第174話 向かう者、帰還した者
最初豆粒ほどの大きさだった三隻の海賊船は、まもなく肉眼で船影が確認できるほどの距離にまで近づいていた。
「海上で動力器の動作を見るのは、初めてだわ」
魔導加速器の始動に向け皆が慌ただしく動きまわる中、船の壁にもたれかかった少女は視線を前に向けたままそんなことを言った。
隣に立つローブの男が応える。
「動力器の使用には厳しい制限が掛けられておりますから」
「知ってる。そうでなければわざわざ公国まで一週間もかけて船旅なんてしないわよ」
「失礼しました」
恭しく頭を下げるローブの男。
少女は彼を一瞥すると、再び前を向いて話を続ける。
「魔導動力器は我が国の最新技術。あれのおかげで飛空船の実用化にめどがついた。船の数がそろい飛行艦隊を編成できるようになれば、我が国の行方を遮るものは誰もいなくなるわ。その時が来るまで、絶対に外の人間に知られる訳にはいかない」
「––––」
男は黙って頭を下げ、彼女の言葉に同意する。
「でもまあ、それだけじゃないけどね。魔力消費が激し過ぎて大量の魔石を携行する必要があるし––––知ってる? 一つの中型魔石で動力器を動かせる時間は、わずか一秒よ。S級の魔力持ちでも一人で動かせる時間は十分に過ぎない。とてもじゃないけど平時に常用なんてできないわ」
そんなやりとりをしている間に帆がたたまれ、準備が整う。
「加速、十秒前ぇっ!!」
航海長の声があたりに響きわたる。
「五、四、三、二、一……加速っっ!!」
船の内部からブンという音が聞こえ––––次の瞬間、乗船している者たちをGが襲った。
「「おお……!!」」
船員たちの歓声とともに加速する船。
船首が持ち上がり、船体がブルブルと揺れる。
「……くっ!」
「でん……お嬢様っ!」
負傷した片脚が踏ん張れず、バランスを崩しかけた少女をローブの男が支える。
しばらくののち。
船のGは緩やかになり、やがて高速巡航に移行した。
通常より船首が持ち上がった状態で、船は波を割って走る。
「かなりの揺れね。でも飛空船よりは遅い。これでどのくらい速くなってるのかしら」
「通常巡航時の五割増し程度のはずです。あまり速度を上げると、船体が耐えきれないのだとか」
少女の呟きに、フードの男が答える。
「やり過ぎれば賊に不審がられるし、このあたりが妥当なんでしょうね」
少女はそう言うと、前方を睨んだ。
十分後。
完全に海賊たちを振り切った船は、その視界に陸地の影を捉えていた。
「魔導加速器、停止ぃっ!」
「通常航行に移行! 帆を張れぇっ!!」
増速中には動きがなかった甲板が、にわかに慌ただしくなる。
そんな中、その場に似つかわしくない少女は陸地を睨んでいた。
「ブランディシュカ公国か……。好きじゃないのよね、あそこ。貧しくて、陰気で」
「前回いらしたのは、昨年でしたか」
ローブの男に頷く少女。
「一年と半年前ね。ルーンフェルト留学の準備のため三ヶ月ほど滞在したわ。『公国からの留学生』って設定だったから。––––二度と来ないと思ってたけど、まさかまた来ることになるなんて。おまけに『彼』を補佐しろとか」
「三番めのお兄様、ですか」
「そ。去年ハイエルランドで失敗したでしょ? 新年会では平気な顔をしてたけど、裏庭でグラスを地面に叩きつけてたわ。上の兄たちが本土や南大陸で成果をあげてるから焦ってるのよ。頭の回転が早く、愛想もいい。反面、笑顔の裏にあるプライドの高さも相当なものだわ。焦るあまり下手を打たないといいのだけどね」
少女はそこでため息をついた。
「ま、私も迷宮国で失敗してるから、左遷は仕方ないわ。せめて妙なことに巻き込まれないように気をつけないと」
船は公国の王都、ブランディスの港に入ってゆく。
奇しくもその日は、エインズワースの領主が伯爵領に帰還したのと同じ日だった。
☆
「あ、レティシアさまだー!」
「あら、本当! レティシア様ぁああ!お久しぶりでーす!!」
歓声を上げて手を振る人々に馬車から手を振り返すと、さらに大きな歓声が返ってきた。
「……すごい人気ね」
「まるで英雄の帰還だな」
オリガの言葉にテオが頷くと、
「当然です! レティシア様はこの地の英雄ですから」
久しぶりのメイド服でご機嫌のアンナが、なぜかドヤ顔で胸を張る。
領都ココメルに帰還した翌日。
友人たちを案内するため馬車で街に出ると、早速街の人たちから熱烈な歓迎を受けた。
久しぶりの帰還。
正直、私の顔なんて忘れられてるかと思ったけれど、どうやらそんな心配は杞憂だったようだ。
「こうして見ると、ソフィアが言った通りかなり人が増えてるわね」
私の言葉に即座に反応したのは、テオだった。
「確かに。でも、なんで人が増えてるんだろう?」
半年前にココメルを訪れているテオだからこそ、不思議に思ったのかも。
そんなことを思った矢先、今度はオリガが前のめりになった。
「それ、私も興味があるわ。うちの領地も人が増えているけれど、それは帝国から難民が流入してるからだもの。経済状態も良くないし治安も悪化してる。でもこの街はとてもそんな風に見えないわ。むしろとても活気があって、治安も良いように見える」
二人のまっすぐな視線が、私に集中する。
「そ、そうねえ……」
私は、昨日聞いたソフィアからの報告を思い返してみた。
☆
「人口の増加?」
久しぶりの私の執務室。
私が聞き返すと、秘書官は「はい」と首肯した。
「近隣の領地、特に西のオウルアイズ新領から出稼ぎに来ている者が多いようです。『エインズワース領に行けば稼げる仕事がある』。そんな話が広まっているとか」
「たしかに私が領主になってから公共事業に力を入れるようになったけど……。そんな噂が広まってるの?」
「はい。実際、我が領では人手が不足するようになっておりますから、あながち間違った噂でもありません」
「なんでそんなに???」
首を傾げる私。
するとソフィアが、珍しく気まずそうな顔をして目を逸らした。
「どうかした?」
「いえ。実はその…………ちょっとやり過ぎたかもしれません」
「なにを?」
「事業を、です」
そう言ってソフィアは、事情を話し始めた。