第13話 シュトルの家
◆ ◇ ◆
徒歩でヴェセットの街の中心部を離れ、歩くこと半刻ほど……
シュトルさんの後に続いてきた俺たちがいるのは、街の郊外にある林道だ。
街中の舗装されていた道と違い、いつからか足元は雑草や泥濘のある田舎道へと変わっている。
そして顔を見上げれば……その先にあるのは、昆虫がたくさん採れそうな小高い山の入り口である。
道端に鬱蒼とした草木が生い茂る林道を上機嫌で進むピノラに対し、俺は進むたびに胡散臭さを増していく道のりに不安を覚え、先頭を歩くシュトルさんの背中を凝視していた。
周囲には住居どころか通行人も見当たらない。
最後に人の痕跡を見たのは小川の脇に建てられた水車小屋だ。
こんな人気の無い場所に案内するなんて、一体どういうつもりなのだろうか……。
『俺の家で話そう』と言われてホイホイついてきてしまった俺たちも大いに問題なのだが、いくら何でも怪しすぎる。
まさかとは思うが、人目につかない場所で俺たちに良からぬ事をしようとしているとか……?
薄暗い林の中を進んでいるせいか、段々と疑心暗鬼になってしまう。
だが、さすがにそれは無いだろう。
何故ならシュトルさんは獣闘士の訓練士であった訳だし、現役の獣闘士であるピノラの強さは理解しているはずだ。
闘技会では毎回初戦敗退続きのピノラとは言え、戦いに身を置く獣闘士の強さは一般的な人間とは比較にならない。
ましてや、まもなく初老を迎えると思われるシュトルさんがその様な企みをするとも思えず……。
となればこのまま黙って着いていくしかない。
殆どノープランで来てしまった己の自業自得を噛み締めながら、俺は足を前に出し続けた。
そんな俺の不安などつゆ知らず、ピノラは林道を歩きながら楽しそうにあたりを見回している。
「あっ! トレーナー! キイチゴだよっ!」
「本当だ、たくさん生ってるな」
「ふぁっ! 見てみてー! バッタがいるぅぅ!」
「ピノラ……お前、何だかいつも以上に元気だな!?」
緩やかな上り坂であるにも関わらず、ピノラは元気いっぱいに飛び跳ねるように林道を進んでいく。
健脚で知られる兎獣人ではあるが、俺たちの住んでいるサンティカでの生活では、ここまでテンションを上げる事は珍しい。
久しぶりの外出で、嬉しいのだろうか?
「はは、元気だなお嬢ちゃん。ま、兎獣人は元々、こういう林や野原で生活していた種族だからな。サンティカのような都会じゃこんな景色は無いだろうし、本能的に感じるものがあるんだろうよ」
「そ……そう、なんですか?」
「あぁ、そうとも。だからこういう場所はお嬢ちゃんにとってはリラックス効果があるんだ。兎獣人の訓練士であれば、そういう事も知っておいた方が良い」
「………………」
恐らくシュトルさんにとっては何気ない会話だったのだろうが……俺は無知を指摘されたような気がして、大人気なくも閉口してしまった。
今の会話からも解るが、この人は間違いなく伝説の訓練士……シュトル=アルマローネ、その人だ。
見窄らしい格好をしながらも、その知識は本物である。
街中でパン屋の店主に向かって暴言を吐いていた者と同一人物とは思えない。
今の説明だって、まるで教師が生徒に授業をしているかのようなはきはきとした口調だった。
本来の彼はこんなにも精悍な印象なのだろう。
だが……街中の人たちから嫌厭されるようになってしまったのは、恐らく酒のせいだ。
今も前を歩くシュトルさんからは、強い酒の臭いが漂ってくる。
かつて闘技会を制覇したほどの訓練士が、どうしてこれほどにまで酒に溺れるようになってしまったのか────────
俺は疑念と憐憫の混ざったような視線をシュトルさんの背中に投げ続けていた。
すると…………
「さぁ、着いた。ここが俺の家だ……ハッキリ言って汚いし、散らかっているが……まぁその、何だ、適当に過ごしてくれ」
「ふぉぉぉ…………!」
「こ、これは…………」
シュトルさんはそう言って、足を止めた。
そこにあったのは、周囲を巨大な木々に囲まれた古い家だった。
