第150話 本当の名前
☆
空が白み始めている。
三体の迷宮主級の撃破から一時間。
その間に私は、新たに出現した一体の迷宮主級を屠っていた。
現場の状況も大きく変化している。
迷宮主級が排除され、ポルタ島から本格的な援軍が到着したことで、迷宮入口付近で暴れていた魔物たちは一掃。
バラバラと出てくる魔物を狩りながら更なる援軍を待って、迷宮深層に突入しようということらしい。
そして今、私たちは討伐軍の臨時指揮所でこの国の第一王子と向き合っていた。
「呼び立ててすまないね」
エリク王子は会議机のお誕生日席に座り、やや疲れが滲んだ顔で私たちと向き合っていた。
「いえ。私もお話ししなければならないことがありましたから」
彼の対面の席に座った私は、そう言って笑みを浮かべてみせた。
ちなみに今この場には、うちのパーティーメンバー全員が揃っている。
私と一緒にいたリーネとセオリクはもちろん、アンナが連れて来てくれたレナと、自分から指揮所にやってきたオリガも同席していた。
オリガは事態を知って『貴族の義務』として参戦しようとしたものの、魔力量の少なさから一人では参戦できず、せめて伝令なりで協力しようとここに来たらしい。
これからどうするかをみんなで話さなければならないけれど、その前にエリク王子が話があるということで、こうして全員でここにいるのだった。
「まずは礼を言わせて欲しい。貴殿の加勢に感謝する」
そう言って私を見つめるエリク王子。
私は首を横に振った。
「あれは自分を守るためにしたことですから。逃げるより戦う方が勝算があると判断しただけです。感謝には及びませんわ」
そう。
あれは私の単独行動。
一応、本国からは『好きなようにやれ』と言われているけれど、エリク王子からの避難勧告を無視しての行動でもあるし、外交問題化するのは避けたかった。
私の素性もできるだけ伏せたいし。
私の言葉にエリク王子は一瞬目を丸くすると、すぐに苦笑した。
「そうはいかないよ『伯爵』。先日も言ったがこの件はすでに国同士の話になっている。我が国としては既に貴国に正式に支援を申し入れているんだ。––––それに迷宮主級を四体も討伐してもらっておいて『なにもなし』とはいかないさ。ことを公にしないにしても、王家同士ではきちんと話をつけておく必要がある」
「うぐ……」
殿下の正論に、返す言葉もない。
「その上で正式に要請しよう。伯爵、どうか我々に力を貸して欲しい。我が国はハイエルランド王国のエインズワース伯爵に、あらためて迷宮討伐の支援を要請する」
まっすぐ私を見つめるエリク殿下。
私は内心でため息を吐くと、こう返した。
「条件つきで、支援要請をお受け致します」
私としても早期に事態を収拾したかった。
ぐずぐずしていたらナタリーの一味の残党にさらにちょっかいを出されるかもしれないし……このままじゃあ、いつまで経っても魔術の勉強ができないから!
