第103話 手枷と蜘蛛、そして出撃
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『間諜の居場所を特定した』
屋敷の車まわしでライオネルから報告を受けた私たちは、新たに司令部を設置した離れのホールに場所を移して、詳しい話を聞くことにした。
ちなみに司令部を移動したのは、今朝のこと。
元々昨日の時点で、軍関係者以外に地域防衛隊や婦人会、町会の人たちが司令部に出入りするようになり、かなり手狭になっていた。
そこに王都、新領、本領からの援軍の関係者が加わるのだから、キャパが足りなくなるのは時間の問題。
先手を打って、広さに余裕のあるホールに移ったわけだ。
蓋をあけてみれば、事前に司令部を移したのは大正解。
ホールの玄関脇には『合同司令部』の看板がかけられ、中央の大テーブルに、エインズワース領の地図、ココメル周辺の拡大図、そしてココメルの市街図が広げられたのだった。
そんな司令部の中で、ライオネルは市街図の一箇所を指示棒で指し示した。
「交信を傍受しながら発信元をしぼっていった結果、この建物に行き着いたんだ。部下が路上から監視していたところ、三階の住人が交信のタイミングで窓を開けて、アンテナのようなものを外に出しているところを確認した」
「……それはもう、疑いようがないわね」
私の言葉に、頷く領兵隊長。
「家主の話では、その部屋は二ヶ月ほど前からある商会の職員に住居用として貸し出しているそうだ。契約に来たのは、モーガンという名の口数の少ない中年男らしい」
「仲間がいるのかしら?」
「昨夜から張ってるが、今のところ仲間がいる様子はないな。……それで、どうする? 踏み込むか?」
ライオネルの問いに、私は頷いた。
「踏み込んで制圧して。生死は問わないから、間違っても自爆なんかされないように。––––ちょっと待ってて」
私は、私用に用意されたデスクに歩いて行くと、引き出しからあるものを取り出した。
「それは……手枷か?」
「そう。魔法を封じる魔導具よ。これを使って」
そう言って、内心複雑な気持ちでライオネルにそれを手渡す。
それは、体内の魔力の流れを止め、魔法の発動を封じるように設計された手枷だった。
『魔封じの手枷』
やり直し前の私が、無実の罪で拘束され処刑されたときにつけていたものと、ほぼ同じもの。
まさか、自分が同じようなものを作ることになるなんて。
ちょっと自己嫌悪だ。
(––––そういえば、あの手枷は誰が作ったんだろう?)
当時のハイエルランド王国には、こんなものを作れる魔導具師はいなかったはず。
私が今回再現できたのも、回帰前に自分がこれで拘束され、その働きを知っていたから。
(そういえばこれって、何かに似ているような……)
「それでは、すぐに制圧に向かいます!」
ぼんやりと彷徨っていた私の思考は、ライオネルの声によって引き戻された。
「……? どうかしましたか?」
「あ、ううん。なんでもないわ」
笑顔を取り繕う私。
そうだ。
ぼんやりしている場合じゃない。
しっかりしないと。
「ライオネル。皆、無事に戻ってきなさい。これは領主としての命令よ」
私の言葉に、一瞬驚いたような顔をした領兵隊長は、
「もちろんです!!」
と不敵な笑顔で敬礼すると、くるりと背を向け、部屋を後にしたのだった。
☆
結果から言えば、この制圧作戦は半分成功、半分失敗だった。
領兵隊が踏み込んだとき、部屋には男が一人、椅子に座っていたという。
部屋に響き渡る、耳障りな警報音。
傍らには、燃えさかる暖炉。
彼は手に持ったコップをテーブルに置いてにやりと笑うと、そのまま血を吐いて死んでしまった。
すぐにライオネルが気づいて暖炉の火を消したものの、手帳やメモはかなりの部分を焼失。
残ったわずかな部分に書かれていた記号のような文字は誰も見たことがないもので、復元・解読するのは難しそうだ。
ただ、一つだけ。
とても気になるものが見つかった。
それは、スパイの男が誰かとやりとりをしていたであろう、焼け焦げた簡易通信機。
王城襲撃事件のとき、飛竜に合図を送ったあの合図箱をひと回り大きくし、伸縮式のアンテナらしきものが取り付けられた『それ』には、一つ大きな特徴があった。
「これは……」
その残骸を見た私は、どきりとして息を飲んだ。
「––––蜘蛛?」
箱の正面に、小さな蜘蛛が張り付いていた。
黒い、八本脚の蜘蛛。
一見すると本当の子蜘蛛のようにすら見えるそれは、よく見ると金属でできたエンブレムだった。
触れると、それが魔導金属でできたものであることが分かる。
黒い蜘蛛。
魔導金属。
私にとっては、不穏な記憶を呼び起こす組合せ。
––––もちろん、あの一件のおかげでテオと出会えたとも言えるけれど。
それでも、なんとも言えない不安を掻き立てるデザインだ。
そういえば、例の裁判の証拠品となったオリジナルの魔導通信機には、箱の正面パネルに小さな穴が二つ空いていた。
あの時は、銘板かなにかを引き剥がした跡かと思ったけれど、ひょっとして、このエンブレムが嵌ったりはしないだろうか?
