悪役令嬢は凄腕スナイパー 「たとえ私に破滅の道しかなくとも、この国だけは護ってみせる」 (読切版)
シャンパンの泡がきらめくグラスを片手に、恰幅の良いオジサマ達は笑い合う。
その分厚い面の皮に、どす黒い感情を隠して。
「今回の商談、うまくまとめていただいて感謝しておりますよ」
「こちらこそ、リカルド様にはいつもご贔屓にしていただいて、ありがたい限りです」
がっちりとかわされた握手をしながら、見えないところで足を踏み合うのが、貴族という生き物だ。
そんな世界にヘドが出る。全部、全部壊してしまいたい。
「チッ……。くっせえ息してそうですわね。
牛のゲップのほうが、よっぽどフローラルですわよ」
ライフルのスコープを覗きながら漏れる言葉は、誰に聞かせるものでもない。
だからこそ言いたい放題。今だけは、公爵令嬢の仮装をしなくていいのだから。
『ドゥフフ……。毒舌令嬢チャン、もうちょっと待ってネ』
「きっしょ! その笑い方やめなさいと、いつも言っているでしょう!?」
『デュフッ! サーセンっす。拙者、根っからのキモヲタなもので』
「気持ち悪がられて、悦んでますわね……。ホントに気持ち悪い……」
こんな無線越しのやりとりも、これで何度目か……。
まったく、これさえなければいい仕事なのに……。
『デュフッ! カウントダウン、いくでござる』
「ええ」
『3』
『2』
『1』
その瞬間、屋敷の一室を照らしていた照明魔法がふっと消える。
闇がパーティー会場を覆ったその一瞬、私は引き金を引いた。
パスっという軽い音。パリンと小さくガラスの割れる音のあとには、ドサリと『何か』が倒れる音が続く。
けれど、会場の誰もが、最後の音だけしか聞こえていないだろう。
そして、照明魔法が再び会場を照らした時、悲鳴が響き渡るのだ。
「ミッションコンプリート、ですわ」
無線越しの不愉快な笑い声を耳に入れることなく、私は仕事場をあとにした。
◆ ◇ ◆
朝、晴れ渡る空の下を走る馬車の中で、私は少し眠っていた。
「お嬢様、到着いたしました」
「んっ……。もう、ですのね」
少しの間の仮眠で、疲れが取れるはずもない。
そんな私を見て、専属メイドのミルは少々心配顔だ。
「体調がすぐれないようでしたら、欠席されますか?」
「いえ、問題ありませんわ」
馬車を降り向かう場所は、私の通う聖アーテル学園。
貴族と、才能のある者しか通うことの許されない、この国最高の教育機関だ。
しかしその実情は、ほぼ貴族専用学園という状態であり、皆が馬車で通えば毎朝大渋滞になる。
そのため身分に関係なく、専用の降車場で馬車を降り、10分程度は歩かなければならない。
私が学園の生徒を狙うなら、この瞬間だと考えながらも、専属メイドと共に歩みを進めた。
「お嬢様、体調がすぐれないようでしたら、今日だけでもお荷物をお預かりさせていただけませんでしょうか」
「あなた、しつこいわよ。最低限のことは自分でやる。それが私のポリシーですの」
「申し訳ございません……」
周囲を見回しても、校則のため仕方なく歩くものはいても、自身でカバンを持つ者などいない。
そのような些細なことでさえ、私には貴族の高慢さに映るのだ。
だから、小さなカバンであっても自分で持つ。それは、私のささやかな抵抗だ。
そんないつもの朝。いつもの気配が背後に迫った。
咄嗟に私は相手の手首を掴み、背負い投げで地面へと叩きつける。
「痛ってえ!! なにすんだ!!」
「あなたこそ、乙女の背後に忍び寄るなんて、失礼ですわよ?」
「ったく、公爵令嬢が聞いて呆れるぜ……」
相手は同じく学園に通う、ヴァイス。
闇に紛れるのに良さそうな短い黒髪と、表情を読めない張り付いた作り笑い。
視線さえ読ませぬ、開いてるかも分からないつり目が特徴の男だ。
そしてなにより、彼は特別だった。
