第166話 ただいま!
☆
いくつもの雪山を飛び越え、南下する。
そうして国境の街テルンに降りたのはお昼前のこと。
前回は人目を避けるため近くの森に降りたけれど、今回は街はずれにある国境警備所の敷地に誘導された。
「ご無沙汰しております! またお会いできて光栄です!」
出迎えてくれたのは、前回立ち寄ったときにも出迎えてくれたグレアム兄さまの同僚の騎士さん。
「あの、本当にこちらでよかったのですか?」
私たちが降りたのは、街はずれとはいえ市内のどこからでも見える場所。
おまけに今回は六名の大所帯だ。
さすがに誰かに見られてしまっているはず。
私の疑問に騎士さんは笑顔で答えてくれた。
「騎士団全体に飛行靴が行き渡り、先月から正式に運用が始まったんです。もちろん詳細は機密ですが、使っている姿は見られてもよい、という話になったのですよ」
「そうなんですか?」
私がまだ腑に落ちない顔をしていると、騎士さんは側に寄り小声で補足してくれた。
「エインズワース伯が空を飛んで飛竜と戦った話は、今や英雄譚として国の内外に広まっています。一方で我々は閣下もよくご存知の状況です。その辺りの判断もあるのかもしれませんね」
「あっ、そういうこと?!」
「はい、おそらく」
そう言って騎士さんは、いたずらっ子のように笑って口に人差し指を当てた。
一年前の王城襲撃事件で王党派貴族の多くが失脚し、彼らが抱えていた領軍と騎士団が解体された。
新たに陞爵した人たちが領軍を再編成して各領地の立て直しを急いではいるけれど、それもまだ道半ば。
中央は中央で第一騎士団が解体され、統合騎士団を核とした軍の再編成を進めているけれど、ごっそりいなくなった騎士たちの穴を埋めるのは容易ではなく––––この間私宛に送られてきた魔導通信の報告でも、ジェラルド王太子殿下とグレアム兄さまは相変わらず多忙を極めている、ということだった。
要するに、王国の戦力は低下したままだ。
北大陸の中央に突然生まれた軍事的な空白。
国民は治安に対して不安を覚え、周辺の国々は領土拡大の好機と見るだろう。
そんな中、騎士団が飛行靴を使っている姿が目撃されたらどうなるか。
『ハイエルランドは、飛竜を退けた魔導具で軍を強化している』
みんな、そう考えるはず。
国民は安心するし、隣国は安易な侵攻を躊躇する。
治安維持と紛争抑止の面から言えば、飛行靴をあえて『見せる』のは確かに有効な手段と言えるだろう。
私と騎士さんがひそひそとそんな話をしていると、後ろを歩いていたオリガが隣にやってきた。
「ねえ、レティア。今、恐ろしい話が聞こえたんだけど。あなたの国ではこの靴を騎士全員が装備しているの?」
「どうも、そうみたいね」
「『そうみたい』って、作ったのは貴女でしょ? そんな人ごとみたいに」
「たしかに開発したのは私だけどね。量産は実家に任せちゃってるから……今、どうなってるんだろ?」
私が首を傾げると、
「ちょっと……飛行靴って戦いのあり様を一変させかねないシロモノなのよ? その産みの親がここまで無頓着なのはどうなのよ」
頭を抱えるオリガ。
そんな彼女に、ふふっと笑ってしまう。
「まあまあ、今日の夜には分かるわ。うちの家に着いたらお父さまに訊いてみましょ。私も実家の状況を知りたいしね」
そんなことを話しながら、私たちは騎士さんが手配した馬車に乗り込んだのだった。
☆
案内された宿屋で昼食をとり、しばし休憩。
休憩を終えた私たちは国境警備所の敷地に戻り、再び空に舞い上がった。
「ここからどのくらいで着くんですか?」
隣を飛ぶリーネの問いに、私は先ほど宿で計算した飛行時間を思い返す。
「二時間はかからないと思うわ。日が暮れるまでには着けるでしょう」
今日の私たちの目的地は、私の実家––––オウルアイズ本領だ。
五ヶ月前に留学に旅立った時はギリギリまで領地運営の申し送りをしていて、私の領地エインズワース領のココメルから飛び立つことになった。
けれど今回は急ぎの仕事もないし、実家で何日か過ごしてからココメルに向かおうと思っている。
冬休みに入って十日余り。
今年も残すところわずかとなった。
新年のお祝いがあるので自領での年越しとなるけれど、それまでは実家でゆっくりするつもりだ。
「みんな、元気かな」
私は久しぶりの実家を思い浮かべ、くすりと笑ったのだった。
☆
「レティーー!!」
空の青に朱色が混じり始める頃。
懐かしい建物を目がけて降下していくと、屋敷の庭で誰かが大きく手を振っているのが見えた。
その周囲には、見覚えのある人たち。
「ヒュー兄さまっ!」
地面に降り立ち、手を振っていた兄に駆け寄ると、次兄のヒューバート兄さまは、
「おかえり! レティ!!」
そう叫んでガバッと私を抱きしめた。
「元気だったかい?」
「はい! おかげさまでこの通りです。ヒュー兄さまもお元気でしたか?」
「ああ、僕もこの通りさ。––––それにしても留学先でもずいぶんと無茶をしたらしいね。話を聞いた父上が大変だったんだぞ」
「え? 何かあったんですか?」
私がきょとんとして尋ねると、二番目の兄は苦笑して後ろを指差した。
「まあ、その話は後にしよう。本人が待ちきれなくてヤバい感じになってるから、先に挨拶をしておいで」
「えっと––––はいっ!」
私は頷き、ヒュー兄さまが指差す方に歩いて行く。
そこにいるのは、ボールを待ち構えるサッカーのゴールキーパーのような格好で立ち尽くす、中年男性。
「––––レティっ!」
「お父さまっ!!」
私は不恰好な姿勢で固まっているお父さまに駆け寄ると、思いきりその胸に飛び込んで行く。
「おかえり、レティ」
「ただいま! お父さま……!!」
こうして私は、しばらくぶりに家族との再会を果たしたのだった。