第25話 シュトルの告白
「──────おう、お嬢ちゃんは寝たのか?」
ピノラを起こさないよう、寝室から静かに出る。
リビングへと入ってきた俺を見たシュトルさんは首をこちらに向けた。
「えぇ、ぐっすりです。もともとピノラは夜に長く起きているのが苦手なんですよ」
「そうかそうか。世の学者先生の中には『兎獣人は夜行性である』なんて言ってる奴もいるが……ありゃデタラメだな。ファルルも20年前は、湯浴みをしたあとはさっさと寝ちまうから大変だったぜ」
小さな声で笑いながら話すシュトルさんは、大きな椅子に座りながら右手に温めたワインを入れたマグを握っている。
音を立てて一口啜ると、香りを味わうかのようにゆっくりと鼻から息を吐いた。
穏やかな空気の流れる、深夜のリビング。
オール樹の森、はるか遠くで鳴いている梟の声も聞こえそうな静寂の中……
火のついていない暖炉の前に立った俺は、唐突に口を開いた。
「……シュトルさん、ありがとうございました」
「んん? アレン、急に何だ?」
再び顔を上げたシュトルさんと目が合う。
俺はランプの小さな炎が赤く写る彼の目を、真っ直ぐに見て話す。
「あなたのおかげで、俺とピノラは成長することができました。新たな気持ちで闘技会に挑むことが出来ます」
「あぁ、そんな事か……よせよせ、俺はそんな大層な事はしちゃいない。昔とった杵柄でデカいツラして、お前らにあれこれ指示してただけだ。間違ってもこんなジジイの事を尊敬なんかするなよ」
面倒臭そうに笑いながら、左手をひらひらと振るシュトルさんだったが……
それでも俺は、彼に対し深く頭を下げる。
「いいえ、俺はあなたを心から尊敬しています……俺の知識と経験では、例え何年かけてもピノラをここまでトレーニングする事はできなかったでしょう。本来であれば俺自身が学んで、自らピノラをトレーニングしなければならないのに……全てあなたに頼ってしまった。俺は…………」
言葉が詰まる。
頭を下げたまま目を閉じ、掠れる声を絞り出した。
「…………俺は、訓練士失格です」
濃い木目の床に、俺の影が映る。
そう。
俺は、ずっと考え続けていた。
この2ヶ月、ピノラを強くする事だけを考えて行動してきた、それは間違いない。
ピノラが次の闘技会で結果を残せるように、最善の選択をした。
だが、そんな俺のやった事といえば……ピノラのトレーニングをシュトルさんに丸投げし、俺はその報酬を稼ぐために労働に勤しんでいただけだ。
共に生活すらせず、ピノラが訓練に励むそばに居てやることすらもせず。
この有様で……果たして俺は、『ピノラの訓練士だ』と言う資格があるのか。
結局俺は、兎獣人であるピノラを訓練できるシュトルさんに頼り、全てを押し付けていただけだ。
無論それは、訓練士として恥ずべき事である。
8つの都市に存在する、計100人を超える協会認定の訓練士の中には、訓練士とは名ばかりの者も居ると聞いている。
富豪が道楽で訓練士の座に居座り、金にものを言わせて高級な訓練器具を揃えて複数の人間を雇い、それらに訓練をさせて闘技会に出場している奴も、確かにいる。
ほとんど他人まかせの……訓練士を名乗る事すら烏滸がましい連中だが…………
今の俺は、そんな奴らと何が違うと言うのか。
後悔はしていない。
間違いなく、これは最善の選択だった。
だが、己の技量では何もできなかった自分が恥ずかしい。
そんな俺は、訓練士など名乗れる筈が無い。
一向に顔を上げる事ができない俺を見たシュトルさんはため息を吐くと、傍にあった小さなテーブルに持っていたマグを置いた。
「…………はぁ、やれやれ」
ふう、と肩を落とし、首を小さく横に振る。
軋んだ音を立てて椅子をこちらに向けたかと思うと……一瞬の間を置いて話し始めた。
「なあアレン、良く聞け。お前だけには言っておきたいんだが…………実はな、お嬢ちゃんのトレーニング方法も、武具の設計も、ありゃあ元々は全部俺のアイディアじゃねえんだ」
「…………え?」
俺は目を見開いて顔を上げた。
シュトルさんは、困ったような顔をしてこめかみあたりをポリポリと掻いている。
「本当なんだ。実は俺も20年前に、今のアレンと同じく他人に聞いて教えて貰っただけなんだよ」
「そ、そうなんですか……!?」
静かなリビングに、俺の声が響く。
驚きのあまり、気付けばかなり大きな声を出してしまっていた。
