第113話 誘う鐘の音
☆
聖都郊外の森で私たちを出迎えてくれたのは、こざっぱりとした騎士服に身を包んだ中年の騎士だった。
「聖都駐在武官、ですか?」
馬車の中。
私が首を傾げると、男性は微笑して「はい」と頷いた。
「家族と一緒にこちらに赴任して三年になります。普段は在聖都の外交公館で公使の補佐を。他には聖国の行事に出席したり、諸外国の武官と交流して情報収集を行ったりということをしております」
彼の話によると、私たちの今日の宿泊先はなんと公使公邸らしい。
「聖都の治安は良い方ではありますが北大陸中の人々が巡礼に訪れる大都市ですし、公邸に泊まって頂いた方が私どもも閣下をサポートし易いですから」
なるほど。
テルンの街には国境警備部隊の屯所はあったけれど統治官の屋敷はなかった。
だから民間の宿を使ったけれど、公館があるならそっちを使う方が都合が良いということね。……国にとって。
「手厚い歓迎とご配慮に感謝いたします」
「いえ、私の仲間を護って下さった救国の女神をこうしてご案内できるのですから。こちらこそ光栄なことです」
ふふふ、ははは、と笑い合う私たち。
私が留学するにあたっては陛下から色々とサポート……という名の監視がついている。
今回の話もその文脈で捉えるべきだろう。
ちなみにお父さまの話では、留学先のノルドラント迷宮国にある現地公館を大幅に拡充し、人員も増やすことにしたらしい。
もちろん魔導通信機も新たに設置。
要するに何かあったときに私と連絡がつくように、という訳だ。
「あっ!!」
その時、窓から外を見ていたアンナが歓声を上げた。
「お嬢さまっ。大聖堂が見えてきましたよ! なんて大きい……!!」
目を輝かせ、子供のようにはしゃぐ私の侍女。
そんなアンナにつられて窓の外を見た私もまた、息を飲んだ。
「すごい……!」
なだらかな丘を下った先。
周囲を山に囲まれた盆地には縦横にきれいに区画整理された八角形の都市が広がり、町の真ん中には大聖堂の巨大な尖塔が天を衝かんばかりに聳え立っていたのだった。
☆
昼過ぎ。
聖都ディリスの公館に着いた私たちは、公使たちから思っていた以上の歓待を受けた。
「ご無沙汰しております、エインズワース伯。王都での叙爵式以来ですね」
「お久しぶりです、ノールズ伯。こちらにはもう馴染まれましたか?」
互いに立礼する私たち。
「まだまだ見よう見まねですけどね。皆の助けでなんとかやっておりますよ」
そう言って苦笑する公使。
彼は私と同時に陞爵した元子爵で、叙爵式の日に挨拶を交わしていた。
「長旅でお疲れでしょう。昼食は少し休んでからにされますか? すぐに用意させることもできますが」
「そうですね。お待たせするのも申し訳ありませんし、よろしければ早めに頂ければと思います」
朝からのフライトと移動で、正直なところ私もアンナもお腹がぺこぺこだ。
「分かりました。それでは準備ができ次第ご案内致しますので、それまではお二人とも部屋でお寛ぎください」
こうして私たちは、公使とお昼を一緒にすることになったのだった。
「それではフェアクロフ嬢は、まだ幼少でいらしたエインズワース卿の配慮とご尽力でお仕えされるようになったのですね」
アンナと私の馴れ初めの話を聞いたノールズ伯。
その言葉にフェアクロフ嬢……アンナは、愛おしげに私を見つめて微笑んだ。
「はい。私にとってレティシアさまは、行き場のなかった私に居場所を与えて下さった命の恩人であり、自分の人生の全てを捧げることができる唯一のお方なのです」
「……そうですか。それは素晴らしいことです」
アンナの重い重い返答に、リアクションに困ったのか苦しい笑顔を返すノールズ卿。
まあ軽い話ではないので、仕方ないと言えば仕方ないけれど。
アンナ・フェアクロフ。
ファルコナー前男爵令嬢。
両親を事故で亡くし、爵位を継いだ実の叔父に屋敷と財産を奪われた十四歳のアンナは、家を飛び出し隣領のうちの屋敷を訪ねてきた。
門の前で途方に暮れていた彼女に声をかけたのが、たまたま散歩していた私だったのだ。
話を聞いた私は、隣領のお家騒動に尻込みするお父さまに必死で駄々をこね、侍女として雇ってもらうことに成功。
以来アンナは私の専属侍女として献身的に仕えてくれている。
ちなみに侍女にも関わらずメイド服ばかり着ているのは、完全に彼女の趣味だ。
前にそのことを尋ねたら、
「お嬢さまにお仕えする私の、自分なりの決意表明ですよ」
と笑っていた。
それがなぜメイド服なのか。
さっぱり分からないけれど、本人がいいと言うのでそのまましたいようにしてもらっている。
「ところで予定では明日には出発されると伺っていますが、大聖堂には礼拝に行かれないのですか?」
微妙な空気に話題を変えようとしたのか、ノールズ卿は私にそんなことを尋ねてきた。
「そうですね……」
言葉に困る私。
なぜ困るかと言うと、そもそも礼拝する気が全くなかったからだ。
ダリス教は、創世の女神ディーリアを信仰する一神教。
創世神話の真偽はさておき、教会の神官たちは『女神の権能の代行』として祈祷によって神聖魔法を行使することができる。
火や水、土や風などの物理現象しか操ることができない魔法使いの魔法に対し、神聖魔法は人体や生物に作用してケガや病気を治癒することができるという違いがあった。
