第165話 一人で抱えきれぬもの
私がテオの夢の内容を知っている理由。
それを問う彼の瞳は、ただただ真っ直ぐだった。
疑ったり警戒するような気配は微塵もない。
正直、ナターリエの名前を出した時点でテオからこの質問が出ることは覚悟していた。
彼が私のことを気持ち悪がったり、最悪疑心を持たれる可能性があることも。
それでも私が一歩踏み出したのは、テオとこの問題を共有したかったから。
そして、この場にいるもう一人の大切なパートナーとも。
私一人で抱えるのは、もう限界だった。
「私も同じ『夢』を見たから」
前世で。
宮原美月だったときに。
「同じ夢を?」
聞き返してきたテオの目を見て、頷く。
「婚約者に処刑される夢をね」
私の言葉にテオが目を見開いた。
「婚約者? ––––ちょっと待って。レティって婚約者がいたの?!」
ショックを受けたように叫ぶ、目の前の男の子。
私は首を横に振った。
「アルヴィン・サナーク・ハイエルランド。一年前に私が婚約させられそうになった当時の第二王子よ。去年私に斬りかかって裁判にかけられて、王籍追放の上で鉱山送りになってるわ」
「第二王子……。そうか。あれが君を襲った◯◯(ピー)野郎か」
え。
いや、ちょっと……。
今、とんでもない単語が聞こえた気がしたんだけど???
「お嬢様の前で下品な言葉を使うのはお控えください」
即座に割って入るアンナ。
「うっ……わかった」
珍しく彼女の言葉に素直に従うテオ。
どうやら汚い言葉を使った自覚はあるらしい。
私は説明を続けた。
「夢の中で、私はあの男の婚約者だった。テオが見た通り疎まれていたけどね。彼の背後には宰相がいて、第一王子はブランディシュカ公国との防衛戦争で戦死。王陛下は謎の病気で危篤状態。そんな中で私が彼に贈った魔導具がなぜか爆発して、私とお父さまは即決裁判で有罪になった。––––そういう状況だったの」
「……悪夢、だな」
「悪夢よ。上の兄は第一王子と共に戦死。残った父も、使用人も、みんな私の目の前で処刑されたわ」
「…………」
息を呑むテオ。
その時、隣から声が聞こえた。
「私は……お嬢様をお護りできなかったのですね」
険しい表情で呟くアンナ。
ひざの上に置いたこぶしがきつく握られている。
「第一騎士団がうちに乗り込んできたとき、私があなたを止めたの。アンナはちゃんと私を護ろうとしてくれたわ」
「それでも、お護りできなければ意味がありません」
私は彼女のこぶしに手を置いた。
「私もあなたを守れなかった。お互い様よ。……それに、夢の中の話だわ」
そう言った次の瞬間、私はアンナの温かい両腕に包まれた。
「あ、アンナ?!」
彼女の腕がぎゅっと私を抱きしめる。
「気づくことができず申し訳ありません。お嬢様はずっと一人で闘ってらっしゃったんですね。––––長い夢から覚めたあの日から。ずっと」
「えっ……」
耳元で、私にだけ聞こえるように囁かれた言葉。
「もっと早く気づくべきでした。病み上がりのお嬢様がなぜあんなに必死で魔導ライフルを作っておられたのか。なぜオズウェル公爵の裁判にあそこまで力を入れておられたのか。お嬢様の一番近くにいたのに。私だけは気づくべきだったのに……。本当に申し訳ありません」
「アンナ……」
私の肩に、熱い滴が落ちた。
「お一人でよくここまで頑張ってこられましたね。……大丈夫です。もう絶対にお嬢様を一人にはしません。私の全てを懸けてお嬢様をお護りしますから」
その瞬間。
胸の奥から熱いものがこみ上げてきた。
「アンナぁ……」
もう抑えるのは限界だった。
「ぁああああああああああああああああーーーー!!!!」
のどの奥から、声があふれて噴き出した。
☆
それからしばらくの間、私はアンナにしがみついて泣きじゃくった。
呆然とするテオの前で。
アンナに強く抱きしめられて。
そんなだったから、公使公邸に到着して馬車を降りると、もう一台の馬車に乗っていた仲間たちにぎょっとされてしまった。
「……!」
「あの、レティアさん……大丈夫ですか?」
ピクリとわずかに眉を動かしたレナ。
リーネは心配そうに声をかけてくれる。
やっぱり、泣いてたのバレバレよね?
