第109話 エインズワースの少女領主
☆
半日ぶりに開かれた北の市門。
王国派遣軍のバージル司令が追撃隊の騎士たちに向かって指示を出していた。
「深追いはするな。あくまで偵察が目的だ。魔物たちが組織だって再攻勢に動くかどうかだけを見極めよ」
「承知致しました!」
「よし。では行け」
「はっ! ––––行くぞ、野郎ども!! 追撃隊出撃!!」
「「おうっ!!」」という掛け声とともにきれいな一列縦隊で門を出てゆく騎士たち。
腰に魔導剣、背中に魔導ライフルや軽機関銃という不思議な格好の彼らは、しかし私にとても頼もしさを感じさせた。
「終わったね」
隣から話しかけられた私は、声の主……友好国の王子さまを振り返った。
「そうね。まだ魔物の死骸の処理とか、怪我した人たちの手当とか、やらなきゃいけないことはたくさん残ってるけど……ひとまず山場は越したかな」
今、街の北側は魔物の死骸が大地を埋め尽くしている。放置すれば虫が湧き、病原菌の温床となるだろう。
早いうちに一箇所に集めて燃やす必要がある。
魔物の体内にある魔石は、もったいないけれど今回は諦めよう。回収作業に従事した人たちが伝染病にでもなったら大変だ。
お父さまやお兄さま、私など、魔力量の多い人間で協力して魔法で穴を掘り、魔物を集めて千度以上の高温で一気に燃やす。
魔石の融点は千五百度以上だから、運が良ければいくらかは残るだろう。
「手伝うことは?」
「あるはあるけど……そこまであなたに頼れないわ。こうして来てくれただけでもありがたいのに」
私の言葉にテオはきょとんとした顔をすると、苦笑した。
「君が僕にしてくれたことを思えばなんでもないさ。魔物の処理、人手が必要なんだろ? 手伝うよ」
「ありがとう、テオ。本当に助かるわ」
そう言って微笑んだ私に、テオは照れくさいのか、ぷいと横を向いた。
「ほ、ほら。早く掛かろうぜ!」
「うんっ!」
こうして私たちは二日ほどかけて魔物を処理し、結果、高品質の魔石を大量に入手することになったのだった。
☆
ココメル防衛戦から三日。
残敵の掃討が終わり各集落の安全が確認された後、私はお父さまや仲間たちと相談した上で『戦闘終結』を宣言することにした。
追撃隊の調査により、逃げ去った魔物たちは散り散りとなって本来の棲家に戻って行ったことが確認された。
ゴブリンやオークは森へ。
巨人や剣牙虎は北の山脈に戻って行ったという。
それらを操っていたと思われる毛皮の男の調査も行ったけれど、死体が四散しており得られた情報はほとんどなかった。
––––いや、一つだけある。
男が持っていた黒い球体。
あれの分析はこれからだけど、現段階で一つだけ分かっていることがあった。
最初に見た時には全体が黒くて気づかなかったけれど、球の表面にわずかに凹凸があったのだ。
指がくぼみに嵌り、決まった位置で保持できるように工夫されたそれは、よくよく見るとある生き物の形に彫り込まれていた。
『蜘蛛』
またしても私は黒い蜘蛛に翻弄されたのだ。
ココメルに潜り込んでいたスパイは、蜘蛛のエンブレムのついた魔導通信機を使用していた。
予想はしていたけれど、やはりあの毛皮の男とスパイは繋がっていたのだろう。
そしてもちろん、テオを狙ったあのおぞましい魔導具も。
ここまで来るともう、私を狙い撃ちしてるんじゃないかとさえ思ってしまう。
陛下への報告の際にこの『蜘蛛』についても調査を依頼することを皆で決め、その後私はお父さまとお兄さま、アンナとソフィアに会議室に残ってもらった。
ある提案をするためだ。
☆
「エインズワース独自の情報機関を設立しようと思います」
「情報機関? なんでまた???」
私の言葉にお父さまが問うた。
「ひと言で言えば、私たち自身と領民を守るためです」
「しかし先ほど『陛下に調査を依頼する』と決めたばかりじゃないか。おそらくだが、我が国にもそのような者たちはいると思うぞ」
お父さまはとぼけているけれど、本当はある程度実態を知っているはずだ。
なにせ元王国第二騎士団の部隊長にして、今や陛下の相談役なのだから。
「もちろん国にもそのような者たちはいるでしょう。ですが彼らは私たちが必要とする情報を、私たちが必要なときにもたらしてくれるとは限りません」
「具体的にはどんな情報を集めたいんだい?」
グレアム兄さまの問いに、私は答える。
「各国の魔導技術に関する情報。そして、新領と国境を接する公国についての鮮度の高い情報です。先ほど申し上げたように、今回魔物を操ったと思われる魔導具の素性も、いつか必ず侵攻して来る公国の軍事的・経済的な情報も、どちらも私たちにとっては必要なものですから」
「しかしそれらは、国の調査でもある程度分かるはずだ。独自に情報機関を持たなければならないものかな」
