中編 ――陰謀の影
反射的に音のなる方を見上げれば、そこには大きく肩で息を切らし、額に大粒の汗をにじませる白い少女の姿があった。
「そんな……どうしてこんなことに。これはどういうことですかレイブンさま!」
目の前の惨状を目の当たりにしショックで言葉もないのか、口に手を当て白く可憐なドレスを僅かにはためかせるエレミア『様』。
その顔には明らかな怒りと困惑が内在し、その目尻には今まで見たこともないような鋭さがあった。
でも『大聖女』を選出するための『選別の儀』のため、祈祷の間で祈りを捧げているはずの彼女がなんでここに――
「まさか――!?」
ハッと息を呑み、周囲に視線を走らせるが不審な動きをする者はいない。
周りの観衆には彼女たちの再開が一見、微笑ましいものに見えているようだが……
「(さきほど湧き上がった殺意は、明らかにこちらに向かって走ってくるエミリアに向けられていたもの。まさかこの場で仕掛けてくるつもりじゃ――)」
わたしの感じた懸念をレイブン殿下も感じ取ったのだったのだろう。
明らかに予定外と言いたげな表情でエレミアを見ていた。
「エレミア。どうして大聖女候補の君がここに。君は確か大切なお役目があるはずなのに……」
「お父様が血相を変えて事の事態を知らせてくださったんです。それよりレイブンさまここ通してください! なんでこのようなことになっているのですか!!」
「アガモット殿が!?」
レイブン殿下の腕のなかで守られるように腕行く手を塞がれ、困惑の表情を浮かべるエレミア。
未来の王に堂々と意見できるとはさすが大聖女候補者と、恐れ入るがそんな場合ではない。、
祈禱のせいで体力を消耗しているのか、その顔色は白くやや疲れ切っている様子に見えた。
「待っていてくださいアナスタシアさま。わたくしがレイブンさまの誤解を解いて差し上げますから」
「エレミア。あなたは――」
「黙れアナスタシア。聖女を害した貴様に彼女と話す死角はないと知れ!」
そこまで口にして、逸る心臓を無理やり押さえつけて唇を噛む。
落ち着け、感傷に浸っている暇はない。
彼女の晴れ舞台をこんな『くだらない』ことで汚すわけにはいかないのだ。
いま刻々と誰かに狙われているであろうエレミア。
わたしと関わっていたと知れればそれこそ彼女の立場が危うくなるかもしれないのだ。
今にも溢れ返りそうな激情を己の淵に必死に納め、周囲に気を配る。
どうやらこちらが敵の意図に気づいたことはまだ勘付かれていないようだが
ああ、どうして最初からその可能性を思い浮かばなかったのだろう。
名誉貴族の末席にして名家として名高いドラグニル家。
その歴史は根深い。
なにせ血と戦場で武勲をたて、貴族至上主義の重鎮たちの中で最も王家に信頼の厚い一族なのだ。
わたし達の存在を良く思わない勢力などいくらでもいる。
「(それを考えられないわたしではなかったはずなのに…… )」
普段慣れないぬるま湯の学園生活が、思った以上にわたしの牙をさび付かせてしまった。
特にこの度はわたしの父と陛下との盟約で国内外に自分たちの絆をさらに結び付けようという政略結婚だっただけに、貴族の反感は目に見えていた。
故に当時の当主であった父上は何者かの手により暗殺され、約束だけが残ったのだが――
「(その陛下が動く気配はなしですか。まったく為政者というのは相も変わらず生きにくいようですね)」
壇上の最奥に目を向ければ、そこには豪奢な着物と王冠で身を固め、ただ厳格に事の成り行きを見守る王者の姿があった。
幼い頃、あれほど優しげにわたしとあそんでくれた『おじいさま』の姿はそこにはない。
ここでわたしが真実を口を開けば、きっと全ては解決する。
でもそれはすなわちエレミアの将来に傷が残ることを意味するわけで――『敵』がわたしとエレインの関係性に気づいているのならそれを利用しないはずがない。
「(となるとこの状況はわたしが下手に口を開けないようにするのが目的か)」
敵の狙いは最初から聖女であるエレミアではなく、わたしだったのだ。
そうなれば、殿下の婚約破棄にも納得がいくし、わたしを悪役として孤立させてしまえば全て丸く収まる計算だ。
そして肝心のわたしの無実を証明するためには、エレミアの証言に頼るしかないが――、
「(案の定旗色は芳しくない、か)」
必死になってわたしの無実を証明しようと、言葉を紡いでいるエレミアがそれを見つめる周囲の反応は思った以上に冷ややかだ。
むしろ、なぜそのような奴を庇うのか、と冷ややかな視線を送るものまでいる
現に必死にレイブン殿下を説得するエレミアだが、肝心の殿下が効く耳を持たなければ意味はないように見えた。
「レイブンさま、こんなの間違いです。アナスタシアさまがわたくしを迫害したなどという事実はありません! ですから彼女に賭けられた拘束術式を解いてください! わたくしはこんな形であなたと結ばれても嬉しくありません」
「エレミア。君の言い分もわかるがとりあえず落ち着いてくれ。これには訳があるのだ……」
「あなたの婚約者をこんな形でさらし者にしてどの口が言うのですか!
