エピローグ ――しあわせ夢見る悪竜は、聖女の下でひた眠る。
そうしていくつもの季節が流れ、何度この場所から人々の営みに手を伸ばし続けただろう。
わたし――アナスタシア=ドラグニルは小高い丘の上で『下界』を見守り続けていた。
年中鮮やかで色とりどりの花が咲き誇る、誰も知らない秘密の霊園。
風に揺蕩うマナの香りが春の訪れを運んできて、気持ちを高揚させる。
『少し前』までのわたしは血と硝煙のなかを駆けまわっていたというのに
いまでは清廉なまでに清められたマナが身体を浄化し、魂の奥底が清められ健康体になってしまった。
風に揺蕩う黒髪を指で払ってみせれば、窓辺から零れる日の光に目を細め、じっと外の様子を眺める。
あの劇的な『悪竜討伐』が行われてから五十年。
『悪竜』が死んでからというもの本当に、この国は平和になった。
他国との争いはなくなり、大地に豊かな実りが溢れ、
問題であった亜人との格差制度も廃止された。
聖女を育成する『聖道院』は開かれ、全ての悪事が明るみになり
上級貴族の間でも不正を働く者たちは軒並み改心させられたらしい。
なかでも魔女教と名乗る『聖女』否定派の人間がいなくなったのが大きい。
おかげでわたしの『力』は全く必要なくなり、いまではこんな人目のつかないお花畑でのんびりとした毎日を送る羽目になっている。
まぁそれもこれも聖王国ディスティニアは四百年ぶりの降臨した大聖女さまのおかげだが――
「武力でなく言葉で黙らせるってのがあの子らしいんだよなー」
「うん? それってだれのこと?」
「ううん。こっちの話」
幼いソプラノの声に首を振るってやれば、愛していた少女の面影を残した幼子が興味深そうな顔でわたしを凝視していた。
まったく。一人寂しく罰を受けるつもりが、とんだおてんば娘に見つかったものだ。
本来なら罪人のわたしの姿は絶対に知られてはいけないのに、どうやらお母様の力が強すぎたらしい。
半年前からこの廃れた掘っ立て小屋に立ち入っては、昔話をねだってくる。
それもこれも全て、聖女をたぶらかし、泣かせてしまった罰だと思えばまだ納得できるけど――
「ねぇおねぇさん。それでこの間のおはなしのつづき、聞かせてよ!!」
「ああ、そうだったね。でもこんなところで油を売っていて本当に大丈夫なの? 貴女、聖女なんでしょ?」
「うん。でも学校の授業はつまんないんだもん。おねぇさんのお話の方がたのしい!」
「まぁわたしも暇だからあなたがいいのなら別に構わないけど……それでどんなお話が聞きたいの?」
「悪い竜さんとお姫様の話!!」
とりあえずリクエストしてみれば、元気よく手を上げる幼女の口から何度も聞いた○○が飛び出してきた。
けど――
「またそれ? あなた、この物語ほんとうに好きね。もっとおじいさまの武勇伝とか聞きたがらないの?」
「うん。だってとっっても素敵でカッコいいんですもの」
はぁ、いや別にわたしはいいんだけど、これあんまり話したくないのよね。
だって考えても見てよ。
一応、当事者だから今でも昔のように思い出せるし、わたしも置いていってしまったあの子には悪いとは思っているけど現在進行形で黒歴史継続中の話を他人に語れなんて、どんな拷問よ。
あの時の話をするくらいなら、それこそ竜王と五時間連続製ん等の方がまだマシに思える拷問だ。
そもそも――
「ミリムちゃんのクラスではこの話はそんなに人気なの?」
「ううん。おじいちゃんのぶゆーでん? の方がみんなだいすきよ?」
ああ、やっぱりそうなんだ。
どうやら、わたしとあの子がやらかした『悪竜と聖女の物語』はいまでも学園内で語り継がれているらしい。
時の流れというものは残酷で、物語もずいぶんと美化されて言い伝えられていたようで
なんでも己の私利私欲に駆られた『悪竜』が『聖女』をたぶらかし『王』に討たれるというものらしいのだが、まぁ、うん。いつ聞いてもない胸が痛いです、はい。
「でもこの物語って悪竜さんがかわいそうだと思うの」
「うん? それはどうして――」
「だってお国のためにいっしょうけんめいたたかってくれたのに、さいごは一人ぼっちで死んじゃうなんて」
顔を伏せ唇を尖らせるミリム。
まったくあの子に似て感受性の高いいい子に育ったものだ。
あのまじめで堅物な男の下で、よくここまで捻くれずにこれたものだ。
おそらくは聖王国ディスタニアを預かる統治者を尻に敷く大聖女様のおかげなんだろうけど……
「そんなこと言っていいの? また先生に怒られるんじゃない?」
