振る腕のように私を揺さぶった。
「––––鎮まりなさいっ」
必死で暴れる魔力を抑え込む。
「うがぁああああああっ!!」
叫ぶテオ。
今、彼の体内では、荒れ狂う彼自身の魔力と、それを抑え込もうとする私の魔力が綱引きをしている。
テオが持つ相当量の魔力。
彼の胸に張りついている毒蜘蛛は、魔力を吸い取ったあと、波長を掻き乱して彼の体にその魔力を戻していた。
乱れた魔力は暴走し、エネルギーの奔流がテオの体を無秩序に駆けめぐる。
その際に走る激痛は筆舌に尽くし難く、彼に触れた者にもまた同様の痛みが襲いかかるのだ。
まさに『呪い』。
しかもたちが悪いことにこの蜘蛛は、引き剥がそうとすると剥がれる瞬間、最大出力で蓄えた魔力を一気に開放するように設計されている。
前回の私は、その罠に気づかなかった。
そうと知らずに蜘蛛を引き剥がした結果、前回の彼は重症を負い、視覚と聴覚に後遺障害を負う結果となってしまったのだ。
(––––でも、今度は間違わないっ!!)
くまたちに送る魔力をじわりと上げる。
私の魔力が、乱れるテオの魔力をぐっ、と抑え込む。
「っっ! はあ、はあ、うっ!」
テオの呼吸が幾らか和らぐ。
蜘蛛が作動しつづけているため、魔力の乱れを完全に治めることはできない。
が、痛みはかなり緩和されたはずだ。
(…………よしっ)
私はその状態で、彼を苦しめる呪い……蜘蛛の魔導具に左手を伸ばす。
前回私が失敗する原因となった『罠』。
その発動を回避する方法を検討するには、今一度この悪魔の魔導具の仕組みを––––魔導回路の構造を、徹底的に調べ暴く必要がある。
そのためには、蜘蛛の作動中に私が直接手で触れ、魔力の流れを追いかけるほかなかった。
怖い。
恐い。
気持ち悪い。
––––だけど、今度こそ彼を助けるんだ。
怖気付く気持ちを奮い立たせ、私はソレに触れた。
パチパチパチパチっ!!
「うゔっっ!!」
力づくで魔力の波を抑え込んでなお、襲いかかる激痛。
「ぐぅっっ!!!!」
私は歯を食いしばり、左手で感じる魔力の流れに集中する。
「っ!」
迸る魔力の波の『下』に、別の波長で作動する魔導回路が見えた。
まずは、第一層。
私は痛みに耐えながら、その回路を読み取ってゆく。
「……………っ」
どうやら第一層は回路全体の制御を行っているらしい。
タイマーらしき回路が2つ。
内一つは0.5秒間隔でオンオフを繰り返している。いわゆるクロックジェネレータだ。
これは機械式だろうか?
そこに繋がるラインが複数。
目立つのは、並列に3列並んだ3段のスイッチ。
1秒ごとに経路が切り替わってゆく。
「これね……!」
吸い取った魔力の波長を乱す機構。
その核心がこのスイッチ群だろう。
おそらく第二層か三層にテオの魔力を通す太い流路があり、このスイッチ群が与える数値を使って、そこにあるフィルタの特性を変化させているのだ。
私がさらにそのラインを追いかけようとした時だった。
パシッ
「きゃあっ!」
スイッチが切れるような音と同時に一瞬だけ高出力の魔力が流れ、私は思わず蜘蛛から手を離す。
そして––––
「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ……」
テオの呼吸が、荒いながらも規則的なものに戻ってくる。
蜘蛛の動作が停止したのだ。
「はぁああああああ……」
私は大きく息を吐き、その場に座り込んだ。
「坊ちゃん!」
「エインズワース卿!!」
背後から、二人の男性が私たちを呼ぶ声が聞こえた。
☆
––––三時間後。
遅めのランチを頂き、与えられた部屋で休んでいた私は、ケッセル子爵から『気絶していたテオの意識が戻った』という話を聞いて、再びテオの部屋を訪れていた。
「ご気分はどうですか?」
私がそう尋ねると、ベッドの上の黒髪の少年は、手元に落としていた視線を上げ、おずおずと私を見た。
「…………悪くはない」
ボソリと呟く歳下の少年。
どうやら今回は、部屋を追い出されることはなさそうだ。
「それはよかったです」
微笑んだ私の顔を見たテオは、つい、と目を逸らす。
そして、私の後ろにいるケッセル卿とファビオに向け、やや大きな声で言った。
「彼女と二人で話がしたい」
これは、ある程度信頼してくれるようになった、ということだろうか?
「しかし……」
言い淀むケッセル卿に、私は頷いてみせる。
「––––承知致しました」
「外で待機しております」
そう言って一礼し、退室する二人。
二人が出て行くのを見送った私は、傍らに置かれたイスに腰掛け、再びテオに向き合った。
ちら、とこちらを見て、またすぐに目を逸らす少年。
「どうかされましたか?」
私が首を傾げると、テオは眉を顰め、あらぬ方向を向いて口を開いた。
「き、君は––––」
「?」
「君は怖くないのか?」
「はい? 何がです???」
さらに首を傾げる私。
するとテオは私に向き直り、叫んだ。
「だからっ、君は僕のことが––––胸に張りついている『これ』が怖くないのかと訊いてるんだっ!」
「…………」
「…………」
何を言ってるんだろうか、この子は。
「別に、テオ様のことは怖くないですよ?」
私がそう返すと、テオはぐっ、と歯を食いしばるようにして顔を背ける。
「……なんでだ?」
「はい?」
「今まで『コイツ』を見て恐れない者はいなかった。せっかく生きて帰ったのに、父上と母上は顔を顰め、使用人たちは怯えて逃げ出した。兄上たちにまで『呪いが感染るから近寄るな』と言われたんだぞ。––––なのに、なんで君はそうやって平然としていられる?」
彼の言葉を聞いて、理解した。
この子が、家でどんな扱いを受けていたのかを。
だから私は、自分の率直な気持ちを口にした。
「正直、その蜘蛛は不気味だと思います。作った者の精神構造を思うと、同じ魔導具師としておぞましさすら覚えます。––––でもそれは、テオ様が望んでつけられた訳じゃないですよね?」
私の言葉に、小さく頷く少年。
私は立ち上がり、彼の手を取った。
「!?」
顔を上げ、目を見開くテオ。
私は彼の目を見つめて言った。
「ならば、私がテオ様を気味悪がったり、恐れたりする理由はありません。その蜘蛛は『呪い』ではなく、魔導具です。魔導具による問題であれば、私がエインズワースの名にかけて解決いたします。––––ですから、一緒に頑張りましょう」
「…………」
テオの目から一筋の雫がこぼれ落ち、彼は慌てて手でそれを拭ったのだった。