第147話 再びの蜘蛛との戦い、そして
☆
「位置からすると鍵のようだが……」
片膝をつき、蜘蛛に手を伸ばすフリデール先生。
「待ってくださいっ!!!!」
突然の私の叫び声に、先生は伸ばしかけた手を引っ込めた。
「なんだい?」
じろりと振り返る校長先生。
「それ、罠かもしれません」
「罠?」
「はい。以前それに似た蜘蛛の魔導具を見たことがあるんです。大きさは全然違ってもっと大きかったですけど、その魔導具には取り外そうとすると発動する罠が仕込んでありました。……あの、ええと、ですから、触れられるのであれば用心された方が良いかと」
「ふーん」
訝しげに私を見つめる先生。
私はつい、と目をそらす。
––––あぶないあぶない。
あの事件のことは、未だハイエルランドとエラリオンの両王家、それにオウルアイズの関係者だけの秘密となっている。
あまり詳しく喋る訳にはいかない。
私が動揺する姿を見てどう思ったのか。
フリデール先生はこう尋ねてきた。
「それじゃあ、あんたならどう調べるね?」
「……ちょっと見せて頂きますね」
私は先生と場所をかわると、膝をつき、問題の箱の扉にそっと指を触れた。
もちろん、蜘蛛に触れぬように気をつけて。
「…………魔力は感じませんね」
つまり、テオに張りついていた蜘蛛のような『バッテリー代わりの魔石』は、この中にはない。
内部魔力で起動する罠はなさそうだ。
では、外から魔力が与えられた場合はどうだろう?
「先ほど伝送を止めた『柱』の魔力に近い波長を送って、内部の魔導回路の構造を確認します」
「なぜ、わざわざそんなことを?」
後ろから尋ねてきたオリガに、振り返らずに説明する。
「この箱に入力されていた魔力と近い波長であれば、仮に外部からの魔力探査に反応する『罠』であっても、反応しない可能性が高いでしょう?」
「なるほど。さすがね」
オリガの声を背に、私はゆっくりと右手の人差し指で蜘蛛の背に触れた。
––––ひんやりとした、不気味な感覚。
「それじゃあ、いきますっ」
私は宣言すると、先ほど『柱』で感じた低めの波長を思い出しながら、できるだけそれを再現するように指先から魔力を少しずつ送り込む。
「…………」
緊張に、指先が震える。
私の魔力は蜘蛛の背中から内部へ。
そして抵抗が少ない魔導金属線を流れ、その流路を暴きだす。
さらに指先に神経を集中する。
見つけた魔導回路の一本一本を頭の中に引き直し、三次元の図面を描いてゆく。
そして––––
「先生が仰った通り『鍵』で間違いなさそうです。たぶん、罠もないと思います」
私の言葉に、後ろの仲間たちが一斉に「はぁああああ」と息を吐き出した。
「開錠はできるのかい?」
フリデール先生の問いに、頷く私。
「魔力操作ができない者でも、『鍵』を持っていて暗証番号を知っていれば開錠できるように作ったんでしょう。蜘蛛の八本の脚に、決められた順番でそれぞれ決まった波長の魔力を流せば開錠できるはずです。なかなか複雑な鍵ですね。––––少し時間はかかると思いますが、開けますか?」
「……そうさね。お手なみ拝見といこうか」
「分かりました」
そうして私は件の蜘蛛に、一年ぶりに戦いを挑んだのだった。
結局開錠には、そこそこの労力と時間を費やすことになった。
『鍵』となる波長を割り出すのはそれほど難しくなかったけれど、八本の脚に魔力を流す順番を特定するのにとても苦労したのだ。
各脚に設定された波長の割り出しは、脚に一本ずつ触れて波長を変化させながら魔力を流し、その先の回路に魔力が流れるかどうかで判別を行った。
問題はそのあと。
鍵内部の変化をモニターしながら一本ずつ魔力を流し、わずかな違いを暴きだす。
そうして解錠できたのは、取り掛かって半刻ほど経った時だった。
最後のキーに魔力を流すと、ガチャリと音がして箱の扉が開いた。
皆が中を覗き込む。
「……なんだい? これは」
「毛の束、でしょうか? すごい量です」
「あっ!」
フリデール先生とリーネのやりとりを聞いていたオリガが声をあげた。
「ひょっとして、『これ』が貴女が言っていた波長変換機構???」
振り返った彼女に、私は頷く。
「すごく原始的な方法だけどね」
箱の中には、下部から入力される六本の魔導金属線と、アンテナに繋がる上部の極太線。
そして上と下を結ぶ大量の毛の束が配線盤に固定されていた。
「とにかく、これで一つはっきりしました」
私の言葉に、皆の視線が集まる。
「この魔導装置を使って湖中迷宮を暴走させようとした犯人は、去年ハイエルランドの王宮を襲撃した連中……ブランディシュカ公国と何らかの繋がりがある可能性が高い」
「つまり、昨日あんたが言っていた生徒会書記のことかい?」
フリデール先生が目を細める。
「彼女が関係しているかどうかは分かりません。が、調べる価値はあるんじゃありませんか? 彼女はブランディシュカ公国の貴族の血縁者なのでしょう?」
「––––すぐに王子に連絡を入れよう」
こうして私たちは、『彼女』……ナターリエ・バジンカの調査をエリク王子に託したのだった。
☆
翌日。
「行方不明?」
聞き返した私に、エリク王子は苦々しげな顔で頷いた。
