第119話 学校めぐりと少女の秘密
☆
「助かるよ。ありがとねー」
ひらひらと手を振るヨハンナに、保健室から出ようとしていた事務の女性は振り返ってわずかに顔を顰めた。
「別に先輩のために彼女の手当をした訳じゃないですから。後輩がケガしてたら放っておけないでしょう」
「そうだね。それでも助かったよ」
笑顔のヨハンナに女性はため息をつくと、私たちの方を向いて微笑んだ。
「フレヤ・アストリッドが杖を受け取って出て行ったら声をかけるから、それまでゆっくりしててね」
「「ありがとうございます」」
「あ、ありがとうございますっ」
ハモる私とアンナに、ワンテンポ遅れて礼を言う少女。
そうして女性が出て行くと、ヨハンナが私たちに言った。
「受験の申込みなんてそう長くは掛からないさ。私らはあのお嬢様たちが帰ってから、ゆっくり申込みに行けばいい」
「そうですね」
頷く私。
すると頬に薬を塗ってもらった少女が、おずおずとこちらを向いた。
「あの、助けて頂いて本当にありがとうございますっ」
ヨハンナが微笑する。
「いいのよ。あなたとあのお嬢様がどういう関係かは知らないけど、ああいうのは絶対あっちゃいけないことだから。最初に動いたレティのお手柄ね」
「いえ、あのままでは私もどうしたらいいか分からなかったです。ヨハンナさんにフォローしてもらえて本当に助かりました」
私はそう言うと、少女に向き直った。
「それで、よかったら『これからのこと』を話したいんだけど、どうかしら」
「これからのこと、ですか?」
「そう。さっきも言ったように、私は当分の間、貴女を守るつもりでいるの。もし街であの人たちにばったり会って、その時に私たちがいなかったら今度こそ何をされるか分からないでしょ? ––––ヨハンナさん。入学までの間、うちで彼女を匿いたいんだけど、ダメかな」
「うーん…………」
考え込むヨハンナ。
彼女はしばし腕を組んで思案すると、やがて「ま、いいか」と呟いた。
「分かった。グレンには私が話をするよ」
そう言って、びっ、と親指を立てる。
「でも、そこまでお世話になる訳には……」
視線を落とし、もごもごと呟く少女。
その様子からは不安な気持ちが伝わってくる。
私は手を伸ばし、彼女の手に自分の手を重ねた。
「これは私たちが決めたことよ。だから申し訳ないと思う必要はないわ。––––もちろん、貴女が嫌なら無理強いはしないけど」
「そんなっ。嫌とか全然そんなことはないですっ!」
顔を上げ叫ぶ少女。
私は彼女に微笑んだ。
「なら、入学までは一緒にいましょ。私も受験の準備をするのに仲間がいた方が心強いわ」
すると、唐突に少女の目から涙が溢れた。
「えっ、泣くほどイヤだった?!」
慌てる私に、彼女はぶんぶんと首を横に振る。
「違うんです。私、こんなに人からよくしてもらったことがなかったから、嬉しくて……」
ぐすっと鼻を啜り、涙を拭う。
私は彼女の涙をハンカチで拭き取ると、手を差し出した。
「じゃあ、これからよろしくね。私はハイエルランドから来たレティア・アインベル。こっちは姉のアンナと、親戚のヨハンナよ」
少女は私たちを順に見ると、私の手を握った。
「アストリッド領から来た、リーネ・ヤンソンです」
「よろしくね、リーネ!」
「はいっ!」
その時になって、彼女はやっと私たちに笑顔を見せた。
––––助けに入って良かったな、と。
改めてそう思う。
そうして私たちは、入学までの短い間、一緒に暮らすことになったのだった。
☆
その後しばらくして、リーネの手当てをしてくれた事務の女性が保健室に顔を出した。
例のご令嬢がたは、杖を受け取ると早々に船に乗って帰ったらしい。
ほっと一息だ。
「じゃあ、私らも行こうか」
「「はいっ」」
私たちは大講堂で受験の申込を済ませ、ヨハンナの案内で学内を見学してまわった。
ちなみに昼食は学校の食堂で頂いたのだけど、郷土料理のニシンとジャガイモのグラタンをメインにしたランチセットはなかなかのものだった。
「おいしい……っ!」
「こんなに立派なお料理は初めてですっ」
「確かに、なかなかのお味ですね」
そんなことを言い合いながら、ホクホクする私たち。
(これはランチタイムが楽しみね!)