気配を全く感じさせない、特殊能力を持つのだ。
「なんでお前は俺に気付くんだよ!?」
「さあ? 小さい頃から一緒だったからかしら?」
「ったく……。エリヌスはいつまでたってもじゃじゃ馬だな」
「ヴァイス、あなたも学習しないじゃない。そろそろ諦めたら?」
「やなこった! これは俺の仕事なんでな」
「そう……。せいぜい頑張りなさい」
彼の仕事、それは諜報だ。
あらゆる権力者の情報を集め、弱みを握る。
それは交渉の材料にもなれば、世界を揺るがすほどの力にもなる。
誰よりも危険で、誰よりも使える人間だ。
しかし、彼の調査対象の一人に、私は入っていた。
「あとはお前だけなんだけどな」
「私の弱みを握っても、たいした武器にはなりませんわよ?」
「なに言ってんだ、王位継承権第七位のお嬢様が、なんの力もないわけないだろ?」
「ないわ。上6人に万一の事態が起こるなんて、ありえないですもの」
「だといいなぁ……?」
ヴァイスはニヤリと黒い笑みを浮かべた。
それは、昔から彼を見ている私だけに分かる、悪だくみの表情。
この顔をしたヴァイスの提案には乗らないほうがいい。それが私の今までの経験からくる結論だ。
「なんですの? その意味深な発言は」
「知りたいか?」
「どうせ高いんでしょう?」
「幼馴染割引しておくぜ?」
「内容次第ですわね」
「仕方ねえな。後払いでいいぜ」
ヴァイスは立ち上がり、軽く服に付いた汚れを払いながら、私の耳元へと顔を近づける。
私はそれを扇子で隠しながら、聞き耳を立てた。
「豪商のリカルドが死んだ」
「あら? それだけですの?」
「驚かねえのな」
「その程度なら、いずれ耳に入る話ですわ。
あなたほどの地獄耳なら、その先もあるのでしょう?」
「よくわかってんな。さすがエリーちゃんだぜ」
「いいから続きを」
「やられた理由なんだがな、どうやらヤツは裏で奴隷を扱っていたらしい。
それによる恨みじゃないかって話だ」
「へぇ……。商店を襲撃されたのかしら?
だとすれば、警備を厳重にしないと……」
「いや、いつものアイツだ」
「アイツ?」
「鉄の死神」
「…………。最近世間を騒がせている、魔術師ですわね」
「あぁ。今回も、鉄の玉で頭をブチ抜かれたらしい」
「それじゃ、防ぎようがありませんわね……」
小さくため息を漏らせば、ヴァイスはさっと離れ、ニヤニヤしている。
ご褒美を待つ犬のようだが、事実そうだ。このニヤつきは、情報料をよこせ、そのサインである。
「ミル、金貨3枚を」
「ちょっ!? エリーちゃん、それは少なすぎねぇ!?」
「なに言ってますの? 昼食6日分くらいにはなりますわよ?
それに、情報はあっても、有益ではありませんもの。
もし報酬をはずんで欲しいのなら、死神の容疑者か、対策法。
もしくは、次に狙われるであろう相手の目星くらい付けなさい」
「おいおい、そりゃ無茶な相談だぜ……」
「無茶を通した者こそが、報酬を得るものですわ」
「チッ……。仕方ねえな、もうちょい調べてやるよ」
ヴァイスは手持ちぶさたに、金色の三枚の硬貨を宙へ転がしながら、ヘラヘラと学園へと向かってゆく。
その背を見送りながらも、ミルは渋い顔を崩さなかった。
「お嬢様、かのような者と関わりを持つのは……」
「昔からの仲ですわ。いまさら何を」
「ですが……。相手の家は準男爵、立場が違います」
「使えるものは使う。当然でしょう?」
「…………。くれぐれも、お気を付け下さい……」
それ以上の言葉はない。
他の者も居るこの場で、それ以上を言うわけにはいかないのだ。
邪魔が入ったが、再び歩み出せばすぐに学園の昇降口だ。
靴を履き替えれば、見知った顔が見える。
ピンクのショートヘアがなびく、幸薄そうな顔の女。
この世界の中心に立つはずの、その女の名はセイラ。
この世界の行く末を決める者だ。
「あらあら、なにか臭いませんこと?
