第157話 リーネの帰省
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大変お待たせしました。
仕事がひと段落しましたので更新していきますよ!
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ルーンスタッドの街を出発して馬車で二日。
前日のうちに訪問時間の調整をした上で、アストリッド侯爵邸に向かったリーネとアンナと私。
屋敷の門を通過し、広い広い森を抜けたところで、窓から外を見ていた私は顔をしかめた。
「うっ……これはちょっとやりすぎじゃない?」
お屋敷前の車まわし。
そこに使用人と思われる人々がずらりと並んでいたのだ。
隣で一緒にその様子を見たリーネは、目を丸くして「ひゅっ」と変な声を漏らしていたけれど––––
「お、お母さん?!」
そう叫んで窓に張りついた。
屋敷の玄関には三人の人物が立っていた。
一人は歳の割に快活そうな……はっきり言えばちょっと軽そうな四十前くらいの茶髪の男性。
その隣には、不機嫌を押し殺した顔で立つダークブラウン髪の女性。
容姿と並びから察するに、彼女がフレヤの母親だろう。
そして男性を挟んでフレヤ母の反対側に一歩下がって控えている亜麻色の髪の女性。
他の二人に比べると地味ではあるものの、決して安いものではないと分かる装い。
ただその装いと使用人然とした立ち姿のちぐはぐさに、彼女が慣れない場に慣れない衣装で立たされていることを理解する。
つまり、彼女がリーネの母親なのだろう。
「エリク王子からの手紙に何が書いてあったのか一目瞭然ね」
「手紙、ですか?」
振り返ったリーネに、頷く私。
「おそらく侯爵に、リーネとお母さまの待遇改善を要請したのよ」
「私とお母さんの?」
「ええ。公開こそされていないけど、リーネはアイゼビョーナの一員で『湖中迷宮暴走事件』の英雄だもの。王家としても無下に扱われるのを放置できないでしょう」
「そんな……私、皆さんについて行っただけですよ」
戸惑うリーネに、私は微笑んだ。
「あなたが一緒に来てくれたから私たちは生きて帰ってこれた。他のみんなもそう。胸をはって、リーネ。あなたの命がけの献身がお母さまの待遇を変えさせたのよ」
「レティアさん……」
リーネが今にも泣きそうな顔をする。
「さあ、成長したあなたをお母さまに見せてあげましょ」
「はいっ!」
笑顔で頷く友だち。
ほどなく馬車は、侯爵邸の玄関前に停まった。
「お会いできて光栄です。アインベル嬢」
「身に余るお言葉です。アストリッド侯爵閣下。こんなに歓待頂けるなんて、感激です」
人好きしそうな笑顔で立礼する侯爵に、カーテシーで返す私。
そんな私を見て、ぴくりと片眉を動かすフレヤ母。
見る人が見れば分かるはず。
私の礼儀作法は歴史あるハイエルランドでも最上級のもの。
礼儀正しく、誇り高く。
そして可憐に。
何年もかけて王子妃教育で叩き込まれた立ち居振る舞いは、生まれ変わり、やり直しても忘れることはない。
「故あって名乗ることができないご無礼をお許し下さい」
「エリク殿下から事情は伺っております。我が国も武と智を尊ぶのは貴国と同じ。ましてや貴女は我が国の恩人です。歓迎致しますよ、アインベル嬢」
そうして侯爵との挨拶を終えた私は、今度は彼の妻……つまりフレヤの母親を紹介された。
「フレヤさまとは何度か言葉を交わさせて頂いたことがあります。今回の冬季休暇では帰省されないのでしょうか?」
私の問いに一瞬固まるフレヤ母。
だが彼女はすぐに微笑の仮面をかぶり直すと、何事もなかったかのようにこう返してきた。
「娘からは明後日戻ると聞いておりますわ。戻りましたらあらためて挨拶させるように致しましょう」
「それは楽しみです! ご配慮に感謝致します」
そうやって笑顔をぶつけ合う私とフレヤ母。
そして最後の一人。
侯爵はリーネのお母さんをこう紹介した。
「彼女は、レティアさんが懇意にして下さっている我が娘、リーネの母親です」
彼女は自分の妻ではない。
だがリーネは自分の娘だ。
……そういうことだろう。
つまり侯爵はリーネを認知したんだ。
私がそんなことを考えていると、目の前の女性はぎこちないカーテシーで立礼した。