回帰前には魔導具に活用できないかと祈祷文を研究してみたこともあったけれど、結局挫折した。
あれは普通の魔法とは全く異なる概念と仕組みに基づくものだ。
それはそれとして、なぜ私が聖都に滞在するにも関わらず礼拝に行く気がなかったのか。
ひと言で言えば『私が信仰を捨てた』から。
やり直し前に、私がどれだけ女神に祈ったことか。
病床の母の快復を祈り、出征する兄の無事を祈り、大切な人たちが処刑されないことを祈った。
そしてその全てについて、私は女神に裏切られた。
––––二度と神なんか信じない。私は自分の手でみんなを守ってみせる。
それが三度目の人生を生きる私の信条となっていた。
とはいえ、異教徒や無心論者と見做されても都合が悪い。
だから私は公使にこう言った。
「大聖堂で礼拝するには札を取り何日も順番待ちしなければならないと聞きました。今回私は迷宮国への留学のためこちらに立ち寄っておりますので、さすがに何日もかかってしまうのは……」
これは実際そうだった。
北大陸の各地から巡礼のために毎日何百という人々が大聖堂を訪れている。
礼拝の順番は完全に先着順。
タイミングにもよるけれど、早くて二日。
遅い場合は一週間以上待たなければならないというのが常識だった。
ところが。
「ああ、やはりそういうことでしたか。であればご心配は無用ですよ」
「……はい?」
にこにこと笑う公使に、思わず聞き返す。
「一般礼拝が終わった後にはなりますが、実はエインズワース卿とフェアクロフ嬢が礼拝できるように私の方で教会に話を通してあるんです。十七時から一時間と時間が決まっていますが、よろしければいかがですか?」
「そ、それは……ありがとうございます」
正直、この展開は予想してなかった。
そこまでされたら断れない。
「嬉しいっ。大聖堂には一度礼拝に行きたかったんですよ!!」
隣で目を輝かせるアンナ。
……まあいいか。
私は内心でため息を吐き、笑顔で公使に言った。
「それではせっかくですので、礼拝させて頂くことにしますわ」
☆
私とアンナが公使館の馬車で大聖堂に着いたのは、十七時を十五分ほど過ぎた頃だった。
すでに礼拝客は帰りの途につき、聖堂の大扉は閉じられている。
「お待ちしておりました。ハイエルランド王国のエインズワース伯爵閣下とフェアクロフ令嬢ですね」
出迎えてくれた年配の司祭の案内で、通用口から聖堂の内部に通される。
聖堂内部は質素ながら壮麗なものだった。
創世神話に記された人や精霊の彫刻があちこちに彫られ、奥へ奥へと続いてゆく。
そしてその一番奥に礼拝堂があった。
「それでは礼拝が終わりましたらそこの神官にお声がけ下さい」
そう言って退室する司祭。
ダリス教の礼拝は、女神ディーリアへの祈りと対話を重視する。
司祭が関わるのは、冠婚葬祭や説法、そして神聖魔法による治癒のときだけだ。
私とアンナは祭壇の前へと進み、女神ディーリアの像の前で跪いた。
夕日のオレンジの光が私たちを照らしている。
その光の中、かつて何度も繰り返したやり方で女神に祈りを捧げる……ふりをする。
(いまさら祈ることなんてないわ)
空虚な感情が心に押し寄せる。
その時だった。
ゴーン、ゴーン、ゴーン……
教会の鐘の音が外から聞こえてきた。
礼拝堂に反響する鐘の音。
それらは私をゆさぶり––––
「え?」
世界がぐるりとまわり、意識が飛んだ。
☆
ドンッ!!
––––うわぁあああああっ!!!!
(っ?!)
耳をつんざく爆発音。
そして、悲鳴。
それらの音の洪水に、私は目を開けた。
眼下に広がる都市。
夕闇に染まりかけた町。
その町は、燃えていた。
町のあちこちから火の手が上がっている。
(これは……???)
私は足元を見てさらに動揺する。
私は宙に浮いていた。
だけど飛行靴を履いている訳でもない。
素足である。
目の前には見覚えのある王城。
間違いない。
この城はハイエルランド王国の王都にあるサナーク城だ。
私が何度も足を運んだ城。
その城もまた、炎に包まれていた。
(これは……一体どういう状況???)
頭が混乱する。
王都が襲撃を受けてるの?
でも、私は聖都の大聖堂にいたはずなのに……!
その時、混乱する私の耳に聞き覚えのある声が響いた。
「宰相っ! 一体どういう状況なんだ! 説明しろっ!!」
ぐんっ
(っ?!)
声の方に体が勝手に引き寄せられる。
(…………?)
次の瞬間、私は王宮の廊下に立っていた。
「一体何が起こってる?!」
廊下に響く怒声。
とっさにそちらを振り向く。
そして私は、自分の目を疑った。
目の前で見覚えのある二人の人物が言い争っている。
だが彼らは、この場にいるはずのない人物。
いや、いてはいけない人たちだった。
「何者かに襲撃を受けているようです」
王から怒声を浴びせられそう返したのは、私が一年前に元老院の議場で対決した人物。
オズウェル公爵。
そしてそんな公爵に詰め寄っているのは––––
「そんなことは見れば分かる! 飛竜が飛んでいた。あれは公国ではないのか?! なぜ同盟国である公国が我が国を襲う???」
王冠を被った、私の元婚約者だった。