第101話 心を一つに
☆
17時半。
すでに陽は沈みかけ、先ほどまで夕陽に染まっていた窓の外も、影が濃くなっている。
部屋の扉がノックされ、アンナが顔を見せた。
「お嬢さま、時間ですよ」
「ありがと。今行くわ」
私は机の上に広げていたメモ用紙を折りたたんでポケットに入れ、ココとメルが入ったカバンを肩から掛けると、部屋を出た。
☆
馬車で屋敷を出て、ココメルの街の中心へと向かう。
窓の外には、私たちと同じ方向に向かう人たち。
彼らは私の馬車を見ると、「あっ」という顔になり、小走りになる。
私は小窓を開け、御者席に声をかけた。
「アンナ。ゆっくりでいいわ。できるだけゆっくり行きましょう」
「……分かりました。それでは、ゆっくり行きますね」
「ありがと」
「私は、お嬢さまのそういうところが大好きなんですよ」
ふふふ、と笑った私の侍女は、宣言通り馬車の速度を落としたのだった。
☆
街の中央広場は、集まった人々でいっぱいになり、広場につながる道にまで人があふれていた。
もっとも、ロープが張られてきちんと区分けされているので、これだけ人がいる割には危ない感じはしない。
「––––どのくらいの人が集まっているのかしら?」
私の問いに、向かいのソフィアがちらりと窓の外を一瞥した。
「おそらく、今ココメルにいる人々のほとんどが集まっているはずです」
「……それだけ皆、不安ということね」
「はい」
特に表情を変えず、頷くソフィア。
彼女は感情表現が苦手なだけで、人の気持ちが分からない訳じゃない。
この場の必要性に気づき、準備にあたっても細やかな配慮をして見せた彼女は、ひょっとすると見た目よりもはるかに繊細なのかもしれなかった。
「––––頑張らないと」
再び窓の外に視線を戻した私は、ぎゅっとこぶしを握りしめた。
☆
「レティシア様が通るぞ! 道をあけろ!!」
馬車を降りると、人々の歓声が私を包んだ。
既にほぼ陽は落ち、魔導灯の灯りと、この時のために設置された魔導投光器が、人々の顔を照らしている。
「レティシア様っ!!」
「ああ、レティシアさま。どうか皆をお救いください……」
私の名を呼ぶ声。
救いを求める声。
そんな声に私は、微笑を浮かべ、頷いてみせる。
街のシンボルである『時の塔』の下には即席の演壇が組まれ、今し方ロープによって作られた道はまっすぐにそこに続いていた。
私は皆の顔を見ながら、ゆっくりとその道を歩く。
そして、演壇に上がった。
建物の上から私を照らす投光器の光が、少し眩しい。
けれど私を見上げる人々の不安げな顔を見たら、そんなことは気にならなくなった。
「ココ、メル!」
「はいよ」 「呼んだ?」
カバンから飛び出すクマたち。
「ちょっと手伝って。––––ココは、あっち」
私が指差した左側の空中に飛んで行くココ。
「メルは、そっち」
反対側に飛んで行くメル。
二人が思った位置についたところで、私は叫んだ。
「『拡声』!!」
––––キィン
一瞬、辺りにハウリングのような音が響き、すぐに収まった。
これで準備はOK。
あとは私次第だ。
「皆さん、私の声が聞こえますか?」
広場全体に響きわたる私の声。
人々から返ってきた「おお……」というどよめきが、その答えとなった。
「こんばんは。ハイエルランド王国よりこの領地をお預かりしている、レティシア・エインズワースです」
私は皆に微笑むと、再び口を開いた。
「今私は、この領地に起こっている恐ろしい事態について皆さんにご説明するため、ここに立っています。––––すでに皆さんもお聞きになっているでしょう。大規模な魔物の群れが、この街に近づいているのです」
「ショッキングな内容ですが、包み隠さずお話ししますので皆さんが『これからどうするのか』を考える機会にしてください」
ザワザワと、動揺が拡がってゆく。
「まず最初にお話ししておきたいのは、『皆さんには三つの選択肢がある』ということです。一つ目は、ホルムズ川の南の各集落に避難する選択肢。二つ目は、私の父が治めるオウルアイズ新領、または本領に避難する選択肢。そして三つ目は、この街に残るという選択肢です」
「皆さんがどの選択肢を選ばれても、伯爵家はできる限りの支援を致します。避難される方には護衛をつけますし、各地での受け入れがスムーズに進むように、すでに準備も進めております」
私の言葉に、人々が再びざわめく。
だけどこれは、安堵のざわめき。
少しは不安を減らすことができただろうか?