「初めてお目にかかります。リーネの母親のセルマと申します。娘と懇意にして頂き、本当にありがとうございます」
無意識なんだろう。
親友のお母さんの言葉は「本当に」という部分にとても強い感情が乗っているように思われた。
大きな不安とともにリーネを魔術学校に送り出したセルマ。
彼女にとって私は、大切な娘のことを頼める唯一の人間なのだろう。
その心の内を思うと、彼女をむげに扱うことはできない。
「リーネ、ちょっとこちらへ」
私は振り返ると親友を呼んだ。
「あっ、はっ、はいっ!!」
おっかなびっくりこちらにやって来るリーネ。
そうして私は、彼女を自分の前に立たせた。
「セルマさん。リーネに助けてもらっているのは、むしろ私の方なんです。彼女が一緒に戦ってくれたからこそ今、私はここに立っています」
私は親友のお母さんに近寄り、その手を取る。
「え?」
茫然とする彼女に私は言った。
「私が敵から狙われたとき、いち早く気づき教えてくれたのがリーネでした。それにうちのパーティーで一番強力な攻撃魔術が使えるのはリーネなんですよ。彼女がいなければ、私も、仲間たちも、エーテルスタッドの街も、無事ではすまなかったでしょう。どうか娘さんのことを誇りに思って下さい」
「は、はいっ」
セルマの瞳がうるむ。
私は一方下がり、リーネの背中を押した。
「お母さんっ!!」
「リーネ……」
母の胸に飛び込むリーネと、そんな彼女を抱きしめるセルマ。
思わずもらい泣きしそうになるのを必死でこらえる。
幼くして母を亡くした私には、なかなか胸にくる光景だ。
でもまあ、ここまでやれば私とリーネがどれだけ親しいのかが周りにも伝わったはず。
もちろん、アストリッド侯爵とフレヤの母親にも。
リーネとセルマがひどい扱いを受けることは、二度とないだろう。
その時、隣に立っていた侯爵が口を開いた。
「そうだ、アインベル嬢。ひとつ提案があるんだが」
「提案、ですか?」
聞き返した私に、アストリッド侯爵は悪気のなさそうな笑顔で頷いた。
☆
五日後。
私たちはアストリッド侯爵邸の裏にある広大な庭園迷路を、屋敷の二階のテラスから見下ろしていた。
「この迷路は一族と家門の騎士たち、魔術師たちの訓練のためにうちの先祖が作ったものでね。分かりやすく言えば、迷宮の天井を取り除いたものなんだ。まあ初級迷宮で飛行系の魔物は出ないし、露天とはいえ壁が高いから魔物が外に出てくることは滅多にないよ」
「「えっ……」」
ぶっとんだ内容を楽しそうに話す侯爵。
その言葉に絶句する私たち。
さすが迷宮国を支える二柱のうちの一柱。
『豪炎のアストリッド』を標榜するだけあって、発想が脳筋方向に振り切れている。
ちなみに絶句した『私たち』というのは、アイゼビョーナのフルメンバーと、フレヤの取り巻きたちだ。
三日前にフレヤが取り巻きたちを連れて実家に帰ってきた。
そして昨日、オリガとレナ、テオがこちらに到着。
今私たちがここに集まっているのは、侯爵から先日の提案の詳細を聞くためだ。
その提案とは要するに、フレヤのパーティーとアイゼビョーナで庭園迷路を同時攻略し、どちらが先にゴールできるかを競い合うゲームをしないか、という内容だった。
「迷路の入口は十二箇所。どの入口から入るかはくじ引きで決める。合図と同時に突入し、中央付近に設置してある旗を先に取った方が勝ち。ただし相手チームへの攻撃は禁止。––––どうだい? レクリエーションとしては悪くないと思うんだが」
侯爵の言葉に、顔を見合わせる私たち。
「みんな、どうしよう。参加する? もちろん断ってもいいけど」
私が尋ねると––––
「面白いじゃない。私はやってみたいわ」
そう言って不敵に笑ったのは、オリガ。
「僕はレティの意見に一票」
「私はレティアの決定に従います」
テオとアンナが同時に答え、互いの顔を見て眉をひそめ合う。
「私もやってみたいです。お母さんに成長した私を見てもらいたい!」
リーネが「ふん!」とこぶしを握って意気込みを口にすると、
「みんながやるなら、やる」
レナが私の顔を見てそう言った。
様々な出来事を通じて、チームとしてまとまってきた私たち。
私は苦笑すると、みんなに頷いた。
「分かった。やるからには、勝ちにいきましょう」
「「おーっ!!」」
こうして私たちは、フレヤのパーティーと迷路の攻略を競い合うことになったのだった。