第163話 大聖堂の夢
☆
(…………?)
気づくと私は、いつかそうであったように宙に浮かんでいた。
頭上には今にも降り出しそうなぶ厚い灰色の雲。
足元には茶と黒のまだら模様の街が広がっている。
(……………………え?)
違う。
街じゃない。
これは……!
廃墟。
私の足元に広がっていたのは都市の廃墟だった。
古代の遺跡なんかじゃない。
まるで戦災にでもあったかのように、屋根が落ち、焼け焦げ、壁が崩れかけた建物の残骸たち。
そんな光景が延々と広がっていた。
(ここは、どこ?)
周囲を見回すけれど、特徴的な地形や建物はない。
はるか四方を山地に囲まれた砂色の荒野。
そんな荒れた大地の真ん中に残された広大な廃墟。
少なくとも前回の白昼夢で見たハイエルランドの王都じゃない。
山々の雰囲気は聖都ディリスに似ているけれど、聖都の特徴である街を取り囲む広大な森も、街を貫いて流れる河川も見当たらない。
(一体ここは……)
呆然とした私が、再び廃墟に目を落とした時だった。
え?
視界の一部で何かが動いた気がして、とっさに目で追う。
次の瞬間、ぐいっ、と体が引っ張られた。
––––ガリガリガリガリ
その人物はボロボロのローブをまとい前かがみになり、一心不乱に棒で地面を引っ掻いていた。
ローブから突き出された浅黒い両腕は、先端に白い石を結えつけた棒をかたく掴み、廃墟となった建物の床に何かを描いている。
魔法陣。
崩れかけた石の台座のようなものを中心にして、床に半径三メートルほどの大きな円形魔法陣が描かれていた。
その大部分を締めるのは、見慣れた魔法文字。
しかし中心の台座を囲むように刻まれていたのは––––
(神聖文字?)
本来、魔法とは異なる言語・論理体系を持つはずの神聖文字……ダリス教で神事や神聖魔法に使用される文字だった。
(この人は一体なにをしているの?)
私に分かるのは魔法文字で刻まれた部分だけ。
大型の魔法陣にびっちりと詰め込まれた文字と数式。
その複雑な魔法式が何なのか。
しばらく観察していた私は、一つの結論にたどり着いた。
『吸魔』の魔法式。
指定した範囲の魔力を、指定した場所に吸い寄せる高位魔法。
ただし目の前に刻まれたそれは、魔力を集める範囲の指定もなく、集めた魔力を整流することもなく、ただただ周囲から魔力を集め、魔法陣の中心に流し込むように書かれていた。
普通はこんな書き方はしない。
範囲の指定をしなければ周囲の魔力を際限なく集め続けることになるし、集めた魔力を整流して安定化させなければ、ちょっとしたことでエネルギーバランスが崩れて魔力爆発を起こしてしまう。
ようするに以前私とお師匠さまが魔力再充填装置の開発で苦心した安全性への配慮が、この魔法式にはすっぽり抜け落ちていた。
第一こんな風に乱雑に魔力を集めて魔法陣や魔導具に注ぎこもうとしても、整流しなければまともに使えないはず––––
そこまで考えて、気づく。
(……そうか。この魔法陣は『魔法』を発動するためのものじゃないんだ!)
魔法陣の中心に刻まれた神聖文字。
おそらくその文字列が、この不可思議な魔法陣の核なのだろう。
やがて魔法陣を刻み終えた老人は、ヨロヨロと台座の方に歩み寄り、その前に跪いた。
「やっと…………やっとこの時がきた」
ぜえぜえと苦しそうに言葉を吐き出す。
そしてローブの内側からごそごそと何かを取り出した。
取り出したものは、ふたつ。
彼はそれらを両腕で抱え込むように固く抱きしめると、震える手で台座の足元に横たえる。
(えっ????!)
私は自分の目を疑った。
台座の前に寝かされた二体のぬいぐるみ。
古ぼけ、汚れ、黒いしみで染まっているけれど、私はすぐにそれが何かを理解した。
(ココと……メル?)
私の大切なパートナー。
前世のレティシア、そして宮原美月と共にあった、二体のテディベア。
今は動くことも話すこともない二人が、そこに横たえられていた。
老人が呟く。
「遅くなってすまん……。君が逝って五十年。ここまで来るのにこんなにも時間がかかってしまったよ」
彼はそう言うとこうべを垂れ、しばし指を組んで祈った。
そして、指を解く。
「……女神ディーリアよ」
老人が左手を伸ばし、中央の魔法陣の一箇所に触れる。
「砕け散りし創世の女神の欠片よ。今もこの地に在るのなら、集いて我が言葉に応えよ!」
そして、私には分からない祈祷の言葉を呟く。
すると彼の指先が白く光り、床に刻まれた神聖文字が白く光り始める。
神聖魔法。
その温かい光は、かつて見た神官による癒しの術によく似ていた。
自らの術が発動するのを確認した老人は、今度は右手を伸ばし、魔法文字が刻まれた外側の魔法陣に触れた。
「––––我が魔力と命。そして魂を、君に」
その手から魔力が流れ、魔導式が順に青白い光を放ってゆく。
やがて白と青の光は繋がり––––二重の魔法陣が眩く輝いた。
老人が顔を上げ、叫ぶ。
「ディーリアよ、彼らを彼女の元へ! 我が魂を糧に、彼らが永遠に彼女の盾と矛とならんことを!!!!」
その瞬間、風が吹き荒れた。
暴風と呼ぶに相応しい魔力の嵐。
吸魔の魔法陣が発動し、風が渦を巻き、まるでブラックホールのように辺りの魔力を根こそぎ吸い込んでゆく。
「おおおおおおおお!!!!!!!!」
魔力の嵐が老人のローブが吹き飛ばし、素顔が露わになる。
片目がつぶれた白髪の老人。
一瞬その姿が誰かに重なって見えた。
吸魔魔法陣はみるみるうちに老人の魔力を吸い取り、それに呼応するように中央の神聖魔法陣がさらに眩く煌めく。
「う、おおおお……っ」
老人が両腕を大地につき、倒れかけたその時だった。
(……!!)
魔力と閃光の嵐の中、台座の足元に寝かされていたココとメルを光の粒子が包み、ふわりと持ち上げる。
「お、おお……っ!!」
老人の片目から光るものが流れ、風で飛ばされる。
魔法陣の中心から空に向かって放たれる、眩い光の柱。
その中で。
ココとメルは光の粒子となって天に昇ってゆく。
「どうか君の魂が、次の世では安らかでありますように……」
そして老人はある名を呟き、その場に倒れた。
やがて聖なる光と魔導光が消え、風が収まる。
残されたのは荒涼とした砂地と遺跡、老人の亡骸だけ。
(––––!)
再び私の世界が反転し始める。
耳に響き続ける、彼の声。
「––––レティ」