学園への嫌がらせに、生ゴミでも放り込まれたんじゃなくて?」
「っ…………!」
「あら、あなたいらっしゃったの?
あまりの臭さに、生ゴミと勘違いいたしましたわ。
これは、生ゴミに失礼なことを言ってしまいましたわね」
「…………」
女はすごすごと引き下がり、うつむいて道を開けた。
肩を震わせ、自身は壁だと言わんばかりに、ただ息を潜めたのだ。
「フンッ……。ミル、ゆきますわよ」
「はい、お嬢様」
いつもの光景だ。そして、あるべき光景だ。
私は悪役令嬢。彼女を虐め、彼女の壁となり、立ちはだかる存在。
世界の裏にあるはずだった、その真実を聞かされても、変わることはない。
『この世界はゲームだ。そして君は、悪役令嬢。
主人公と、6人の攻略対象との間に立ち塞がり、行くてを阻む者』
『もし、かの6人の誰かと主人公がエンディングを迎えれば、この国は変わることなく腐敗し続け、近く破滅する。
唯一の破滅を回避する方法は、主人公と6人の男を破滅させ、君が主役の“バッドエンド”を迎えることだ』
思い出される言葉が頭を巡り、決意を新たにする。
必ず、この国を救ってみせる。そして、良いものへと変えてみせる、と。
だから私は演じなければならない。
悪役を、ストーリー通りの悪事とともに。
「いかがかしら? お手洗いフレーバーのサンドイッチのお味は」
「ムグッ! んんん……!!」
昼休み手洗い場で、落としたサンドイッチを無理やりセイラの口に押し込んだ。
涙目になりながらも、ミルに押さえつけられ、抵抗できず、なされるがまま受け入れている。
これも必要なこと、そう言い聞かせてもなお、罪悪感が募ってゆく……、はずはなかった。
ただただ気持ち悪い女が、気持ち悪い表情を晒しているだけだ。
そこに私の感情などない。
「おー。やってるねぇ、エリーちゃん?」
「ヴァイス!? あなた、ここをどこだとお思いで!?」
「え? 女子トイレだろ?」
「しれっと男が入ってくるんじゃありませんわよっ!!」
勢いよく脇腹を蹴ってやれば、朝と同じく、避けることもできずヴァイスは無様にうずくまる。
「今日は……、白……」
「蹴られながら、スカートの中チラ見してんじゃありませんわっ!!」
ついでに踵落としを入れてやった。
「今度はモロ見え……。てか、見えるような攻撃すんな……」
ガクッと力なく倒れるが、それでも情報収集は怠らない。
本当にこの男は……。その情報はいくらになるというのだろうか……。
「で? なんの用ですの?
まさかここであったことを、弱みにできるとお思いではないでしょうね?」
ぐりぐりと頭を踏みつけながら言えば、情けない声で反応した。
「そんな公然の秘密、ネタにならねえ……。
てか、踏みつけるのやめて……」
「それじゃ、なんですの?」
「朝の続きだ……」
「!」
さっと足を外し、ヴァイスを立たせる。
「それを早く言いなさい!」
「言わせなかったくせに」
「場所を変えますわよ!」
「はいはい」
「ミル、あとの処理は任せましたわ」
「かしこまりました、お嬢様」
指示をとばせば、セイラは恨めしく睨んでいた。
「なんですの? まだ食べ足りないのかしら?
欲しがれば、まだもらえると思っているなんて、本当に卑しいですわね!