あの証拠品は王都の裁判所に保管されていたはず。
––––この件が終わったら、確かめてみよう。
そう心に決めたのだった。
☆
翌朝。
決戦の日。
この日も早朝から偵察に出ようと思っていた私は、急遽それを取りやめることにした。
理由は簡単。
魔物の群れはすでにココメルから十数キロのところにまで迫り、北の市壁からその黒い絨毯が遠くに目視できたからだ。
「ココメルへの到達予想時刻は三時間後の十一時頃です」
ライオネルの言葉に、苦い顔をする一同。
「工事の進捗は?」
お父さまの問いに、領兵隊長は手元のメモを見る。
「全体では九割といったところです。西の森と南の避難路の陣地は完成。北側の土木工事はほぼ終わってますが、有刺鉄線などの障害の設置と交通壕の仕上げが残ってます。東の多重陣地の工事が遅れていて、二層目の土台ができたところです」
「残った時間でどこまで進められるか……」
思案する父。
その様子にグレアム兄さまが進言する。
「一番圧迫される北側の障害設置を優先しては? 東側は一層目で凌ぎながら、戦いながら仕上げるしかありますまい」
お兄さまの意見に、今度はバージル司令が首を振った。
「戦いながら、というのは難しいでしょう。突貫でも良いので工事を終えるべきかと」
「うむ……」
考え込む兄。
そこで私は口を開いた。
「北の障害設置と並行して、東の第二層・第三層陣地は、塹壕だけでも完成させましょう。第一層の斜め後方から支援射撃ができるだけでもずいぶんと違うはずです。……あと、十八歳未満の市民に全員避難の指示を出しますが、構いませんか?」
お父さまが頷く。
「うむ。お前がそうすべきだと思うなら、そうしなさい。領主はお前なのだから」
「ありがとうございます! ––––ソフィア、頼める?」
「もちろんです。開戦までに対象全員を避難させます」
立ち上がり、隣の部屋に控えている各組織の連絡員のところに向かう私の事務官。
お父さまが号令をかける。
「それでは各自、準備を進めよ。十時には持ち場につかせるように」
「「了解っ!!」」
「解散!」
こうして開戦前、最後の会議が終わったのだった。
☆
十時過ぎ。
若い避難者たちを無事送り出した私は、北の市壁の上にいた。
「レティ。本当にお前がやるのか?」
苦い顔のお父さまに、私は頷く。
「これは、私にしかできないことですから」
そう言って笑ってみせる。
「お嬢さま……。どうしても一緒に行けないのですか?」
情けない顔をする私の侍女。
そんなアンナを私は抱きしめる。
「二人では危ないから。それに、私がこんなことを頼めるのは、お父さまとあなただけなのよ」
「ううっ……お嬢さまあ」
グス、グスと泣きながら私を抱きしめるアンナ。
「…………。さあ、アンナ。もう行かないと」
私は、ぽん、ぽん、と彼女の背中を叩くと、体を離した。
北の方角を見る。
魔物の群れは、すでに五キロほどのところにまで迫っていた。
丘を越え、森をよけて進む黒い絨毯。
異形の群れ。
その上空には、無数のカラスが舞っている。
望遠鏡を使わなくても、一体一体まで見える距離。
「ココ、メル、行くわよ」
私が呼ぶと、
「「はーい!」」
二人がカバンから飛び出した。
私はカバンをアンナに預け、お父さまから魔導ライフルを受け取る。
そして、二人に向き直った。
「それじゃあ、行ってきます」
そう言って笑う。
「こっちは任された。だから無茶はするな。必ず戻って来なさい!」
そう叫ぶお父さまの目は潤んでいる。
「無事に戻ってきて下さいぃ!!」
こちらは涙でぐちゃぐちゃだ。
私は頷くと、二人に背中を向ける。
「––––行ってきます!!」
そうして私は一人、戦いの空に舞い上がった。