第118話 魔術使いの侯爵令嬢
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明らかなトラブルの予感。
なぜそちらに足を向けたのか、正直自分でも分からない。
だけど気がつくと、私は声がした方に一歩を踏み出していた。
「あっ、ちょっ、待ちなよっ!!」
ヨハンナの制止を無視して歩を進める。
私が建物の角を曲がると、その光景が目に飛び込んできた。
校舎の壁際に集まった五人の少女。
上等そうな身なりの四人の少女が私に背を向け、一人の少女を取り囲んでいる。
囲まれた茶髪の少女は壁際に追い詰められ、片頬を押さえて視線を落としていた。
「なんで貴女がここにいるのか、って訊いてるんだけど」
ボス格と思われる、長いダークブラウンの髪を持つ少女が詰問する。
「じゅ、受験するために……」
頬を押さえた少女が震えながら答えると、問うた側の少女が、がっ、と相手の髪の毛をつかんだ。
「ぃぎっ!」
悲鳴をあげる少女。
「ねぇ。誰が受験していいって言ったの? 私、前に言ったわよね。薄汚れた自分の豚小屋でおとなしくしてなさいって」
「……だ、旦那さまにはお許しを頂いて––––」
「はあ?」
ボス格の少女が、ギリギリと髪の毛をねじ上げる。
「痛っ––––」
「私の視界に入るなって言ったわよね?」
「ごっ、ごめんなさ……っ」
「……まあ、いいわ。この子を押さえてて」
指示に従い、茶髪の子の腕を掴む取り巻きたち。
「母親似のその男好きする顔を焼いてやれば、魔術学校に入ろうなんて身の丈に合わない夢を持つこともないでしょ」
そう言ってボス格の子は、カバンから短い杖を取り出した。
「や、やめて––––!」
それを見た少女の顔が恐怖に歪む。
ゆっくりと、杖が掲げられる。
––––だめっっ!!
「『部分防御』!!」
私の手から魔力の防御膜が高速で伸び、パシッ、という音とともに杖を取り上げる。
「なっ?!」
杖を目で追う少女たち。
彼女たちの視線がこちらに向いた時だった。
「おふざけにしては度が過ぎるわね」
足早に後ろから歩いてきたヨハンナが、宙に浮いた杖をサッと掴み取った。
「ちょっと、何するのよ!」
叫び声をあげるボス格の少女に、ヨハンナは杖を見ながら言った。
「この家紋は……アストリッド侯爵家の令嬢か。代々高位の魔術師を輩出してきた家門だね」
ぎくっ、とした顔をする取り巻きたち。
だけど件のアストリッド令嬢は、目を細め見下すような視線を私たちに向けてきた。
「それが分かっているなら、さっさと杖を返してどこかに行きなさいな」
そう言って上から目線で手を差し出す。
「…………」
だがヨハンナは動かない。
「ほら、早く返しなさいよ」
焦れて手を伸ばすアストリッド嬢。
さっと杖を引っ込めるヨハンナ。
令嬢が目を剥いた。
「一体なんのつもり? 平民の分際で私に歯向かうなんて。人生終わらせたいの?」
強烈な恫喝。
だけどヨハンナは臆することなく、皮肉げに笑った。
「先輩に対する礼儀がなってないね。––––これは学校に預けておくから、受験の申込みが終わったら事務室に取りに行ったらいいわ。あと、その子はこちらで保護するから手を離しなさい」
「はぁ? 貴女、誰にものを言ってるのか分かってる?」
「それは私のセリフね。あなたがどこの誰で、その子の出自がどうであれ、学校の自治が認められているこの島では、他人を傷つける行為は全面的に禁じられてるわ。それにルーンフェルトは創立以来五百年にわたって、出自や国籍、種族さえ関係なく学生を受け入れてきた。私たちが今見たことを学校に報告すれば、入学できなくなるのは誰だと思う?」
ヨハンナの言葉に一瞬たじろぐアストリッド嬢と取り巻きたち。
だけど彼女は、すぐに顔を歪めて笑った。
「はっ! ただの平民とアストリッド侯爵家の直系である私、学校はどちらの言うことを信じるかしら?」
「確かに私はただの平民さ。––––本国ではね」
「は?」
「逆に訊きたいんだが、成人もしていない世間知らずの貴族のお嬢様と、ルーンフェルトの卒業生でハイエルランド外交公館の正規職員である私。学校はどちらの言い分を信じると思う? 私の同期にはこの学校で教職に就いている奴もいるんだけどねぇ」
そう言ってヨハンナは、懐からハイエルランドの国章が刻まれたプレートを取り出して見せた。
「くっ!!!!」
目を見開き、言葉につまるアストリッド嬢。
「あと、私や私の関係者に何かあれば、重大な外交問題になることもお忘れなく。そうなった時あなたのお父様はどういう判断をするかしらね」
「…………っ!」
握ったこぶしをぷるぷると震わせ、凄まじい形相で私たちを睨みつけるお嬢様。
「フレヤ様、行きましょう」
すでに女の子から手を離していた取り巻きの一人が、アストリッド嬢に小声で声をかける。
怒りに震えていた令嬢はややあって、ふぅぅぅぅぅ、と息を吐いた。
「まあいいわ。よく考えたら、魔術どころかろくに魔力操作すら学んだことのないこの子が、ルーンフェルトの入試を突破できるわけがないわね。––––さっさと申込みを済ませてきましょ」
「そうですわね」
「行きましょ、行きましょ」
そう言って貴族令嬢たちは、もはや私たちや少女を振り返ることもなく、立ち去って行った。
彼女たちが視界から消えるのを確認した私は––––
「あなた、大丈夫?!」
へなへなと、その場に座り込んだ少女に駆け寄った。
「ちょっと見せてみて」
頬を押さえてガクガク震える少女の手を優しくずらすと、彼女の頬は一目見て分かるくらいに赤く腫れていた。
「ひどいことするわね。––––『清浄なる水よ。我が手から溢れ、ハンカチを濡らせ。水生成』」
私は魔法で自分のハンカチを濡らして彼女の頬に当てると、未だ震えている手を握りしめた。
「もう大丈夫だからね。安心して。私たちがあなたを守ってあげるから」
手を握りしめたまま私がそう話しかけると…………ゆっくりとだけど、震えが小さくなってゆく。
そうしてしばらくして––––
「あの、ありがとうございます……」
少女は視線を上げ、初めて私の顔を見たのだった。