お父さまの言葉に、私は心の中でため息を吐く。
これは言いたくなかったのだけど……。
「お父さま、思い出して下さい。私が陛下にサイズ違いの魔石の調査を依頼して半年。何か新しい報せはありましたか? また我が国の宰相と一派が潜在敵国である公国と通じていたにも関わらず、王国の諜報はその情報を掴むことができませんでした。その上あろうことか王城への襲撃を許してしまう始末。––––これは国の情報機関としては致命的なミスです。はっきり言って、その能力を疑わざるを得ません」
「む、むぅ…………」
言い返せず、考え込むお父さま。
「規格ちがいの魔石、そして蜘蛛のシンボルという二つの手がかりで、王城襲撃事件、テオバルド殿下誘拐事件、そして今回の魔物の大暴走の件が繋がりました。まずは最も疑わしい公国の内情を探るために、数名を商人に偽装させて同国に潜入させようと思いますが、いかがでしょうか?」
私の言葉に最初に反応したのはグレアム兄さまだった。
「父上、その程度であれば問題ないのではありませんか? 父上は国から『腹に一物あり』と疑われるのを懸念されているのですよね?」
「そうだ。……だが、そうだな。国の情報収集活動を補完すると考えれば、悪くないのかもしれん。レティ。この件はお前の所管でやるつもりなのかい?」
「はい。そのつもりです。その方が陛下に対しても申し訳が立つでしょう?」
私が微笑むと、お父さまは苦笑して言った。
「まったく。うちの娘にはかなわないな。––––いいだろう。陛下には私から報告しておく。好きにやりなさい」
「ジェラルド殿下には俺から話しておくよ」
父の言葉に付け加える兄。
「ありがとうございます! お父さまもお兄さまも、大好きですっ!」
相合を崩すお父さまとお兄さま。
それを見守るアンナとソフィア。
こうして私は、私直轄の情報機関をつくることになったのだった。
◇
ココメル防衛戦から五日。
その日の昼過ぎ、エインズワース伯爵領の領都ココメルには多くの人々が集まっていた。
その数、一万人。これは領内人口のおよそ三分の二にあたる数だ。
元々のココメルの住民に加え、北部地域の住民のほぼ全員。そこに南部集落の村長やその息子たちが、親元に戻る北部の子供たちに付き添ってやって来ていた。
彼らは中央広場に集まり、そこに収まりきらず周囲の路地や、挙げ句伯爵邸の前に至るまでの沿道を埋め尽くしていた。
彼らが待っているのは、ただ一人。
「レティシアさま、まだかなあ?」
「もうすぐよ。ほら、兵隊さんたちがロープを張り始めた」
「本当だ! でもここじゃあ、お言葉は聴けないね」
「大丈夫。ここでも聴けるように、何か魔導具を準備して下さってるそうだから」
「えっ? 本当???」
「婦人会で聞いた話だから、間違いないわよ」
「やったあ!!」
沿道に陣どってそんな会話を交わす母子。
その隣の中年夫婦も話題は自分たちの領主のことだ。
「俺ぁ壁の上でケガ人や弾を運んだりしてたんだが、正直、何度も『もうダメだ』って思ったぜ。だけど横を見ると、あの小さな伯爵様が一歩も引かず銃を持って戦ってるんだ。あれを見たら逃げるわけにはいかねーよ」
「あたしもだよ。炊き出しを手伝ってる時に、ギャーギャー啼く声が聞こえたんで慌てて上を見上げたら、レティシア様が数えきれないくらいたくさんの魔物に追われながら、すごい勢いで街の上を飛び抜けて行ったんだ。あんなに小さいのにたった一人でね。正直、貴族なんて威張ってるだけの奴ばかりだと思ってたけど、あの方は違うね。あたしゃレティシア様が仰ることなら喜んで従うよ」
そんな話をしているのは、一人や二人ではなかった。
あの防衛戦の時、あるいは北部住人の避難の際に彼女を見た者は皆、彼女が常に先頭に立って戦い、人々を守ろうと奮闘している姿を記憶していた。
その姿が信頼となり、絆になる。
最初この街が王領ではなくなると聞いたとき、人々の間に漠然とした不安が広がった。建国以来三百年にわたり王家の所領だった土地だ。貴族の持ち物になると聞いて喜ぶ者はほとんどいなかった。
そんな中やって来た新しい領主は、まだ成人もしていないあどけない少女だった。風の噂では王と王子を襲撃から守った功臣だという。
人々はわずかな不安と期待を胸に、彼女を受け入れた。
それから半年。
小さな変化はあれど人々の暮らしはそれほど変わらず、時々街で領主の少女を見かけた者が彼女に仄かな親しみを覚え始めた頃、その報せはやって来た。
魔物の大群による大侵攻。
人々は驚き戸惑い、それでも上からの指示に従ってすぐに避難と備えを行った。
人々の意識が変わったのは、あの日、領主の少女が広場で壇上に立ったときだった。
彼女は言った。
『街を守るため、北部を取り戻すため、自分は最後まで戦う』と。
そして皆に呼びかけたのだ。