寝室で寝ているピノラが起きなければいいが…………いや、あいつはこれくらいの音では起きないが。
固まってしまった俺の顔を見て、シュトルさんは鼻で笑う。
「へへ、幻滅したか?」
「えっ!? い、いえ、そんな事は……た、ただちょっと、突然衝撃的な事を聞いたもので、ビックリしてしまって……」
シュトルさんは笑顔のまま、再びマグを手に取りワインを口に含む。
左手で唇の湿り気を拭うと、少し姿勢を直してからゆっくりと語り出した。
その顔は、今まで見た彼のどの顔よりも穏やかな目をしている。
「今から20年前、俺がファルルと出会い、共に闘技会の頂点を目指し始めた頃……俺には兎獣人に関しての知識なんてこれっぽっちも無かったんだ。今のアレンのような栄養学や獣人医学の知識も無い、ぺーぺーの30代新米訓練士さ。初めは自己流で何とかしようと試行錯誤もしたが、数ヶ月ファルルと共に暮らしていても何も見えてこなかった。だから俺は早々に諦め、真っ先に兎獣人に詳しい人物にアドバイスを貰うために、ファルルと共に旅に出たんだ」
まるで小さな子供におとぎ話を聞かせているかのように、シュトルさんは静かに、だがしっかりとした口調で話す。
俺はシュトルさんに頼り切りだった事を恥じていたのだが……直後に彼の告白を耳にして、動転してしまっていた。
ぽかんと口を開けた俺を見て、シュトルさんは微笑んだ。
「お前……なんて顔してるんだよ。そんなにビックリする事かぁ?」
「そ、そりゃもう……だ、だって初耳ですよ。協会認定を得るために勉強していた時に、シュトルさんの過去の記事は見た事がありますけど、そんな事を書いているのはひとつも……」
「はっはっは! そりゃそうだろうなぁ。何故なら、俺はこの話を今日まで誰にも言った事が無い。こいつを聞いたのは……アレン、お前が初めてだ」
なんてこった。
俺は今、とんでもない事を聞いてしまっているのでは。
伝説の獣闘士、ファルル。
その訓練士、シュトルさん。
そして更に彼には、指南役が居た……?
世間に情報が流れれば、新聞記者がすっ飛んで来そうな話だ。
果たして、俺なんかが聞いてもいいのだろうか。
メモを取りたい。
いや、こんな話はメモに残しちゃ駄目だ。
ひとり葛藤する俺だったが、シュトルさんは構わず更に衝撃的な内容を口にする。
「ファルルのために何をすればいいのか、それを教えてくれたのは……海を越えた先、はるか北にある大陸の山岳地帯、ブレン山脈のあたりにある兎獣人の集落の獣人たちだ」
「ラ、兎獣人の集落!?」
信じられない言葉を聞いてしまい、俺は最大級に大きな声をあげてしまった。
目の前にいたシュトルさんも、さすがに口の前で指を立てて『声がでけぇよ』と言いたげに眉を顰める。
2人して寝室に目をやるが……幸い、ピノラは起きていないようだ。
シュトルさんはひとつ鼻息を吐くと、やや小声で話し続けた。
「驚くだろ、本当にあるんだぜ。兎獣人は今では世界中でそこそこの数を見るが、元々はどこかの集落にいた一族の子孫が枝分かれしていったんじゃないかって言われてるからな。恐らくだが、そこが大元の集落なんだろう」
暗くなった部屋の中、揺れるランプの光に照らされながら、シュトルさんは思い出を紐解くように話す。
「集落に辿り着いた俺たちは、そこに住んでいる純血の兎獣人たちに頼み込んで、これから闘技会で生きていく事を決めたファルルの為に、必要なことを全て教えてもらったんだ。最初は門前払いどころか、矢まで飛んでくるような有様だったが……集落の兎獣人たちに、ファルルが俺を指さしてこう言ったんだ。『私は、この人間と夢を叶えたい。私の夢は、彼の夢だ。だから、私が忘れてきてしまった兎獣人のすべてを、彼に教えてください』……ってな」
当時の様子を思い出しているのか、時折目を瞑りながら話していたシュトルさんは、語り終えると当時にゆっくりと立ち上がる。
キッチンに置いてあったポットとマグを手に取ると、中の液体を注いで俺に差し出してくれた。
芳醇なワインの香りが湯気に乗って漂う。
見上げたシュトルさんの顔は、本当に穏やかな表情をしていた。
「この2ヶ月半、お嬢ちゃんは他でもない、お前のことを想っていたからこそ訓練を続けられた。お嬢ちゃんを支えていたのは、訓練士であるお前の存在があったからこそだ、アレン。お前は間違いなく、獣闘士『ピノラ』の訓練士だ。その上で、お前が俺に教えを乞うたように、俺もずっと前に他人を頼ったことで、今を掴んだんだ。それは決して悪いことや、恥ずかしいことじゃない。訓練士として足りないものがあれば、他人に聞きゃ良い。人間、時には自分の無力を受け入れて、他人に助けを求めるべきだ。そうすれば、世の中に沢山いるお人好しどもが助けてくれるからな」