林……と言うよりもはや森の中にある家で、空に向かってまっすぐ伸びる大木の隙間に分け入るように建てられている。
屋根には何年もかけて積もったと思われる針葉樹の枯葉が乗っており、壁にも蔦植物のツルがびっしりと纏わり付いているのが目を引く。
だが、はるか上方を覆う木々の葉からの木漏れ日は意外と多く、大木も先端に近い場所に葉が集中しているため不思議と圧迫感は少ない。
家屋の横には細く小さな川が流れており、水汲み場にしていると思われる場所には金属製のバケツが数個置かれたままになっていた。
随分と荒れ果てているな……
そう思いながら玄関扉のある側面に回ると、そこから見える景色に驚いた。
「わぁぁっ! 広ーい!」
「こ、これは凄い…………」
家屋の奥にある森の中には、驚くほど広い空間が広がっていた。
周囲と違って木々は生えておらず、森の中にぽっかりと出現した広大な土地。
木々が無いため上から降り注ぐ光が豊富で、林道よりも断然明るい。
地面は傾斜も無く、芝生のようなごく低い草がまばらに生えているのみだ。
緑に覆われた景色もあって、何だか神秘的な雰囲気さえ感じる。
それにしても広い。
こんな広い平地は、サンティカのような都市部で確保するのは難しい。
同じ規模の空間といえば…………
「いい所だろう、この場所はサンティカにある闘技場と同じ広さにしてあるんだ」
「闘技場と、同じ……? と言うことは、まさかここは……?」
玄関の鍵を開けながら呟いたシュトルさんの言葉に、俺は目を見開いた。
「そうとも。ここは20年前、闘技会に向けてファルルが毎日トレーニングしていた訓練所さ」
なんと、ここがまさに最強の兎獣人であるファルルを育てた訓練場だったとは。
20年前に、ここから闘技会の頂点に立つ獣闘士が出た。
そう思うと、このぽっかりと空いた森の中の空間が、より一層神秘的なものに見えてくる。
だがそんな俺の感慨とは別の理由で、ピノラはうずうずとしていたようだった。
「トレーナーっ! ピノラ、ちょっと走ってきてもいーい!?」
「えっ!? い、いや、ここはシュトルさんの家だから…………」
自由に飛び跳ねられるほどの広い空間を見て心を躍らせたピノラが、耳をピンと立てて聞いてきた。
その顔には『思いっきり走ってみたい!』と書いてあるかのようだ。
何だろうか、こういう場所に来ると兎獣人としての血が騒ぐのか?
いや、今日はそんな用事で来た訳じゃないんだから、と止めようとしたところ
「構わねえよ、お嬢ちゃん! 好きに遊んでな!」
「わぁぁっ! シュトルさん、ありがとうっ! トレーナー! 行ってきまぁぁす!」
シュトルさんからお許しを得たピノラは、嬉しそうに叫ぶと襷掛けにしていたカバンを足元に置いて一目散に駆け出した。
楽しそうな声を上げながら、平らに慣らされた地面を思いっきり蹴飛ばして飛び跳ねている。
まるで公園に遊びに来た子供のようだ。
「な、何だかすみません……まるで遊びに来たみたいになってしまって……」
「なぁに、構わねぇよ。サンティカみたいな都会じゃ、思いっきり駆け回るなんてなかなかできないだろうからな。お嬢ちゃんにとってもストレス発散になるだろうし、好きに遊ばせてやったら良いさ」
腰に手を当てているシュトルさんは、目を細めて笑いながらピノラの様子を見ていた。
「さて、俺たちは……話は家の中で、と思ってたんだが、客が来る事なんてここ数年無かったもんだからよう。正直言って入れるような状態じゃ無え。悪いが、外でも良ければそこの切株にでも座ってくれ」
「あ、はい。むしろ突然お伺いしてしまったのは俺たちですし……」
「すまねえな。じゃあ、少し待っててくれや」
シュトルさんはそう言って玄関扉を開けると、薄暗い家の中に入っていった。
言われたとおり小さな切株に腰をかけた俺は、しばらくの間楽しそうに駆け回っているピノラをぼんやりと眺める。
しばらくして、広場側にある家の裏口からシュトルさんが出てきた。
街中で着用していたぼろぼろの外套を脱ぎ、楽そうなシャツ1枚になっている。