私の慈悲に甘えるんじゃありませんわよ!」
その言葉を残し、ヴァイスの手を引き私は手洗い場を去る。
「しっかし、エリーちゃんもエグいねぇ……」
「なんですのよ!?」
「前はあんなに仲良しだったじゃ……」
「もう一度踏まれたいのかしら?」
「あっ……。なんでもないっす……」
ヴァイスは口をつぐむ。身の危険を感じたのだろう。
それを無視し、早足で歩き続けた。
人のいない場所と考え、二人で礼拝堂へと入り、戸の鍵を下ろした。
中は重苦しいほどに静かな空気が流れ、ステンドグラスが陽の光にきらめいている。
「それで、朝の続きを聞いてもよろしいかしら?」
「はぁ……。お前はホント、勝手だよなぁ……。まあいい。朝の事件、色々調べておいたぜ。
殺されたヤツは、他にも裏で黒いことやってたようでな、その取引してる相手とのパーティー中にやられたらしい」
「暗殺、ですわね。犯人は、その相手の手のものかしら?」
「わからんが、ありうるな。裏切りかもしれん。
ま、推測はやめておこう。事実だけを並べよう」
「そうね」
「どうやら、鉄の死神は外からやったらしい。
窓ガラスに、鉄の玉と同じ大きさの穴が空いていたんだとよ」
「鉄の玉を打ち込む魔法が、そんな遠くから?」
「普通の魔法じゃ、んなのは無理だ。だから、かなりの魔術師だろう。
これで犯人はかなり絞れるし、それほどの魔法なら、妨害結界でちょっと邪魔すりゃ防げるだろう」
「えぇ。高度魔法ほど、妨害には弱いですものね」
「対象との距離が遠けりゃ、なおさらな」
「私の屋敷にも、結界を用意させますわ。
あなた、多少は役に立ちますのね」
「そりゃどうも」
「報酬は……」
「待て待て、他にも情報が……。ん?」
ヴァイスの言葉が止まる。ふいと向けられた視線に、同じように私もそちらを見つめた。
そこには、見慣れぬ女生徒が一人。気まずそうな顔でこちらを見ていた。
「あー……。俺の情報を盗み聞きされたからには……。消すか」
「おやめなさい。学園内での流血沙汰は、私が許しませんわ」
「流血手前なら可、ってことだな?」
「ええ」
「ヒッ……!」
私たちの会話に、女生徒はびくりとのけぞった。
「冗談よ。あなた、どうしてここに?」
「えっ……。あの……」
「俺の情報を盗み聞きしたんだ、そっちの情報を貰おうか!?」
「いえっ! 聞こうとして聞いたんじゃなくてっ……!」
「コレの言っていることは、無視してかまいませんわ。
ただ、昼休みに礼拝堂を使う方なんて、普通はあまりいらっしゃいません。
なにかよからぬことをしていたなら、尋問も必要ですわね?」
「ひっ……!?」
「お前のほうがエグい威嚇してるじゃねえか」
ヴァイスと私は、笑顔で女生徒に歩み寄り、そして二人で挟み込むように、長椅子に腰掛けた。
オドオドとしていた彼女も、諦めたのか肩を落としながらも、静かに語り出す。
「私、二年のミーと言います」
「あら、上級生でしたの。失礼しましたわ。
私は一年のエリヌス。そっちは同じく一年のヴァイスですわ」
「お二人の噂は、色々と聞いて……。あっ……」
「へぇ、噂に? どんなだろうねぇ?」
悪魔のような笑みは、再びミーをこわばらせた。
「ヴァイス、やめなさい」
「あの、その……。お二人とも有名ですので……。
公爵令嬢様と、情報屋という話は……」
「その程度かよ。つまんねーの」
「それで、なぜあなたはこんな所にいらしたの?」
「それは……」
ミーは涙を浮かべ、静かにこぼす。
「私、学園を辞めないといけなくて……」
「学園を辞める? それはどうしてかしら?」
「…………。お恥ずかしい話なのですが……。
ウチには借金がありまして……。
最初は、ほんの小さな額だったはずなんです……。
なのに、いろんな理由を付けて……」
「ん? 借金? ってことは、学費の問題か?
しかし、借金の問題ってことは、平民だよな?
