第四話 「機械の試行錯誤」
軽い砕ける音が立った直後、修一の奇声が周囲に広がる。
しまった。私の握力は微調節が可能とはいえ最大で270kgまで上げることができる。もちろん最大出力で力を入れたわけではないが、両手の指先、合わせてわずか10平方センチメートル程度の面積にかかる圧力を均等に分けたとしても、このような脆い構造に対して今の力では過剰すぎたということだ。バラバラになってしまった。
私の両手に薄黄色の粘度の高い液体が広がる。私の指の間からその液体は自身を守るための固い包みの破片を伴って滴り落ちた。
今の失敗したデータをもとにもう一度試みる。圧力分散を計算に入れ、先程は揃えていた指先をわずかに広げる。先端にかかる力を調節しやすいよう、指の各関節を少し曲げて包むように持つ。再び力を加えていく。が、またしても容易につぶれ、手元は始末に困る悲惨な様子となった。またしても奇声が上がる。これではもともと生命の入れ物であったこれも生ゴミに過ぎない。
「……。そうね、もう一度私のやり方を見ていてもらおうかしら。あ、今は遠目じゃなくていいわよ。よおく見てて」
お母さんが一つを手に取り、それを机の天板に軽くぶつけた。小さく放射線状にひびが入る。両手で包むように持ち直し、そのひびの中心に軽く親指を突き入れる。ここまでは先の私と同様である。
「じゃあよく観ててね」
その一言から私は映像記録速度を5倍に切り替えた。
親指と、他の添えた指とを結んだ線は対象の短径と一致し、力を込めてもその径を縮めることが無い。
径を固定したまま手首を曲げることで外力を加えていく。次第に親指を突き入れているひびから筋が入り、その殻の内側に張られた薄い膜が見えた次の瞬間には膜も裂けていく。
膜が裂けたことで閉鎖空間が外界とつながり、重力に従ってまず粘度の低い液体が流れ落ちる。もう少し裂け目が広がるとようやく中央の物を衝撃から守るためのゲル状物が重力に負けて垂れていく。完全にひびが入って十分な隙間が広がると中央の濃い黄色をした球と共にボウルの中に落下していった。
ボウルに落ちると落ちた時の衝撃がゲルに吸収されゲルを強く波打たせ、中央の球は、球を象る薄い被膜を破ることなく形を保ったままだった。
そこまで記録したところで私は記録速度を通常モードに移行した。
「はい、ちゃんと記録できた?」
「ええ、ありがとうございます」
今の映像記録と先程の私のやり方の相違点を探す。持ち方は大きく変わりない。違う点は力の込め方と割る際の手首の動かし方にあるようだ。私は手首を使わず指先のみを使用して割ろうとしていた。大きく改善を要求されるのはこの部分と推察される。だがそれだけではない。卵もそれぞれで卵殻の強度が異なり、同じ力で行って粉々になることもあればひびが一向に大きくならないこともあった。各回でデータ収集を行い、許容されるレベルの握力を算出しなくてはならないだろう。
今隣では修一がやっている。初期の私と同様粉々だ。お母さんがこぼれ落ちた破片を回収している。だがいずれ失敗することなくできるようになるだろう。私のように収集したデータに基づく力加減だけでなく、感覚を十分に働かせることで。
センサーの塊である人間の表皮というのは非常に優れた構造物だ。圧力、温度、質感の微小な変化をわずかこれだけの構造物で察知しそれを統合、微調節情報にフィードバックし動作を適切にする。それもこの構造が全身に存在するのだ。
私の場合は自分に外力が加えられることで生じる振動、あるいは移動した重心を検出することでボディに何かが接触していることを察知する。単純に何かが触れただけでは私のメインCPUには情報として上がってこない。さらに特殊素材の人工皮膚も柔らかくて微小な振動を吸収してしまう。これがいけなかったのだろう。
皮膚のような精巧なセンサーを全身に備えることは非常に難しい。もっとも敏感であるべき指先のみに導入することにしたとしても、その表面積の小ささからしてナノテクノロジーを存分に駆使しなくては成しえない。さらに今私に実装されている構造と両立しうるか検討し、状況によっては現行の機能をグレードダウンさせる必要が出てくる可能性もある。また、そのシステムを導入するのであれば情報処理プログラムの構築も必要だ。
簡単そうにしているが、やはり卵を割るのは難しい。
「それではお母さん、すみませんがもう一つ卵をとっていただけませんか?」
「はいはい。今度は上手く割れるかしらね」
手渡された鶏卵を右手全体で包むように持つ。そして軽く机の天板にぶつけ、ひびを作る。
「……。最初はこれができなかったのよね……。大したものよ、本当に」