第181話 蠢動
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ブランディシュカ公国•公都ブランディル。
北大陸の北西に位置し北海を臨む港湾都市は、周囲を山と丘陵に囲まれた天然の要害だった。
外から攻め難く、北海の主要航路に近いその街は古来から海賊の寝床であり、現公王家も元を糺せばこの辺り一帯の海賊の元締めである。
およそ百年前、国内で魔石の大鉱脈が見つかったことを機に、長く属してきた南のアルディターナ王国から独立。
以来このブランディルを基点に、西の海峡を隔てた凍土大陸、北海沿岸都市との交易で栄えてきた。
そんな港を見下ろす丘の上に、公王の城はあった。
「例の娘が戻った……だと?」
玉座に腰かけた壮年の王は、目の前に立つ軍装の若い男女を睨んだ。
その一人、眼鏡の青年は王の鋭い目に動じることもなく、淡々と話を続ける。
「この半年、一度も領地に姿を見せなかった彼女が、昨日街に姿を現したとの報告が入りました。年の瀬ですし、新年を領地で迎える腹づもりなのでしょう」
「つまり、年明けまでは自領にいる、ということか」
王の呟きを、青年は見逃さない。
「ハイエルランドでは例年、年明けから三週間ほどで国王主催の新年会が催されます。王都サナキアへの移動を考えると、領地に留まるのはせいぜい年明けの十日までかと」
「……貴殿の予想通り、だな」
目を細める公王に、青年は怪しい笑みを浮かべる。
「すでに仕込みは終わっております。陛下が決断されれば、すぐにでも事態は動き始めるでしょう」
「例の娘に召集がかかる可能性は?」
「彼女とハイエルランド王の約定を考えれば、それはないでしょう。それにこのタイミングで彼女を動かせば、グラシメントががら空きであることを宣言するようなもの。そのリスクは彼らも理解しているはずです」
「むうう……」
謁見の間に、公王の唸り声が響く。
青年が囁いた。
「陛下。この機を逃せば『次』はありません。ハイエルランドでは例の空飛ぶ靴とライフルとやらの量産と配備が始まっております。竜操士の優位は急速に失われつつある。今ここで討たねば、彼の国は近い将来、北大陸最大の覇権国家となるでしょう。その過程で一番最初に滅ぼされるのがどこの国か……。考えるまでもありませんよね」
「……っ! そもそもあの計画を持ちかけたのは貴国ではないかっ!! 例の失敗以降、ハイエルランドは我が国に大規模な経済制裁を課し、魔石の輸出はおろか食料品の輸入までもが制限されておるのだぞ?!」
肘掛けにこぶしを振り下ろし、怒りに満ちた目で睨みつける公王。
そんな辺境の王に、青年は一礼した。
「おっしゃる通りです。ですから我々は貴国への責任を果たすため、食料を緊急輸出し魔石を大量に買い取らせて頂いているのです。それに––––」
青年が顔を上げる。
「今回は確実を期すため、我々も参戦致します」
「なんだと?」
驚く公王。
「っ! 閣下、それは––––!!」
声をあげようとする隣の少女を、手をかざして制止する青年。
「事態はそれほどまでに切迫しているということですよ」
彼は玉座に座る公王を、微笑とともに見据えた。
「さあ、陛下。ご決断を」
◆
半刻後。
港湾都市ブランディルの外れに建つ煉瓦造りの建屋の一室に、先ほどまで公王と面会していた者たちの姿があった。
「お兄様、一体何をお考えなのです?」
苦い顔で問う金髪の少女。
執務用のイスに腰を下ろした眼鏡の青年は、彼女に冷ややかな視線を向けた。
「何がだ?」
「我が軍が参戦するというお話です。このタイミングで直接介入するなど、私は聞いておりませんよ」
「言ってなかったからな」
「そんな……。陛下の許可も得ずに軍を動かすのは––––」
「許可は得ている」
「え?」