「大丈夫。大聖堂であったことを思い出してただけだから」
私が笑顔をつくってそう答えると、それまでひと言も言わずに見ていたオリガが私の横に来た。
「とりあえず中に入りましょう」
「そうね!」
そうして並んで歩き始めて、ひと言。
「話したいことがあったら、聞くからね」
前を向いたまま、呟くように言ったその言葉が心に響く。
だから私は、同じように小声で答えた。
「ありがと」
結局その日私は、夕食を辞退しアンナに付き添ってもらって眠りについたのだった。
◇
「入れ」
夜更け。
夕食後の歓談も解散となり、割り当てられた部屋に戻っていたエラリオン王国の第三王子は、扉をノックする音に応えた。
「失礼致します」
扉を開けて入ってきたのは、テオもよく知る顔。
但し、お世辞にも親しいとは言い難い相手だった。
「レティは?」
「お休みになりました」
愛想もなくそう答えるレティシアの侍女に内心ため息を吐くと、テオは「まあ座りなよ」とソファを勧め、自分も向かいのソファに腰を下ろしたのだった。
「それで、話っていうのは?」
テオが話を振ると、アンナは背筋を伸ばし彼の顔を真っ直ぐ見据えて口を開いた。
「単刀直入にお聞きします。テオバルド殿下は、レティシアお嬢様のために命を捨てられますか?」
うっ、と眉を顰めるテオ。
(これは何かの罠か、ひっかけか?)
文字通り受け取れば、ストレートど真ん中の質問。
答えは決まっている。
ただ目の前の女と自分とのこれまでの関係を考えると、素直に受け取れないだけだ。
「質問の意図が見えないが?」
「文字通りの意味です。『レティシア様を救うためにご自分の命を引き換えにできますか』と伺っています。『できない』と仰るのであれば、話はここまでです」
「できる」
テオは短く答えた。
「…………」
目を細めるアンナ。
「僕はレティシアのために命を捨てられる」
静かに、宣言するように言い切るテオ。
その言葉に、アンナは小さく息を吸い、静かに吐き出した。
「分かりました。では話を始めましょう。『レティシア様をどうお護りしていくか』というお話です」
☆
「昨夜はごめんなさい。一晩寝たらすっきりしたわ」
朝食の席で私が謝ると、みんなはほっとした顔で微笑を返してくれた。
「もうなんともないのね? レティア」
「ええ。バッチリよ」
話しかけてくれたオリガに親指を立ててそう答えると、リーネが「なんですか、それ」と、ころころ笑った。
実際、今の私はずいぶんと心が軽い。
前世の記憶を『夢』という形でだけど、テオと共有できた。
巻き戻り後の私の苦闘を、アンナが理解してくれた。
まだ全てを話せてはいないけれど、それだけでずいぶんと心が軽くなったのだ。
「かなり調子が良いから、頑張れば今日中に実家に着けるかも。みんなはどう? お昼の休憩を挟んで午後も飛べるかしら?」
私が尋ねると、最初に答えたのはテオだった。
「僕はいける」
「北海越えの時と同じくらいなら、私も大丈夫よ」
オリガがテオに続く。
「私も大丈夫だと思います」
「……問題ない」
全員の答えが一致する。
「それじゃあ、決まりね!」
こうして私たちは、朝食後すぐに聖国を出発することになった。
お昼休憩は、往路でも立ち寄った国境の街テルン。
そうしてオウルアイズ本領のお屋敷に着いたのは、陽の光に朱色が混ざり始める頃だった。