「だってぇ、かわいそうなんだもん」
おねぇちゃんはそう思わないの? と言って首を傾げてみせるミリム。
ああもう、あの子に似てかわいらしいんだから。
抱きしめられるものなら抱きしめてあげたい。
まぁわたしのキャラじゃないけど――
「ふふっそうだね。でも。この物語にはもう一つの結末があるのは知ってる?」
「もう一つの結末?」
「そう、もう一つの結末」
今度はさらに深く不思議そうに首を傾げてみせるミリムに小さく頷き、昔話をそらんじる。
それはこころ優しき悪竜が全ての罪を飲み込み、愛する聖女のためにその生涯を捧げた、という物語。
己を『人』として扱ってくれた『聖女』と『王』。
彼らはお互いに愛し合っていたのだ。
だけど古い盟約によって彼らは結ばれることを許されず、また己の立場がそれを許さなかった。
悪竜が許されても、二人が幸せになることはない。
「だからその悪い竜は、自分がいなくなることで彼女らが幸せになることを願ったの。己の全てを使って古いしきたりを壊すために」
それで自分の命が潰えるとわかっていても
『誰か』の思惑とは違う方向に『運命』を捻じ曲げるため、
己の牙も、爪も、誇りさえも砕いてことを成し遂げたのだ。
「素敵!! それでそれで! 最後にその悪い竜さんと聖女さまはどうなったの?」
「聖女さまは悲しみを乗り越えて殿下とのお子をおもうけになったわ。盛大な結婚式が執り行われて世界の全てに祝福されたの。悪い竜さんは王様の裁きを受けて幽閉塔に閉じ込められて……」
「アナ。ちょっといいかしら――ここにミリムが来なかったかしら――ってやっぱりここにいた!」
「「げっ!!!?」」
二人同時になって呻けば、そこには白い髪を背中でまとめた美しい老婆の姿が。
どうやら昔話に花を咲かせすぎて、周りを警戒するのをすっかり忘れていたらしい。
キィーとたてつけの悪い扉が開かれる音が聞こえたかと思えば、飛びあがるなりわたしの後ろに隠れてみせるミリム。
脊髄反射でわたしも驚いちゃったけど、やっぱり何も言わずにここに来てたのね。
まぁ今更隠れても何もかもが遅いんだろうけど――
「あ、こらミリム! やっぱりここにいたのね!! またおばあちゃんの部屋に潜り込んで――聖女さまになるためのお勉強はどうしたの!!」
「だって、おばあちゃんのお話の方が面白いだもん」
「言うに事欠いて大聖女のわたしより面白いってどういうこと!? 次期王女さまなんだからしっかり勉強しなさい!!」
ぐるぐると陽気な追っかけっこの末、元気に窓辺から飛び出していくミリム。
あの豪胆さはおそらく陛下譲りなのだろう。
ほんと似なくてもいいところまで似てしまったみたいだけど……
「貴女に似てお転婆ね、いったい誰に似たのかしら」
「さぁね。わたくしは貴女に似たと思ってるけど」
すでに小さくなっていく孫の後ろ姿を見送り、軽口を叩きあえば数年ぶりに顔を合わせる。
「久しぶりねアナ。元気にしてた?」
「幽霊に向かって元気かなんて聞くのは貴方くらいでしょうね。ええ、元気よ。今日は泣き虫は大丈夫なのかしら」
「もう!! いったいいつの話をしているのよ!! もう四十年も昔の話じゃない」
「ふふ、ごめんなさい。あの子を見ていたらつい懐かしくなって」
もう! と言って頬を膨らませてみせるエレミア。
ああ本当に何もかもが懐かしい。
幽閉塔で処刑され、この地に埋葬されてから五年間。
わたしは本当に無力な存在だった。
毎日泣き腫らした顔でわたしの墓前で祈りを捧げる彼女に、わたしは何もできなかった。
唯一できることと言えば、彼女がわたしの墓前で懺悔する言葉を聞き続けていたことくらいか。
雨の日も、風の日も、嵐吹き荒れる雪の日も、彼女は欠かさずこの霊園に訪れた。
まるで自分が幸せであることへの罪悪感を誤魔化すみたいに毎日、毎日。
だからこそ――
「あの時は本当に驚いたよ。まさかエレミアとこうしてまた話ができるようになるとは思わなかったから」
「それはわたしも同じです。陛下の話ではわたしの魂が大聖女の奇蹟に馴染んできたからと言っていたけど、まさかこんなことになるなんて……
まぁ幸せになれと言って消えていったあなたがまだ未練たらしく現世にとどまっていたのも驚きでしたけど」
「ふっ――突然現れたわたしに驚いて、泣きついてきたのによく言うよ」
「あ、あれは!? 仕方ないじゃないですか!? わたしだけ幸せになるなんて、そんなの許されないと思っていたから」