なら、学園に入れた時点で、学費は免除されてるだろ?」
ヴァイスの言う通り、この学園に通える平民とは、能力を認められた者だけだ。
つまり特待生であり、学費が免除される。
だから、彼女が学費の負担のため学園を辞めざるをえないというのは、考えにくいのだ。
そして貴族ならば、借金で子どもを退学させるなどということも考えにくい。
借金でお家取り潰しになる場合であっても、別の貴族に養子に出されることが通例だ。
ならば貴族の地位は変わらず、養子だからと学園を辞めさせれば、世間体が悪くなる。
なによりもメンツを大切にする貴族が、学費などという端金のために、そのようなことをするはずがない。
「はい……。ですが、借金の返済のために……」
ミーは、肩を震わせ、ポロポロと涙をこぼす。
そして嗚咽にも似た声で、続きを吐き出した。
「花を売れと……」
「あら、お花屋さんで働くことになるの? それは大変ですわねぇ……」
「あー、エリーさん? ちょっとこっちに……」
「なんですの!?」
ヴァイスにぐいっと引っ張られ、聖堂の隅へと連れられる。
そして小声で耳元に、先程の言葉の意味を説明したのだ。
「あれはつまり、アレだ」
「アレ?」
「あー、身体を売れってこ、ぐはっ!」
咄嗟に腹に一撃入れてしまった。けれどこれは仕方ないことだ。事故だ。
まさかヴァイスの口から、そんな言葉が出るとは思っていなかったのだから……。
「おまっ……。うわ、顔真っ赤だぞ?」
「誰のせっ……!」
「静かに」
手で口を塞がれ、言葉を遮られた。
そして真剣な表情で、ヴァイスは見つめてくる。
「世の中そんなもんだ。むしろ、命あるだけマシだ。
昨日やられたリカルドなんて、闇市で臓器売買していたらしい」
「臓器売買?」
「あぁ。身体を悪くした金持ちどもは、悪くした部位を材料にした薬を飲めば治ると信じている。
その材料にするため、闇ルートで人間を仕入れて、捌いていたって話だ」
「そんなこと、許されるはずが……」
「バレなきゃ犯罪じゃない。オーケー?」
「…………」
「お嬢様には少しばかり刺激が強かったか?
お前があのピンク頭にやってることが見逃されるのは、世間はもっと黒いからさ」
「それとこれとは、関係ありませんわ!」
「まあいい。ともかく、そういう話だ。
なにより、俺たちがどうこうできる問題でもない」
「…………」
ヴァイスの言う通りだろう。私がミーを助けたくたって、私には何の力もないのだ。
けれど、もう一人の私なら、もしくは……。
「ミーさん。事情はわかりましたわ。
ところで、その借金とは、どなたに借りていらっしゃるのかしら?」
「おいエリー! んなもん聞いてどうすんだ!?」
「私にも多少の蓄えはありますわ。あなたに情報料金貨3枚を、ポンと支払えるくらいにはね。
ですので、利子程度なら建て替えさせていただきますわ」
「お前……。んなことしたって、意味ないだろ?」
「だからって、学園を追い出される方を見逃せませんわ!」
「いえ、そう言っていただけるだけで十分です……。
ありがとうございます。さよなら……」
「ちょっと! お待ちになって!」
ミーは涙をぬぐい、深々と頭を下げたあと、聖堂から逃げるように出てゆく。
その背を見送ることしかできず、私たちは取り残された。
「ヴァイス」
「調べろってか? なんでそこまでする?」
「私は7番目の女ですもの。見てしまった悪を、見なかったことにするつもりはありませんわ」
「お前がそれ言う? ま、いいけど。高いぞ?」
「働き次第、ですわね」
「んじゃ、超特急・超高価格で調べてやるさ」
「頼みましたわよ」
◆ ◇ ◆
その会話は、ほんの二時間ほど前だったはず。
にも関わらず、放課後にヴァイスは、分厚い資料を手渡してくるのだ。
「早すぎません? 授業出てますの?」
「俺の影の薄さ、知ってるだろ?
授業なんて出ても出てなくても、いつも通り居るような気がする程度の、うすーい存在感なんだよ」
「あなた、留年しますわよ?」
「そんときゃ、裏工作頼むわ」
「お断りしますわ」
ため息混じりに資料を開けば、ミーの家族構成から、借金の額、使い道。
そして貸した相手と、幾つもの人物名が羅列されたリストが出てきた。
「それはミーちゃんと同じく、金を借りたヤツのリスト。
どれもこれも、法定利息よりかなり高い金利になってるな。
もちろん一見合法の手段で、無理やりこじつけてるんだがな」
「つつけば、埃が出る相手なのね?」
「あぁ。金を貸したヤツの名はフレックス・リバー。
お前のオヤジさんトコのモンだ」
「え? お父様に支えてる方ですの?」
「いや、派閥というかなんというか……。オヤジさんも、金融関係だろ?
