第117話 ルーンフェルト魔術学校
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エーテルスタッドの出張所は、ヨハンナが言った通りこぢんまりとした三階建ての邸宅だった。
高級住宅街のはずれにあるこの邸宅は、元々は地元の商家が建てた屋敷だったらしい。
「さあ、これで職員全員よ」
到着するとヨハンナはすぐにここで働く人を集めてくれた。
私たちを迎えてくれた職員は、グレンとヨハンナを含めて五人。
魔導通信機を扱う通信士の女性が一人、あとは家事全般を担当する元気なおばさんと、無口な料理人のおじさんが一人ずつ。
ちなみにおじさんとおばさんは夫婦で、みんな外務公館の正規職員だという。
「もう良い時間だし、明日の話は夕食後にしようか。二人の部屋に案内するからついてきて」
そうしてヨハンナに部屋に案内してもらった私たちは、夕食の時間までしばし体を休めたのだった。
夕食後、私とアンナはヨハンナから魔術学校の話を色々と聞くことができた。
明日の見学の主な目的は、入学試験の受験申込みであること。
入学要件は特になく、年齢・性別・国籍・人種に関わらず受験できるけれど、手続きは必ず本人が学校を訪れ、試験の前日までに行わなければならないこと。
入試は簡単な筆記試験と実技からなり、その結果によってクラス分けされること。
……などなど。
在学期間が二年で全寮制であることは事前に調べて知っていたけれど、寮が二名一室の相部屋だったり、魔術師コース以外に魔術による武器攻撃強化を学ぶ強化魔術コースがあることなどは、初めて聞く話だった。
ちなみに『寮の部屋割りは同郷の者同士が同じ部屋にならないよう割り当てられる』という話を聞いた時のアンナの反応はすごかった。
「そんな……それでは誰がお嬢さまのお世話をするんですか?!」
ヨハンナにくってかかるアンナ。
そんな彼女に苦笑いを返す魔術学校の卒業生。
「世話人の同行は認められてないわね。魔術師として自立した人格と生活習慣を確立するため……らしいわよ」
「そんな、横暴ですっ!!」
「ちなみに魔術学校の校則は、一切の例外なく、王族貴族の子女も含め生徒全員に適用されるわ。まあできることは、何か手違いが起こるように天に祈ることくらいかな」
「ううっ……女神様に祈りますぅ」
「そうね。それがいいわ」
そう言って笑うヨハンナ。
凍結大陸での最初の夜は、そんな風に更けていったのだった。
☆
翌朝。
朝食を頂いた私たちは、早速学校に向かうことにした。
「学校は遠いんですか?」
幌馬車の荷台で揺られながらヨハンナに尋ねると、彼女は「うーん」と思案する。
「正門までは近いんだけど……」
「?」
私が首を傾げると、彼女は立ち上がり幌から身を乗り出した。
「ほら、あれよ!」
私とアンナも腰を上げ、彼女が指差す方を見る。
「うわぁ……!!」
私たちは息を飲んだ。
目の前には陽を反射して輝く大きな湖が広がり、その湖面に壮麗な古城が浮かんでいたのだった。
「船で校舎に向かうなんて素敵ね!」
渡し船の船上。
私の言葉に、隣のヨハンナが苦笑した。
「急いでるときは煩わしく感じることもあるけどね。学期中の昼間は一時間に一往復してるわ」
湖面をかき分け、帆船が進む。
イメージとしては観光船が近いだろうか。
さっき訊いたら、旅客定員は三十名。
学期はじめで乗客数が多いときは八十名が乗れる中型船も運行するらしい。
今は私のように受験の申込みに行くと思われる若いグループが、何組か乗船していた。
乗船時間は十五分あまり。
湖に浮かぶ古城が近づいてきた時だった。
「あれ?」
私は船のへりに手をかけ、湖面をのぞき込んだ。
「おじょ……レティア、どうかしましたか?」
お嬢さま、と言いかけたアンナが、慌てて私の偽名を言い直す。
昨日の話を受けて、私とアンナは『貴族に連なる家門の、年の離れた姉妹』ということにしていた。
私は、レティア・アインベル。
アンナはその姉、アンナ・アインベルだ。
ちなみに彼女お気に入りのメイド服は、この大陸にいる間は着用禁止にした。
可哀想だけど仕方ない。
余計なトラブルを招かないためにも、身バレする訳にはいかないのだ。
涙目で嘆願するアンナに、私は自分も髪を切ったことを引き合いに出して、なんとか納得してもらった。
それはともかく。
私は『姉』の問いかけに、湖面を見つめたまま答えた。
「お姉さま。水の中から魔力を感じるわ」
「魔力?」
首を傾げ、同じように船のへりに手をかけるアンナ。
「…………あ、確かに。微かですが陸地に比べて魔力が強い気がしますね」
私たちがそんな話をしていると––––
「さすがね」
ヨハンナがやって来て、湖面を指差した。
「この湖の下には『エーテルナ湖中迷宮』があるのよ」
「えっ、湖の底にダンジョンが?」
私が驚いて聞き返すと、ヨハンナはにやりと笑った。
「というより、ダンジョンの上に学校を作った、って言った方が良いかな。校舎の地下に湖中迷宮への入口があって、戦闘実習や試験なんかで使ってるのよ。ここのダンジョンには色々と特徴があって、それがカリキュラムにちょうど良いの」
「へえ……」
私は再び湖面に視線を落とす。
ちらりと、遺跡のようなものが水の中に見えた気がした。
「まるでファンタジーの世界ね」
「?」
首を傾げるアンナ。
「これからどんな学校生活が待っているのか、楽しみだわ」
「そうですね」
そうして二人笑い合う。
気がつけば、ルーンフェルト魔術学校の本校舎が目の前に迫っていた。
☆
「受験申込みをされる方は、申込み用紙を受け取って会場にお進みくださーい!」
島に上陸すると、バイトと思われる学生たちが、矢印の札を持って案内していた。
「あれが魔術学校の制服?」
私の問いにヨハンナが「そうよ」と頷く。
「結構可愛いじゃない」
「少し前に変わったのよね。私が学生の頃はやぼったかったのに。––––多分、生徒集めに必死なのよ」
「生徒集め?」
「五年くらい前に首都に新しい魔術学校ができたの。そこはルーンフェルトと違って冒険者志望者じゃなくて国軍や国の研究機関で活躍できるような魔術師を育成するカリキュラムを組んでるって話だわ」
「へえ。競合校があるのね」
私がそう呟いた時だった。
パンッ!
手を叩くような音。
何事かと思って周りを見回すと––––
「なんで貴女みたいな卑しい子がここにいるのかしら?」
建物の影から、刺々しい声が聞こえてきた。