そう言って気まずそうに視線を落としてみせるエレミア。
年老いてもなお不満げに唇を尖らせる癖は相変わらずみたいだけど……
そうしてしわがれた手を伸ばすエレミアの掌が、そっとわたしの頬を掠める。
幽霊であるわたしに通過する手のひらの温もりは感じられない。
でも――
「貴女はいつまでも綺麗なままね。あの時のままだわ」
「そりゃ幽霊だからね。死んでから色々と堅苦しいしがらみから解放されたってのは嬉しいけど、これだけは得したかな」
「わたしだけ年老いていくのってちょっと複雑なんだけど……そこんとこわかっていっているのかしら?」
「ふふっそんなことないさ。エレミアも綺麗なままだよ」
「――っ!? そ、そんな、やめてちょうだい。こんなおばあちゃんにお世辞なんて」
「ふふ照れてる。そういうところもますますかわいい」
「もう、からかわないのっ!!」
本心なんだけど、まぁこの歳になれば恥じらいの一つや二つ覚えて当然か。
まったく変わらないわたしと違って、貴女はちゃんと生きているのだから。
するとわたしの表情から何かを読み取ったのか、エレミアの顔が僅かに歪みだした。
「ごめんなさい。本来なら大聖女であるわたしが貴女の魂を天に還してあげないといけないのにわたしの呪いが貴女をここに縛り付けてしまったわ。ほんとうなら貴女は自由になるべき存在なのに」
「ああもう、だからいつも言っているでしょう。わたしは貴女が幸せなら、わたしは地獄にいたってかまわないって。わたしが貴女が幸せでさえあれば、現世の苦しみに耐える覚悟があるの」
まぁ身体のないわたしの代わりに、貴女はちゃんと陛下に溺愛されてるみたいだからその辺は心配ないけどね。
「………………それ誰に聞いたの?」
「うん? 貴女のおしゃべりなお孫さんに、ね」
「はぁ~~、後でお仕置きねあの子は帰ったら課題を倍にしてやらなくちゃ」
「まぁわたしが無理に聞き出した事だからお手柔らかにね」
「善処しかねるわ」
そう言って黒い笑みを浮かべてみせるエレミア。
それはわたしが生きていた頃には絶対に見られなかった彼女の新しい一面なのだ。
だから、わたしは十分すぎるくらい幸せだ。
もう、このまま地獄の炎で焼かれたってかまわないくらいに。
「きっとわたしは地獄に落ちるでしょうね。大聖女というにはあまりにも多くの罪を犯してしまったわ。お父様の件だけでなく、貴方にまでその責任を押し付けて」
「ならわたしがどんな手を使ってでもあなたを天界に押し上げてあげるよ。たとえ、どんな時だろうと貴女を守る。それがわたしの誓いだからね――ってどうしたの? そんな不満げな顔して」
え、もしかしなくてもわたしまた間違えた?
「はぁまったく、貴女のその忘れっぽさにも慣れたつもりですけど、その自己犠牲は本当に死んでも治りませんのね」
そう言ってヤレヤレと首を振り昔の口調に戻ってみせるエレミア。
そうしてふわふわと頼りなく浮かぶわたしと視線を合わせるように向かい合い、そっとわたしの頬に手を添えてみせると、
まるで子供がいじけるみたいな口調で唇を尖らせてみせた。
「いい? 悪竜はいつも聖女の隣で守ってくれるなんてあたりまえです。それよりもまずなにかわたしに言い忘れていることがあるんじゃなくて?」
「言い忘れてること?」
「ほら、わたくしが家に帰ってきたらなんて言うのでしたっけ?」
ああ、なるほど。
たしかに肝心なことを忘れていたみたいだ。
「まったくいくつになってもわがままなお姫様なんだから」
「わたくしをこうしたのはどこのどなたでしたっけ?」
「はいはい。わかってるよ」
そう言って降参するようにもろ手を上げれば、あからさまに服のドレスのしわや髪を整えるエレミアを見つめ、年老いてもなおいっそう美しく輝く最愛の人に微笑むと、
「……ただいま、エレミア」
「ええ、おかえりなさい。わたしのアナスタシア」
いつぞやの誓いを再現するかのように膝をつき、
しわの刻まれた手のひらにそっとキスを落とすのであった。
【~fin~】
更新遅れちゃってすみません!! 初の悪役令嬢。いかがだったでしょうか?
少しでも『新しい!!』『おもしろい』と思っていただけたら幸いです。
ブックマークや★を入れて頂けると今後の開拓心とモチベが沸き上がります。
(●´ω`●)
よろしければ押していただけると嬉しみです(笑)
この度は、僕の『新ジャンル開拓』にお付き合い頂き本当にありがとうございました!!