「昨晩うちの騎士が、彼女が泊まっている宿を訪ねたのだがな。部屋はもぬけの殻だったそうだ。宿の従業員によれば昼食は部屋でとっていたようだから、いなくなったのは昨日の午後だろう」
「午後といえば、私たちが東の迷宮の調査をしていた頃ですね。……他に監視がいたのか、あるいは魔力の伝送状況を監視する装置があったのか。いずれにせよ彼女が犯人の一味で、こちらの動きに対応してすぐに身を隠したとすると、向こうはかなりしっかりした組織のようです」
「敵の方が一枚上手だった、ということだね」
フリデール先生の言葉に、私はぽつりと呟いた。
「その差が一枚であれば良いのですが……」
☆
ナターリエ・バジンカの捜索と、魔力伝送装置を設置した組織の調査は、エリク王子の指示の下、かなりの規模で行われることになった。
その間、校長先生と私たちは残る二つの迷宮に赴いて、魔力伝送装置を破壊してまわる。
二日目は西の中級迷宮を。
三日目は北の上級迷宮の対処を行った。
最後の伝送装置の停止を確認すると、フリデール先生は大きく息を吐いた。
「やれやれ。色々あったけど、これで湖中迷宮の魔力量も落ち着くだろうよ。魔物の生成速度さえ平常通りになれば、あとは地道に討伐を進めていくだけだ。––––あんた達にはずいぶん手間をかけさせたね」
「お役に立てたのであれば、なによりです」
先生のねぎらいの言葉に、微笑を返す私。
すると隣のオリガが首をすくめた。
「私たちはほとんど見てるだけだったけどね」
「昨日と今日はみんなが鍵開けを代わってくれたじゃない。すごく助かったわ」
私がそう言うと、
「まあそのくらいはね。私たちもいい勉強になったし。ね?」
オリガの言葉に「はいっ」と笑顔で答えるリーネと、黙って頷くレナとセオリク。
この数日、濃密な時間を一緒に過ごしたからだろうか。
少しだけみんなの距離が近くなった気がした。
その後、私たちはエーテルスタッドに戻って解散。
(これで私の出番も終わりね)
肩の荷がおりた私は、そんなことを思いながら眠りについた。
––––が、数時間後。
その考えはとんでもなく甘いものだったと思い知らされることになる。
☆
その夜。
正確には未明。
私は外から聞こえてくる鐘の音に叩き起こされた。
カーンカーン、カーンカーン––––
激しく打ち鳴らされる鐘の音。
その鐘の細かい意味は分からない。
それでもそれが緊急事態を告げる合図だということだけは、私にも分かった。
「起きなきゃ……」
まだはっきりしない頭を押さえながら身体を起こし、ベッドから降りる。
「あっ」
昨日までの疲れが残っているのか、はたまた頭が寝ぼけているのか。
平衡感覚がおかしくなり、よろめく。
その時、目の前の扉がガチャリと開いた。
「お嬢さまっ!!」
魔導ランプを片手に部屋に飛び込んできた寝巻き姿のアンナが、慌てて私を支える。
「大丈夫ですか???」
「だいじょうぶ。まだ頭が寝てるみたい」
心配そうに尋ねる侍女に、私はそう言って笑ってみせた。
「それより、何があったのかしらね?」
「分かりません。ただ、すぐに動けるように身支度は整えておいた方が良いと思います」
「そうね」
私たちは頷きあい、すぐに着替えを始めたのだった。
手早く身支度を終え、階下に降りる。
と、そこには出張所のみんなと、リーネが集まっていた。
グレンとヨハンナ以外は、着の身着のままだ。
みんなの雰囲気も、表情も、ただごとじゃない。
「皆さん、おはようございます。何が起こっているのか分かりますか?」
私の問いに答えたのは、グレンだった。
「実はつい今し方、エリク王子殿下から遣いが来たのだが……」
「?」
言いよどむグレン。
そんな彼をヨハンナがどついた。
「つっ!」
「躊躇ったって何も変わらないだろ? 緊急事態なんだ。決めるのはレティだよ。本国の意思は関係ない!」
「わ、分かってる! ––––ごほんっ。レティ達に避難勧告があったんだ」
「避難勧告?」
聞き返した私に、頷くグレン。
「湖岸通りに大穴が空いて、そこから迷宮主級の魔物が次々に這い出しているそうだ」
「はい???」
さらに聞き返した私に、今度はヨハンナが答える。
「要するに『エーテルスタッドの街中に、突然、湖中迷宮最下層への道が開いた』ってことだよ。さっきの鐘は全住民への避難命令。あたしらもこのままここでじっとしてたら魔物のエサになる。さあ、どうする?」
「えっ、ええっ?!」
戸惑う私をヨハンナが鋭い目で見据え、叫ぶ。
「今この場で一番偉いのはあんたなんだ、エインズワース伯爵っ! あたしらに指示をくれ!! 『先陣切って戦え』と言えば戦うし、『盾になれ』と言えば盾になる。とにかくあたしらに指示を出してくれっ!!!!」
悲鳴のようなその叫びに、ぼんやりしていた頭が一瞬でクリアになる。
思考が、まわり始める。
私は目を閉じ、状況を整理する。
法的根拠。
人員の扱い。
この拠点の構造。
保有する機密情報。
戦力。
武器。
そして、目を開けてみんなを見た。
「私、ハイエルランド王国伯爵レティシア・エインズワースは、王国外交法第三条第四項『緊急事態』の条項に基づき、これより皆さんを私の指揮下に置きます。皆さんは落ち着いて、速やかにこれから私が出す指示に従って下さい」