目を細めて微笑むシュトルさんの顔を見て……俺は小さく頷いた。
今の一言……シュトルさんのたった一言で、俺の中にあった後ろめたさがすっきりと晴れてゆく。
同じ兎獣人の訓練士として活躍した過去を持つシュトルさんにそう言って貰えたことが、何よりも嬉しかった。
思えば、協会認定の訓練士になってから2年間、俺は誰にも相談することなくピノラと2人きりで過ごしてきた。
それは『最年少の協会認定訓練士』としての自負もあったが、何よりも他者に頼る事を無意識に避けていたのかも知れない。
自分の無力を受け入れる。
他人に助けを求める。
そんな簡単な事すらもできなかった俺は、こうしてシュトルさんに出会って大きく変わる事ができた。
「……と言うことは、こうして俺を助けてくれているシュトルさんも、お人好しという事になりますね」
「認めたくはねぇが、そうまっちまうな、ハハハ!」
笑うシュトルさんを見て、俺はふと思う。
訓練士として、こうして誰かと真剣に語り合うなんて初めてのことだ。
もし自分の父親が今も訓練士としてそばにいたなら、こんな会話をしながらピノラと共に暮らせていたのだろうか。
親子として、そして師弟として日々意見を交わしていたのだろうか。
だけど
そんな事は、もう────────
「なぁアレン、そういえば……お前さんの親父さんて、協会の訓練士だったのか?」
「え………………」
俺は身体をびくりと跳ねさせた。
心の中で思っていた事を、まるで言い当てられたかのようなタイミングで聞かれてしまった。
「ど、どうしてです?」
「いやな、ヴェセットの街中にある食料品店にお嬢ちゃんのものを買いに行った時、駅前にある雑貨屋のおやじに会ったんだよ。その時、お前の事を少し聞かれてな。あそこのおやじは10年くらい前からそこで店を構えてるんだが……数年前にお前にそっくりな人間を見た気がするって言っててよ、そいつも協会認定訓練士の腕章をしてたらしいんだ」
俺は平静を装って聞き返す。
表情を凍らせた俺に気付かず、シュトルさんは続けた。
「でよ、雑貨屋のおやじが言うには、顔つきも同じで、着ている外套まで同じ、更に協会認定の訓練士ってところまで共通してるから、偶然思い出したんだと。当時の見た目からして兄弟って感じでも無さそうなんで、もしかして親子なんじゃないかって話になってなあ」
「……………………」
シュトルさんの話を聞きながら、俺は何も言えなくなってしまった。
まさか父親が、このヴェセットに来ていたとは。
確かに俺がいつも着ている外套は、以前父親が使っていたものだ。
もう使う事もないであろうものを、俺が勝手に譲り受け着用している。
捨てるか売るかして、新しい自分用のものを購入しても良かったのだが……何故かそうする気にはなれなかった。
俺はポール状のハンガーにかけられた腕章付きの外套を無言で睨みつけた。
「……お、おいアレン、どうした? もしかして、俺ぁ何かマズい事でも聞いちまったか?」
唐突に黙ってしまった俺を見て、シュトルさんは慌てて笑みを消した。
きっと軽い世間話になると思って話題にしてくれたのだろう。
だが、俺の予想だにしない反応に戸惑っている様子だ。
「い、いえ…………」
「どうしたんだよ……あ、まさかアレか? その……親父さんを早くに亡くしたとか…………」
父親の話題になった途端に塞ぎ込んでしまった事から、きっと俺の父親が既に亡くなってしまったのだと思ったようだ。
俺はこれ以上空気が重くならないよう、努めて明るい声で返す。
「父親は生きています、多分。獄中ですけれど」
「は!? ご、獄中……!? 何で………」
急に出てきた物騒な言葉に、シュトルさんは驚いて聞き返してきた。
俺は手に持ったマグからたち上るワインの湯気を見つめながら俯く。
シュトルさんには、全てを話そう。
閉じていた目を開き、顔を上げる。
俺は深く息を吸い込んでから、ゆっくりと口を開いた。
「俺の父親は…………協会の訓練士でした。でも、今から2年ほど前に違法奴隷売買の現行犯で官憲に捕縛されました。通報したのは、俺です」