横のつながりがある程度だ。直属じゃねえ。
ま、ミーちゃんも知らずに、お前に話したんだろうな」
「なるほど。それなら、お父様に頼めば……」
「そりゃ無理だろうな。上下がはっきりしてれば可能だろうが、一応は別組織だからな。
ただ、オヤジさんが後ろ盾になってる。なにかコトが起これば、オヤジさんも叩かれる立場だぞ?」
「つまり、今回の件を公にすれば、私にも影響があると」
「そういうこった。身の安全のために、手を引くんだな」
「…………。後ろ盾になっているのなら、管理責任がありますわね?」
「面倒なことになるぞ? そこまでしてやる義理はないだろ?」
「いえ、気になることがありますの」
「気になること?」
「えぇ。例の死神ですわ」
「鉄の死神か? それがどうした?」
「昨日の事件も、黒いことをしていた豪商が狙われたでしょう?
もし死神が世直しごっこをしているなら……」
「次に狙われるのは、コイツってか?」
「次じゃなくても、近いうちに……」
「まあ……。ない話ではないか……」
「ですので、少しこちらでも動きますわ」
「そうかい。お前も死神には気を付けろよ?
約一名には、確実に恨まれてるだろうからな」
「それは、あなたのことかしら?」
「あ、俺含めて二人な」
「ホントに、気をつけなければなりませんわね」
クスクスと笑えば、ヴァイスも笑う。
さて、一仕事しましょうか……。
◆ ◇ ◆
『デュフッ……。御令嬢サマがターゲット選ぶなんて、めずらしいでござるな』
「ま、そういうこともありますわよ。
もっと穏当な手段で、解決したかったのですけれどね」
『フヒヒッ……。何があったかは聞かないでおくでござる。
どうせゲームのシナリオ上では、端折られる部分でしょうしな』
「あなたの言うことが本当なら、血生臭い恋愛ゲームですわね」
『血生臭くしてるのは、令嬢でござるよ』
「そう。それも一興よ」
『では、作戦通りに。定位置からの狙撃で終わらせるでござるよ』
「わかりましたわ」
無線を終え、私は闇夜を駆ける。
フレックス氏は、毎日同じ時間に金庫から借用書を取り出し、確認する。
他人を信用しない彼は、その瞬間だけは絶対に一人きりだ。
それは、借用書がなければ借金を無しにできるから。
身近に置く人間さえも、誰かの回し者だと疑っているのだ。
その瞬間を狙撃する。
銃なんてものがないこの世界、遠くから引き金を引くだけで人が死ぬなど、誰が想像できるだろう。
だから油断するのだ。窓際の椅子に座り、紙を数えるなど、殺してくれと言ってるようなものだ。
スコープから覗く、でっぷりと太りきった男の手元には、多くの紙の束。
その数と同じだけ、被害者がいることを指し示す。
丸々と太った豚を撃ち抜けば、それらは父の管轄へとやってくる。
そうすれば、私の進言に従って、父は適正な処理をするだろう。
だけど、それでいいのだろうか……。
父は「死神を恐れる娘」のために、彼の二の舞にはならないだろう。
けれどそれでも、借金はなくならない。取り立てる者が、父に変わるだけなのだ。
あの紙さえ、あの紙さえなければ……。
そう考えた瞬間、私は駆け出し、フレックスの屋敷の屋根へと飛び移っていた。
『デュフッ……。命令違反は認められませんぞ』
「悪いわね。今回は私がやりたいと言い出した仕事なのよ。
私のやりたいようにやらせてちょうだい」
『フヒヒッ……。お嬢様もこちら側にどっぷりですな。
サポートは対応外ですぞ?』
「かまわないわ」
『デュフフ……。ご武運を』
フレックスのいる部屋の上へと移動すれば、ロープを垂らす。
彼の居る部屋は3階。4階建ての屋敷なら、上から入る方が近い距離だ。
ふっと窓から入る風に、びくりと身体を震わせ豚が振り向く。
「誰だっ!?」
「ごきげんよう、フレックス様」
「!? エリヌスお嬢様!?」
「そして、さようなら」
彼は、私の手に握られた、黒い筒がなにかわかっていない。
それは拳銃。バンっとけたたましい音が鳴れば、次の瞬間には、豚の屠殺は終わった。
それと同時に、屋敷の玄関方向が騒がしくなる。
