第162話 二度目の鐘の音
「高度を上げるからついて来て」
「「了解」」
仲間たちの返事を確認した私は、セレステポルテの街に近づく前に高度を上げた。
白亜の街と行き交う帆船たちが、雲の下に隠れてゆく。
低層の雲を抜け、昨日ぶりに雲の上に出る。
とはいえ今眼下に見えているのは分厚い雪雲ではなく、風でどんどん形を変えてゆく『うね雲』だ。
「今日はもう少し高くまで上がりましょう」
私はさらに上を目指した。
五ヶ月前、迷宮国に向かう時にも高めのところを飛んだけれど、今回の旅では前回よりさらに高いところを飛ぶ。
理由は簡単。
人数が増えて地上から見つかりやすくなったから。おまけにうね雲ではタイミングによっては姿が露出してしまう。
十分な高度まで上がり水平飛行に入った私は、ポケットから懐中時計を取り出した。
「ええと…………よし。ほぼ予定通りに飛べてるわね」
時刻は、あと三十分でお昼というところ。
眼下の雲の切れ間からは、ちらちらと小さくセレステポルテの街が見えている。
あと少し飛べば、位置標識の誘導魔力波をキャッチできるだろう。
「そういえば––––」
後方を飛ぶオリガの声が聞こえた。
「今日は聖国に一泊するのよね?」
「そうよ」
「それじゃあ、その……」
「?」
珍しく言いよどむオリガ。
「どうかした?」
「いえ、ええと……………………やっぱり、大聖堂に寄ったりする時間はないわよね?」
「んん?」
軽く振り返ると、彼女はバツが悪そうに目を逸らす。
これは……
「ひょっとして、礼拝に行きたかったりする?」
「うぐっ」
「図星か」
まあ、気持ちは分からないではないけれど。
私だってルーンフェルト魔術学校があるポルタ島に渡る船に最初に乗ったときには結構なテンションだった。
それこそアンナから「レティア、ちょっと落ち着きなさいな」と苦笑いされるくらいに。
そんなことを思い出して私がくすりと笑うと、オリガはムスッとした顔をする。
「な、なによ。仕方ないでしょ? まさか自分が北大陸に渡る日が来るなんて思わなかったんだから」
「そうなの?」
「そうよ。北海に面した南部領地ならいざ知らず、うちみたいなノルドラント北部の人間にとっては『聖都巡礼』なんて夢物語よ。人生で一度、運が良ければ行けるかもしれない––––そういうものなのっ」
オリガがぷりぷりしながらそう言うと、今度はリーネの声が聞こえてきた。
「南部でも外国に行けるのは船乗りと商人、あとは海軍と貴族の方くらいですね。私もまさか自分が聖国に行けるなんて、思ってもいませんでした」
「そうなんだ」
聖国に隣接するハイエルランドの人間にとって、聖都巡礼はお伊勢参りのようなものだ。
遠いけれど、その気になれば行けないことはない場所。
だけど他の大陸の人にとってはそうではないのだと認識を新たにする。
そこで、それまで話を聞いていたテオが口を開いた。
「実は僕も聖国を訪問するのは初めてなんだ」
「えっ、テオも?」
海洋国家エラリオンの王子の意外な言葉。
王国がある内海から遥か遠く、北海での交易にも手を出しているエラリオンだ。
ダリス教を信仰している人も多いと聞くし、王族である彼はてっきり巡礼したことがあるのかと思っていた。
私のリアクションにテオは苦笑する。
「熱心なダリス信徒じゃないしね。両親や上の兄は巡礼したことがあるらしいけど、下の兄と僕はこれまで機会がなかったから」
「へえ……。どうする? 礼拝したい??」
「そうだな。皆が行くなら一緒に行くよ。聖国の中心に入る機会なんてそうそうないし」
「なるほど。––––ちなみにレナは?」
私が話を振ると、小柄な友人はこう答えた。
「礼拝には興味ない。…………でも、聖都の街はちょっと見たい」
「そっかぁ」
私にとっては実家への帰省だけど、みんなにとっては滅多にない大旅行。
延泊して観光……礼拝するのも良いかもしれない。
––––前回の白昼夢の件も気になるし。
「分かった。じゃあ延泊して礼拝できるかどうか、公使に相談してみましょう」
「「やったぁ!!」」
みんなから一斉に歓声があがる。
とはいえ、前回と違って今回はこの人数での予定変更だ。
果たしてすんなりOKをもらえるだろうか……?
☆
「まったく問題ありません。前回同様、特別礼拝の話も通してありますし、何泊でもしていって下さい」
聖国のハイエルランド公使公邸。
私が延泊と大聖堂礼拝の件を切り出すと、久しぶりに会うハイエルランド公使のノールズ伯は笑顔で頷いた。
というか、もう予約までしてくれてた。
「あははははは」
「?」
思わず乾いた笑いが出た私に、公使が笑顔のまま首を傾げる。
こうして私たちは昼食と休憩のあと、すっかり薄暗くなった聖都の中心部へと出かけたのだった。
☆
「これが大聖堂……。話には聞いていたけれど、想像以上だわ」
大聖堂の一番奥にある礼拝堂。
オリガがもはやよく見えないほど高い天井を見上げ、感嘆の声を漏らした。
すでに日は落ち、礼拝堂の中を照らすのは蝋燭と魔導灯の灯りのみ。
「なるほど、確かにすごいな。歴史的・宗教的な意味でも、美術品としても」
「なんか、圧倒されちゃいます」
「……孤児院の礼拝堂の十倍はある」
仲間たちも思い思いに聖堂の中を見まわしている。
そんな中、二度目の礼拝となるアンナは一人祭壇に進み、女神ディーリアの像の前で跪いた。
指を組んで目を閉じ、静かに祈りを捧げる。
普段は教会にも行かないしあまり意識もしないのだけど、彼女は女神ディーリアの信徒だ。
本人曰く、
「敬虔なダリス教徒ではありませんが、毎朝ディーリアに誓いを立てているんですよ」
ということだった。
「誓い?」
と聞き返すと、口に人差し指を立てて「秘密です」と微笑んだのが印象に残っている。
薄暗い灯りの中、祈りを捧げるアンナ。
そんな彼女に気づいて、辺りを見まわしていた他の仲間たちも祭壇の前にやって来る。
私もアンナの隣で跪き、女神像を一瞥して目を閉じた。
(–−−−ディーリア。この前の『あれ』は何だったんですか?)
女神が本当にいるかどうかは分からない。
それでもそう問わずにはいられなかった。
私にとっての『悪夢』。
あの時見たのはその悪夢の先の光景だった。
私と家族が処刑され、元婚約者が王となった未来。
炎にのまれるハイエルランドの王都。
そして私に代わって王妃になった女と、彼女に刺し殺される愚王。
ただの夢にしてはあまりにリアルで、生々しい白昼夢。
そこに意味を求めなければ、到底納得ができない現象だった。
「…………」
あたりが静まりかえり、全員が祈り始めたことを知る。
その時だった。
ゴーン、ゴーン、ゴーン……
また、あの鐘の音が響いた。
不安に鼓動が早くなる。
礼拝堂に反響する鐘の音。
重なる音が私をゆさぶり––––
「っ?!」
再び世界がぐるりとまわった。