さて。
ここからが本題だ。
「昨日の早朝、『北の山脈』の麓の森で約四千体の魔物の群れが発見されました。ゴブリン、オーク、デビルクロウ、サイクロプスなどが集まった群れです」
「報告を受けてすぐ、私は北部の街と村すべてに避難指示を出しました。その後、魔物の群れは南下を開始。今朝の時点でその数は一万五千に達していました」
「現時点の予測では、魔物の群れは最終的に四万から五万にまで膨れ上がり、明後日の午後、このココメルに到達すると思われます」
私の言葉に、広場全体が動揺した。
「そんな大群、一体どうしろって言うんだ?」
「おお、神よ……」
「ママ、わたしたちしんじゃうの?」
嘆くもの。
祈るもの。
そして、未来を問うもの。
そんな彼らに、私は続けた。
「私たちは今、未曾有の危機にあります。この街を棄て逃げることもできますが、魔物たちが追いかけて来ないとは限りません。大切な人を守るためには、誰かがこの街に残り、魔物たちの侵攻を防がなければならないのです」
「十五歳未満の子どもたちには、全員避難してもらいます。彼らは私たちの『未来』です。そしてその『未来』を守るため、私と八百人の兵士たちがこの街に残って魔物と戦います」
「今、私たちを助けるため、オウルアイズ新領、本領、そして王都から、約千人の騎士と兵士がこのココメルに向かっています。私たちは彼らと力を合わせ、総勢千八百名で魔物の軍勢を迎え撃ちます」
「無謀だと思われるかもしれません。ですが、やらなければなりません。そのために今、市壁の外に防御陣地をつくり、魔導銃の弾丸を大量生産しています。これらは私たちを守る鉄壁の盾となり、三十倍の敵をなぎ払う聖なる槍となるのです」
「––––私たちは負けません。手段も選びません。私は私の持てる力のすべてを使い、何をしても、どんなことがあってもこの街を守り、魔物に荒らされた北部の街と村を取り戻すため、最後まで戦います!!」
「皆さんにお願いしたいことは、ただ一つです。避難する人も、街に残る人も、互いに手を取り合い、助け合ってこの難局を乗り越えましょう。一人ではできないことも、みんなでやれば必ずやり遂げられます。どうか争うことなく、悲嘆に暮れることなく、協力して私たちの未来を切り拓きましょう。––––私からは以上です」
ざわざわと、戸惑うように言葉を交わし合う、広場の人々。
上手な演説ではなかっただろう。
皆の不安を払しょくできるものでもなかっただろう。
それでも、少しでも、みんなが前向きになってくれるなら。
そんな思いを言葉に乗せた。
みんなは、どんな風に感じたのだろうか?
後ろ髪を引かれる思いで、演説台から降りようとした時だった。
誰かの声が聞こえた。
「俺は街に残るぞ。この街で生まれてずっとやってきたんだ。今更よそになんか行けるかよ。それに外から応援に来た連中が戦うっていうんだ。街に住む俺らがコソコソ逃げてちゃ、格好がつかんわ!」
すると、その近くからもう一つの声が上がる。
「––––俺も残るぜ。何ができる訳じゃないが、力仕事なら手伝えるからな!」
「あたしも残るよ! この街に来たばかりの、こんなか弱いレティシア様が残るって仰ってるんだ。いい大人が弱音なんて吐いてらんないよ。兵隊さんが腹ペコで倒れないよう、しっかり胃袋を支えてやろうじゃないか!!」
「僕も残る! 僕らの村を、畑を、ゴブリンなんかに渡してたまるかっ!!」
「私も残るわっ!!」
「俺もだっ!!」
「私もよ!!」
次々と広がる、人々の叫び。
それは、住む家を追われ、命まで脅かされている人々の、戦いの決意。
私はその光景を、目を丸くして見ていた。
誰かが叫んだ。
「俺たちも戦うぞ!!」
「「おおーーっ!!!!」」
「魔物なんかに負けるかあっ!!」
「「おおーーっ!!!!」」
雄叫びをあげる人々。
「伯爵さま!」
誰かが私を呼んだ。
「伯爵さま! どうか皆に、今一度お言葉をっ!!」
「伯爵さまっ!」
「レティシア様っ!!」
その声に押され、私は戸惑いながら再び壇上に上がった。
「おお……!!」
みんなの視線が私に集まり、急に辺りが静かになる。
何千もの瞳が、私を見ていた。
みんなが私の言葉を待っている。
私は言った。
「私たちの街を、村を、そして未来を! ––––私たちの手で、ともに守り抜きましょう!!」
「「うおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーっ!!!!!!!!」」
その瞬間、地響きのような魂の叫びが、大地を揺らした。