『ともに未来を守り抜こう』と。
その言葉は、不安と絶望に呑まれようとしていた人々に勇気を呼び起こした。
戦う勇気を。
そして、大切なものを守る勇気を。
結果、彼らは少なくない犠牲を払いながらも大切なものを守りきった。
未来を。
その戦いの先頭には、常に少女の姿があった。
絶望を切り開く、力強い一条の光。
少女は人々と共に戦い、共に傷ついた。
そうして大きな困難を乗り越えた今、この街に彼女のことを信じない者はどこにもいなかった。
◇
「ううっ……緊張する」
二体のクマの紋章が描かれた馬車を前に、レティシアは落ち着こうと深呼吸をした。
そんな彼女に父親が声をかける。
「なに、先の演説のときの状況と比べればどうということはない。戦闘の終結を宣言するだけだからな。気楽に行きなさい。お前の愛らしい姿が見られれば皆も満足するだろう」
「先日よりみんなの期待感が膨らんでるから緊張してるんですっ! お父さまはちょっと黙っててください」
「う、うむ」
娘に叱られ、しょぼんとして肩を落とす父。
そんな父親を尻目に、今度は少女と同い年の少年が進み出る。
「一人で緊張するなら、僕が一緒に乗ろうか?」
友好国の王子がそんなことを口にした瞬間、テオとレティの間に傍らに立っていた侍女がさっと割って入った。
「せっかくのお申し出ですが、謹んでお断りします。未婚の女性と二人だけで同じ馬車に乗ろうとするなど、破廉恥です!」
「ちょっ、お前、今『ハレンチ』って言ったな?! それは言い過ぎだろう?!」
アンナに言い返すテオ。
だがそんな彼に、もう一つの影が立ちはだかった。
「いえ、破廉恥ですな。殿下は私の馬車でともに参りましょう」
「お、オウルアイズ侯……」
先ほどまで落ち込んでいたのはどこへやら。
レティの父親は秒で復活し、娘につきまとう悪い虫を排除しにかかる。
さらに––––
「そうですね。俺も殿下とは一度『OHANASHI』してみたいと思ってましたから。ちょうどいい。一緒に馬車に乗りましょう」
「ぐ、グレアム卿まで???」
王国統合騎士団の副団長が、父親に続いて畳み掛けるように圧をかけた。
「ぷっ……ふふっ」
その様子がよほど面白かったらしく、くだんのレティシアは口を押さえて笑う。
「ふぅーーっ。ちょっとやめてください。あまりに面白いんで緊張がどこかに行ってしまいました」
そう言ってレティはひとしきり笑うと、皆に向き直った。
「もう大丈夫です。それでは行きましょうか」
「ああ」 「うん」 「そうだな」
彼女の言葉に、各々の言葉とともに頷く男衆。
「お嬢さま。御手を」
差し出されたアンナの手をとり、レティは馬車のステップに足をかける。
「あ、そうだ。馬車を走らせるときは––––」
「できるだけゆっくり、ですね?」
侍女の言葉に頷くレティ。
「さすがアンナね」
「お嬢さまの侍女ですから」
そう言って二人は笑いあった。
◇
その日の演説は、遅れてやって来た新聞記者によって全文が配信され、王国中でしばらく話題になった。
なんでも新聞を読んだ国王が「エインズワース伯は演説の才もあるのだな。今度元老院で一節ぶってもらおうか」と大いに面白がったとかなんとか。
国内の反応はさておいても、実際、その演説はココメルに集まった人々の心に強く響くものだったという。
その日のことを報じた新聞は、最後にこう書いて記事を締めくくっている。
––『その日、伯爵領に住む者たちの心はひとつになった。演説が終わった瞬間「エインズワース!」の掛け声があがり、その熱狂的な盛り上がりは赤子から老人まですべての人々を巻き込み、夜が更けるまで続いたのだった。』––
『やり直し公女の魔導革命』
《第二部・完》
☆
やっっっと、第二部が完結しました!
約一年かかりましたね。
長かった……。本当に長かったです!
この間に二冊分の書籍化作業まであり、本当に大変な一年でした。
よろしければ記念に、下の広告のさらに下にある『☆☆☆☆☆』で評価をお願いしますね!!
さて、話は変わって書籍版第二巻のお話です。
ページ数の関係で後半の四分の一ほどが書き下ろしとなり、魔物襲撃編の代わりに新たなストーリーが展開されております!
魔物襲撃編は三巻以降、ちょっと展開を変える形でやることになると思いますので、発売日の12/15を楽しみにお待ちください。
そんな第二巻ですが、ついに書影が公開となりました!
下の広告欄の下に貼り付けてありますので、ぜひ見てみて下さい。
同時に、特典SSがつく協力店様の情報も公開となりました。ご興味のある方はぜひ↓をご参照下さい。
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それでは引き続き本作を応援よろしくお願い致します!