学生生活における楽しみの一つ、ランチタイム。
気心の知れた仲間たちとこうしておいしいごはんを食べられるなら、それは間違いなく至福の時間になるだろう。
私は心の中でガッツポーズをしたのだった。
☆
ランチの後も、学生寮や屋内外の演習場などを見学してまわった私たち。
ルーンフェルト魔術学校のあるポルタ島は奥行きがあり、エーテルスタッドの街から見る印象よりもはるかに大きな島だった。
おかげで帰りの船に乗る頃には、空が朱に染まり始めていた。
「ところで、あのフレヤという子はなんであなたをあそこまで嫌うのかしら。よかったら理由を聞かせてくれない?」
一日を共にし、くだけた会話もできるようになってきた私たち。
私は船上で、疑問に思っていたことを尋ねてみた。
顔を曇らせるリーネ。
「あ、もちろん言いたくなければ言わなくていいからね!」
私が慌てて言葉を付け加えると、今日知り合ったばかりの友だちは少しだけ躊躇い、私を見つめた。
「––––いえ、レティアさんたちには助けて頂いてばかりですから。よかったら聞いてもらえますか?」
「ええ。もちろんよ!」
私は彼女の手を取り微笑んだ。
「私のお母さんは、元々アストリッド侯爵様のお屋敷で働くメイドだったんです」
リーネの話は、かなり重たい内容だった。
使用人だった彼女の母親は、ある時雇用主であるアストリッド侯爵に手を出され、リーネを身ごもってしまう。
つまりリーネはアストリッド侯爵の婚外子で、あのフレヤとは腹違いの姉妹だった訳だ。
侯爵本人はそれなりのサポートを与えようとしたらしいけれど、名家出身の妻には耐え難かったらしく、結局母親は使用人寮から追い出され敷地の端の物置小屋に追いやられてしまう。
彼女はそこでリーネを出産。
以来屋敷の母屋に立ち入ることを禁止され、庭の手入れや離れの掃除などを命じられ、二人は下層の使用人とその娘として暮らしてきたらしい。
「私もお母さんもなるべく母屋には近づかないようにしてたんですけど、それでも何度か奥様やお嬢様と鉢合わせしてしまうことがあって––––」
その度に罵声を浴びせられ、躾け用のムチで打たれたのだという。
「それは、つらかったわね……」
私はリーネの手に自分の手を重ねる。
だけど彼女は、はにかんで首を振った。
「確かにムチで打たれるのは痛かったですけど、そういうことがなければ、お母さんと一緒に暮らせて幸せでした。街の学校にも通わせてもらえて、友だちもできたんですよ」
そんな彼女の生活が一変したのは、昨年のことだったという。
「十二歳になって教会で受けた集団魔力検査で、私の持っている魔力が普通の人より少しだけ多いことが分かったんです。それでお母さんが学校の先生にお願いして、私が魔術学校を受験できるように旦那さまに話をしてもらったんです」
結果、負い目があったせいか侯爵はリーネに魔術の教師をつけることを決定。
リーネは今まで立ち入ることが許されなかった母屋に通って、魔術の勉強と特訓を受けることになった。
ただ、七歳から専属の家庭教師がつけられていたフレヤと異なり、一年弱という短期間でリーネが身につけられた知識と魔術は、合格ギリギリのラインだという。
「フレヤお嬢様からは受験しないよう言われてるんですけど、私のためにあれこれ手を尽くしてくれたお母さんのことを思うと、どうしても諦められなくて……」
そう言って儚げに笑うリーネ。
そんな彼女に私は––––
「それなら絶対に合格しなきゃ……だね。一緒にがんばろっ!」
「はいっ!!」
そう言って私たちは、手を握りあったのだった。