先生
「あなたに、言わなきゃいけないことがある。」
斉藤先生はそう言って、僕の頭を撫でてくれました。田中先生に無理やり刈られたまぁるい頭。僕は、悔しくて、悔しくて、そして、先生が撫でてくれたのが嬉しくて今にも泣きそうでした。でも、みんなの前で泣きたくなんてないから、必死に我慢しました。
「放課後、あなたに向けて授業するからね。」
斉藤先生は、そう言いました。僕が校則を違反したことに対して、放課後、斉藤先生からもお仕置されるんです。
斉藤先生、何も無い顔で言うから、僕は恐ろしくなってしまいました。『怒られる。』いつもは優しくて暖かい先生の様子は、どんどんホラーになっていきます。僕は、目をカッと開けて、少し下を向いて、ドクドクしている心臓の音、聞こえないふりをしました。
これは、昼休みの出来事だったので、放課後になるまでに2つ授業をする必要がありました。
社会と、数学です。
社会の時間は、息苦しくて仕方なかったです。織田信長が、裏切られたとか、そして殺されたとか。僕は、頭がそんなに良くないので、詳しいことはもうさっぱり覚えていないのですが、とにかく裏切られたんです。僕も、裏切られるのではないかと怖くて怖くてたまりませんでした。あの優しい笑顔に騙されていたんじゃないかと、そんなことばかり考えてしまって、社会の先生の質問に、全く答えられなくて、みんなの笑いものになりました。誤魔化すために、
「なんもきーてなかったっす。」
なんて格好つけて言いました。そう言うと、みんな笑ってくれました。
「おい、聞いとけよー!」
「さすがたっちゃん!」
そんな自分の不幸を面白がる笑い声が聞こえて、なんとかやりくり出来た自分に満足しました。自分の不幸を笑い飛ばしてくれる友達は、優しいなぁと思います。
数学の時間もまた、最悪でした。
二次関数を学んでたんですが、横の数が大きくなれば大きくなるほど、縦の線は沈んでいくんです。
僕の時間と気持ち、僕の期待と斉藤先生の気持ち。もう、色々なもんが当てはまってしまって、大変でした。
具体例で当てはめられたんで、問題は、割とささっと解くことが出来ました。Y=-X
そして、ついに、その放課後という学校の時間が来てしまいました。
僕は、斉藤先生を教室で待っていました。
今、この窓から飛び降りたら……。
今、巨大地震が起こったら……。
そんな不謹慎なことばかり考えました。そんくらい今という状況から逃げ出したかったんです。
云々云々考えていたら、先生がドアをガラッとあけて、教室に入ってきました。
脇から汗がムワッと溢れてきました。そんなに気温高いというわけではないので、体の中にこもっていた水が熱で蒸発して服と皮膚の間で外に出れない水蒸気となって脇を、そして全身を濡らしたようです。
上は白いワイシャツ、下は黒いスカートを着た先生が、コツンコツンとヒールを鳴らし、1歩1歩僕の近くにくるのを感じます。そして、座っている僕の真横に来ると、先生が腕を僕の頭より上にあげるのが視界の横からチラッと見えました。
『殴られる……ッ』
そう思って、目を閉じたら、
ポンっ
と優しい効果音が聞こえた気がしました。
ゆっくり目を開けると、先生がぼくのまぁるい頭をやさしく撫でてくれてたんでした。
「優しいタワシみたいね。」
そう言って、斉藤先生は笑っていました。
怒られるんじゃなかったみたいです。
「真っ直ぐで優しいあんたに、社会の授業をしてあげます。歴史でも政治でもないわよ。社会、communityの授業。」
こみにてぃー、僕は英語が苦手なんで、なんもわかりませんでしたが、とりあえずいつもの社会とは違う社会の授業が始まるみたいです。
「丸刈り、されて悔しかった?」
そう言いながら、先生は黒板の前へ歩いていきます。
「悔しかったっす。」
「そうよね。なんでこんなことされなきゃいけないんだって思うよね。ほんと、理不尽な世界だよ。」
僕は、何も言えませんでした。
「田中先生のこと嫌いになった?」
「そりゃあ、まぁ、はい。」
「ふふっ、そうよね……。田中先生ね、あんたのこと丸刈りにした後、すごく悔しそうだった。なんで、丸刈りになんてしたんですかって、そんなことしなくても、他の処罰に変更すればよかったじゃないですかって聞いてみたの。そしたらね、そう決まってるから仕方ない。こんな汚れ仕事やって嫌われるのが僕の仕事ですって、そう言い切った。」
先生は、黒板に書いてある今日の日付を消して、明日のものに書き直した。
「私、すごく感動しちゃったんだよね。今どきこんなにカッコイイ先生いるんだって。あなたは、これ聞いてどう思った?」
「確かに……カッコイイけど……決まりごとのために僕の……僕の……、それは、違うと思います。」
「授業はここから。」
そう言って先生は僕の方を見ました。
「校則があって、それを守らないといけない意味ってなんだと思う?」
「うーん。……社会に出た時、ルールを守れるように、なること?」
「まぁ、それもあるわね。」
僕は、しばらく悩みました。その間の沈黙が僕に早く答えを出せと急かします。先生は待ってくれたけど、それが重かったです。そしてゆっくり先生は声を出しました。
「理不尽を作り、それを壊すことよ。」
先生は僕の前にゆっくりと近づいてきました。
「先生たちは、それを教えなきゃいけないの。理由もないようなルールを守る必要なんて、これっぽっちもない。だから、理不尽を壊しなさい。その力を育てるために、意味不明な校則ってあるのよ。でもね、ただ闇雲に壊しても無駄。先生たちは大人だから、大人の方が強いんだから、暴力でも口論でも、理不尽に負けてしまう。それに勝てる唯一のもの、それをあなた達はもっている。なんだと思う?」
僕は、自分が学校にいる意味を問い直します。
「……勉強?」
「その通り。」
目の前で、先生が僕を指さししました。
「たくさん、勉強して、たくさん学びなさい。そして法を司るなり、新聞に書くなりして、理不尽を崩す風潮を世の中に作ってほしい。先生たちはね、もう国と学校の犬なの。ワンちゃんなのよ。逆らえない。逆らえるのは、あんた達だけ。」
そういうと、先生は、机の前に膝を着いて、僕の手を握った。
「お願い。学校を変えると約束して。」
先生の少し湿った手と、僕の冷えた手は、少し相性が悪かった。ヌメヌメヒヤヒヤして、感触が気持ち悪い。でも、それが心地よかった。不思議な気持ちだ。
その日から、僕は勉強を頑張ると決めた。先生達に見守られながら。丸刈りは、自分から美容師さんに頼むようになった。理不尽を忘れないように。いつしか、丸刈りとガリ勉をかけて「丸ガリ勉」なんていうカッコイイあだ名もついたみたいだ。「ヤンチャのたっちゃん」なんてダサいあだ名で呼ぶやつはもういない。
僕は将来、弁護士になる。そして、校則を、理不尽を変える。正義を学ぶ。真実を学ぶ。
斉藤先生に、強く誓った。