見れば、窓の外に煙が上がるのが見えた。
『フヒヒッ! サービスでござるよ。
さっさと撤退ダー!』
「もう一つやることがあるのよ」
『手短にお願いするでござる』
「すぐ終わるわ」
私は銀色の、手のひらサイズの小箱にしか見えない道具を取り出す。
パカっと二等分するかのように開き、中のネジを親指で勢いよく回す。
シュボッと火が点り、光が顔をじわりと熱くさせた。
「これで、ミーさんは自由よ」
ライターを借用書に落とせば、瞬く間に燃えひろがる。
もうもうと登る煙を背に、私は屋敷をあとにした。
◆ ◇ ◆
翌朝、こりもせずヴァイスは私に組み伏せられながら、文句よりも先に言葉を発する。
「お前の言う通りになったぞ」
「何がかしら?」
「フレックスが死んだ」
「あら……」
「死神は、救世主なのかもな」
「違うわ。ただの人殺しよ」
「そうか……」
ヴァイスは立ち上がり、隣を歩く。
そして独り言のように呟いた。
「皆、誰かの犠牲の上に立ってる。
今回の犠牲者が、たまたまアイツだっただけさ」
「なに? 慰めてるつもり?」
「そりゃ、知ってるヤツ、それも最近会ったヤツなら、気にしてるかなってな」
「お気遣いありがとう。けれど、彼はやりすぎたのよ」
「かもな」
昇降口の近くまでやってくれば、花壇の花に水をやる、ミーさんが見えた。
彼女はこちらに気付くと、晴れ渡る空と同じような笑顔で、こちらにかけてくる。
「おはようございます!」
「おはようございます。ミーさん」
「あの……。私、学園を辞めなくてよくなったんです!」
「そう、よかったわね」
「それで、関係者さんが来て教えてくれたんですけど、エリヌスさんが色々とお願いしてくれたおかげで、上の人が変わったとかで……。
詳しい事情はよくわからないんですけど、ありがとうございます!」
「いえ、私はなにもしてないわ」
「そんなことありません! 全部エリヌスさんのおかげです!
それで、お礼といってはなんですが、これを……」
彼女は、小さな紫色の花を差し出す。
それは花壇にはない花で、可愛らしいリボンで束ねられていることから、わざわざ用意したものなのだろうと分かる。
もしかして、私が来るのを待っていたのかしら?
「あら、ありがとう」
「本当に、ありがとうございました。
もしなにか困ったことがあったら、相談してくださいね!
今度は、私が力になりますから!」
「ええ。頼らせていただくわ。先輩」
「えへへ……。あ、私、そろそろ行きますね!」
ぺこりと一礼し、彼女はジョウロ片手にかけてゆく。
本当はこんなにも、明るい先輩だったんだと、少し驚いた。
「俺も手伝ったんだけどなー」
「あなた、影が薄いのだから仕方ないじゃない。
それにしても彼女、本当に花屋にでもなるつもりかしら……」
「サクラソウか……。お前も、花咲かしちまったかもな」
「え? 私が?」
「あぁ。百合の花をな」
「? どういうこと?」
「教えねえ」
気持ち悪い笑みと共に、ヴァイスは歩いてゆく。
そんな態度の幼馴染には、飛び蹴りを喰らわせてやろうと、私は駆け出した。
お読みいただきありがとうございました!
今回、連載を検討している作品を、短編で読み切りとして投稿しました。
短編だが、短いとは言っていない。1万字って、短編として読むには辛い量っすね……。
これでもかなり削ったというか、唐突な話運びがあったかと思います。
途中『父親と共に悪徳金融業者邸に突撃(下見)に行く』という、悪役(でもない程度の)令嬢パートがあったんです。
書こうとした瞬間察しました。「あ、これ2万字コースや」って。
なので今回は、泣く泣くカットした次第であります。
途中、キモヲタ司令官に「ゲームでは端折られる」なんて言われてますが、実際に端折られたのは、ゲームじゃなく読み切り版でしたね!
そんなわけで、連載化する場合には加筆しま~す。
反応を見たいがために短編読み切り化しましたので、感想等よろしくお願いします。
感想を書くのが苦手な方は、評価での応援だけでも、どうかよろしくお願いします。