「年初の挨拶の時に直接陛下から許可を得た。現状を報告し、あの娘が近い将来帝国の重大な脅威となるだろうことを説明したら裁可頂けたよ」
「まさか……本当ですか?」
「ああ。但し、国章の使用は禁止。敵に素性を悟られるなとのお達しだ。まあ元々この国でもそこは伏せてきたからな。今まで通りとも言える」
淡々と話す異母兄の言葉に、少女は心の中でため息を吐いた。
––––功を焦っている。
そうとしか思えなかった。
いくら『天才』と呼ばれているとはいえ、相手は辺境国家の貴族の娘だ。
魔物の使役のため数百年にわたる魔導の研究を重ね、ついに魔導動力器の実用化にまでこぎつけた帝国の技術を脅かすとは、到底思えない。
「その娘は、そこまでしなければならない相手なのですか?」
「……おい、ナターリヤ」
食いさがる少女に、青年はうんざりした顔を向けた。
「ナターリヤ・セルゲーエヴナ・バシロフスカヤ特務中尉。軍を動かすのは決定事項だ。お前はここ北大陸に来たばかりだ。情報部から彼女に関する情報を受領し、明日までに頭に入れておけ」
「……承知しました」
納得のいっていない様子ながらもしっかりと敬礼し、部屋を出て行く少女。
扉が閉じられると、青年……第6遠征軍司令官ミハイル・セルゲヴィッチ・バシロフスキーはベルを鳴らし、隣室で待機している副官を呼んだのだった。
☆
オウルアイズ新領の領都、ファルグラシムから帰還して数日。
あれやこれやと山積みになっていた仕事を片付けているうちに、あっという間に大晦日がやってくる。
そして、その日の朝食の席。
忙しくて朝夕の食事どきにしか顔を合わせられていなかった仲間から、ついに待ったがかかってしまった。
「あの、レティアさん大丈夫ですか? なんというか、その、すごくお疲れのように見えるんですが……」
心配そうに声をかけてくれたリーネに、私は頑張って笑顔を返す。
「大丈夫よ。ちょっと溜まってた仕事を片づけてるだけだから」
すると隣のオリガからもツッコミが入る。
「『ちょっと』じゃないでしょ? 貴女はいつも無理するんだから」
うん、うん、と頷くテオとレナ。
「みんな大げさねえ。本当に大丈夫よ」
あはは、と笑ってみせる。
けれどあまり力が入らない。
実のところ、領政に軍政、魔導具開発と、ここ数日集中して遅くまで仕事をしていたため、よく寝つけず、眠りも浅くなっていた。
そんな私を見たテオが、首をすくめて言った。
「ねえ。そろそろドクターストップが必要じゃないかと思うんだけど、君はどう思う?」
問うた相手はなんと、給仕をしていたアンナ。
え?
この二人って、犬猿の仲じゃなかったっけ???
ぼんやりした頭でそんなことを考えていると、
「そうですねえ。––––レティシアさま、ちょぉおっと失礼しますね」
傍らにやってきたアンナは片ひざをつき、私の額に手を当てた。
「……微熱がありますね」
「え?」
アンナはそのまま私のあごに手を添えると、私の瞳を覗き込む。
「眼球が充血して、目のまわりにひどいくまもできてます」
まるでお医者さんのようなことを言うアンナ。
彼女は最後に私の手首を手にとり、脈を測り始めた。
「脈も早い。これは…………まごう事なき過労と睡眠不足ですね! 今すぐ横になって休養をとる必要があります!!」
「えっ? えっ?」
戸惑う私。
そんな私に、アンナがにこりと笑いかける。
「レティシア様。以前私に『無理はしない』と約束されましたよね?」
「ええと……それはそのぅ……」
「約束されましたよねっ?」
「や、約束したような気もしなくはないような気も––––」
「侍女権限で、ドクターストップです!!」
「えええええええっ?????」
ぎゅっ、とアンナに抱きしめられ、そのまま抱きかかえられる私。
「あ〜〜〜〜れ〜〜〜〜っ???」
そうして私は、寝室に連行されていったのだった。