支援要請を受けるにあたり、私が出した条件は三つ。
一つ、私たちの素性の秘匿に全力を尽くすこと。
二つ、パーティーの自由行動を認めること。
そして三つ目は、私に討伐部隊に対し『撤退』を命じる最優先の指揮権限を与えること。
前の二つはともかく、最後の条件は『ありえない』内容だ。
軍はその国の暴力装置であるだけでなく、国の象徴でもある。
自国の軍隊の指揮権を、一部とはいえ他国の人間に委ねるなど、普通はありえない。
まさに禁じ手。
正直私も、そのまま要求が通るとは思っていなかった。
でもこの条件は、私たちが素性を隠しながら全力で戦うには、必要不可欠なものだった。
おそらくすんなりとはいかない。
そう思っていたのだけど––––
「貴殿の要求を受け入れよう」
驚いたことにエリク王子は、あっさり首肯した。
「え? でも、よろしいんですか?」
「ああ。どのみち我が軍だけで討伐を進めようとすれば多大な犠牲が出る。そのくらいで犠牲が減らせるなら安いものだ。迷宮の中なら民の目もないしね」
そう言って笑うこの国の王子。
柔軟で理知的な思考。
きっと将来は良い王になるだろう。
こうして私たちの討伐参加が決まったのだった。
その後少しだけ実務的な打合せを行い一区切りついたところで、私はナタリーの話をエリク王子に報告した。
「……そうか。あれはやはりナターリエだったか」
「『やはり』というのは?」
「卿が攻撃を受けたところを、僕も後ろから見ていたんだ。彼女の得意技は遠距離からの精度の高い『雷撃』の魔術だ。まさか、とは思っていたが……」
「見ていたのですか?」
私が非難をこめて問い返すと、王子は肩をすくめた。
「偶然な。……しかし、そうか。では残念な結果になってしまったな」
「どういう意味です?」
「あの後、君が吹き飛ばした宿を捜索させたんだが、現場からは誰の遺体も発見されなかった。自分で逃げたか仲間が助けたのかは分からないが、おそらくもうこの街にはいないだろう。避難命令で街の出入り口は開放されているからね」
「そうですか……」
私は複雑な気持ちで呟いた。
彼女を取り逃したのは、私のミスだ。
あの場ですぐに彼女の生死を確かめるべきだった。
でもあの時はまだ迷宮主級が一体残って暴れていたし、下手に半壊した建物に近づいて倒壊に巻き込まれたりしたら元も子もなかった。
そう思ったのだけど……。
やはり甘かったのかもしれない。
「彼女の行方と背後にいる組織については我々も引き続き捜査を進める。何か分かり次第そちらに情報を共有するから、そちらも分かったことがあれば教えてくれると助かる」
「承知致しました。殿下のご厚意に感謝いたします」
そうして私はエリク殿下に謝意を伝えたのだった。
☆
王子との会談が終わり天幕を出た私たち。
外はすでに夜明けを迎え、東から陽の光が街を照らし始めていた。
吐いた息が白く輝く。
そんな空気の中、みんなを先導するように歩くオリガ。
「…………」
彼女はひと言も発しないまま立ち並ぶ天幕を縫って人けのないところまで歩いていくと、ぴたりと立ち止まり、こちらを振り返った。
オリガの冷たい瞳が、私を射抜く。
「それで? 私たちに何か言うことがあるんじゃありませんか? 『エインズワース伯爵』閣下」
うっ……。
ですよね?
「ええと––––」
視線を宙に漂わせる。
何から話すべきだろうか?
私が逡巡していると、オリガが小さくため息を吐いた。
「ハイエルランド王国オウルアイズ侯爵家長女。魔導具づくりの天才。昨年の『王城襲撃事件』では王と王子を守り襲撃してきた四騎の飛竜を撃墜。その功績により伯爵に叙される。二つ名は『銀髪の天使』、『可憐なる魔導の女神』。––––私が調べて分かったのは、そんなところかしら」
そう言って首をすくめると、彼女は私を見た。
「それで、貴女はどなた?」
私を見つめる友人の二つの瞳。
その瞳に、はっとする。
これは『ちゃんと自己紹介しなさい』ということだろうか。
私は深呼吸すると、みんなの顔を見た。
「私の名前は、レティシア・エインズワース。今オリガが言ったように、ハイエルランド王国から伯爵位をお預かりしています。そして彼女は––––」
私は手でアンナを示す。
「アンナ・フェアクロフ前男爵令嬢。私が小さい頃から侍女をしてくれているけれど、私は実の姉のように思っているわ」
にっこりと微笑むアンナ。
「素性を隠していてごめんなさい。色々あって、私が私であることを人に知られたくなかったの」
みんなにどんな反応をされるか、怖い。
ひょっとしたら、絶交されるかもしれない。
けれどみんなから返ってきた反応は、意外なものだった。