顔も洗って来たのだろうか、幾分かスッキリしたような面持ちで現れた。
シュトルさんは朽ちかけたデッキから階段を使って降りてくると、手に持っていた金属製のカップを俺に差し出す。
「客が来るなんて、今後もう2度と無いと思ってたからよ。うちにあるのはベルモットかシードルくらいだが……いける口か?」
「あ、はい。一応十八は超えてますので」
「そうか。こっちの菓子はお嬢ちゃん用だ。ひと遊びして戻ってきたらくれてやんな」
そう言いながら朽ちかけたテーブルに菓子の袋を置く。
野菜食中心の獣人族用に作られた、専用の焼き菓子だ。
俺はその袋に視線をやりつつ、やや歪んだ金属製のカップを受け取る。
シュトルさんはもう片方の手で持っていた小瓶の蓋を開けると、俺のカップに赤い液体を注ぎ込んだ。
強いハーブの香りがするベルモットだ。
自身のカップにも同じように注いだシュトルさんは、カップを持つ右手をやや高く上げて乾杯の動作をし、一気に飲み干してしまった。
釣られて俺も口をつけてみたが、なかなか強い酒だ。
こんなものをあんな勢いで飲んでしまうとは。
香りを含んだ呼気をゆっくりと鼻から吐いたシュトルさんは、一呼吸置いたあと俺の方へと向き直った。
「さて、改めて挨拶をさせて貰うが……元訓練士のシュトル=アルマローネだ。えぇと、モルダン君、だったか? 俺自身、舌を噛みそうな姓があまり好きじゃない。俺を呼ぶ時は名前で呼んでくれて構わん」
「解りました、シュトルさん。俺の事も『アレン』とお呼び下さい」
「ああ、解った」
サンティカやヴェセットを含むこの国では、どちらか片方が名前で呼ぶ場合は、それに合わせて自身も名前で呼んで貰うよう挨拶をするといった風習がある。
昔から『敬意は姓で、親愛は名で呼べ』ということわざがある程なので、俺も構わず名前で呼ばせて貰う事にしよう。
「早速ですが、シュトルさん。お察しの事と思いますが、俺は『最強の兎獣人』であるファルルを育てたあなたに会いに来ました。その理由は他でもなく、俺のパートナーであるピノラを強くする方法を教えて欲しいからです」
まだ半分以上ベルモットが残っているカップを握り締めながら、俺はゆっくりと腰を下ろしたシュトルさんを真っ直ぐに見つめた。
そんな俺の視線を受け止めたシュトルさんは、どこが自虐的な笑みを浮かべながらため息を吐く。
「解っている。だがアレンよ、見ての通りだ。もはやここには、何も無いぞ」
シュトルさんはそう言って顎を突き出した。
見ろ、何ひとつ残っちゃいないぞと言わんばかりの表情だ。
「闘技会の頂点に居た訓練士のシュトル=アルマローネは、もはや居ない。そして『8強』とまで呼ばれたファルルも居ない。何故かって? 理由なんて簡単だ。慢心したまま酒に溺れ、金を使い果たし、それでも戻ろうとしなかった男に愛想を尽かしたファルルが出ていった結果、今ここにいるバカ男が残ったからだ」
シュトルさんは左手に持ったベルモットを再度カップに注ぐと、その瓶で自身の胸あたりを小突いた。
本人は諦観の色濃い顔で笑っているが……正直、笑えない話だ。
確かに闘技会で一度でも優勝を果たせば、そこから先はまるで世界が変わったかと思える程の金と名声が手に入ると聞く。
闘技会での賞金は、市民の最大の娯楽である闘技会に出場させる獣闘士を育てる訓練士には当たり前のように支払われる報酬なのだが……そのあまりに膨大な金額を目の当たりにして、道を踏み外してしまったのだろう。
「アレンよ……お前はここで何か学ぶべきものがあるとでも思ってるのか?」
直前まで笑っていたはずのシュトルさんは、やや前のめりになって問いかけてきた。
その表情は、先ほどまでとは打って変わって真剣そのものである。
街中では酒に塗れたと思えた灰色の瞳も、今は鋭い眼光を含んで俺を真っ直ぐに見つめている。
そんなシュトルさんに、俺はまばたきひとつせず答えてみせた。
「はい、思っています。だからこそ俺とピノラは、ここに来ました」