いますぐ婚約破棄を取り消してください!! あの方はわたくしのお友達です!!」
「エレミア!! 頼むから俺の話を聞いてくれ!! これはお前の命にかかわる話なのだ」
そう言って苦々しく言葉を区切り、顔を顰めてみせるレイブン殿下。
その本気の剣幕にさすがのエレミアも口をつぐむしかできなかった。
「君はたしか半年前に自分が何者かに狙われていると俺に相談してくれたな」
「たしかにレイブンさまにもそのことはご相談しましたけど、でもそれとこれとはなんの関係もあるはずが――」
「いいやそうではない、そうではないのだ。俺も何かの間違いだったと思いたかった! でもこれは真実なんだ」
そうしてエレミアから視線を外し、懐から一枚の羊皮紙を取り出したレイブン殿下が高々と秘匿文字で書かれて密書を掲げてみせた。
「みんなも落ち着いてくれ俺の話を聞いてくれ。我が婚約者アナスタシア=ドラグニルの企みだったのだ!!」
「そ、そんなはずは……そんなはずがありません!! だって彼女はわたくしの守り人で――」
「ああ、その通り。彼女は君の守り人だ。そして君から得ていた情報を魔女教に流すために利用していたのだ」
「うそです!! アナスタシアさまがそんなこと企むはずがありません!!」
信じられないとばかりに首を横に振るいレイブン殿下に縋りつくエレミア。
その顔はいつも可憐に笑う優しげな彼女に似合わず、必死な様子だった。
だけれど、悲しきかな。
彼女の訴えを聞き入れる人間はここにはいない。
「我が元婚約者であるアナスタシア=ドラグニルは魔女教とつながり国家転覆の計画を立てていたのだ。奴はこの国の大聖女候補者であるエレミアを聖女の地位から『堕天』させ、この国を亡ぼすために裏で様々な戦火をまき散らしていた。皆の記憶にも新しい竜王招来は彼女の仕業だ!」
「そんな、そんなはずはありません! あれは聖女を憎む魔女教徒の仕業で――アナスタシアさまも何か言ってください!!」
「信じたくもないのはわかる。だがお前が奴に受けていた迫害の証拠はしっかり押さえているのだ」
「証拠、ですか。レイブンさまは一体何を掴んでいるとおっしゃるのですか――」
「おい、例の証人を連れてきてくれ」
そう言って奥に控えていたであろう幕屋に指示を飛ばすと、あらかじめ打合せされていたかのように見覚えのある令嬢が三人現れた。
マキソン。セフィリア。トールマン。
どれも教会に仕え、エレミアと同じく多くの聖女を輩出してきた名家だ。
エレミアと同じような純白のドレスに身を包み、聖女の証である頭にオリーブの冠を頂く大聖女候補たち。
その胸にはそれぞれ色違いのネックレスがかけられており、彼女たちが正真正銘の聖女であることを証明している。
今年選ばれる大聖女の位を巡って秘密裏に学園内で大聖女最有力候補のエレミアを蹴落とそうと醜い選定争いしているという噂を聞いたことがあるが、――なるほど。こういう形にまとまったか。
「どうだアナスタシア。いくら没落寸前の貴様でも彼女のことは知っていよう」
「……ええ、何度かお茶会で交流を持たせていただた記憶があります。聖女の庭園で楽しいお話を聞かせていただきましたが、まさかこの方々が殿下の言う証人ですか?」
「ふん。この期に及んで白を切るとはどうやらその臓物は腹のなかだけでなく性根まで真っ黒なようだが神は全てを見ていらっしゃるぞ」
「陛下は何か思い違いをしているご様子ですが、貴方はいったいわたしになにを言わせたいのですか?」
「時間稼ぎもそこまでにしておけよアナスタシア。貴様の罪はこの三人の聖女の証言してくれる」
そうしてレイブン殿下が祭壇に立つ聖女たちに目配せをすれば、美しく着飾られた聖女たちがおおように頷き、次々とありもしない真実を暴露し始めた。
「わたくしはあのアナスタシア様が魔女教徒と密会している現場をこの目ではっきりと見ました。あの蒼の月の出来事。彼女があの悪しき竜王を呼び出す宝玉を何者かに手渡している現場を!」
「それならわたくしはエレミアさまを迫害している現場を目撃しましたことがあります。守り人の立場を使い、エレミアさまの部屋にたびたび侵入しておりました。なにをしていたのかは結界により定かではありませんでしたが、エレミアさまが去った後いつも髪が乱れておりました」
「あら、わたくしはエレミアさまが彼女を呪う計画を誰かに持ち掛けていた現場を見たことがありますが? 皆さんはお知りでありませんでしたの?」
「さぁこれで貴様の罪は白日の下に晒されたぞ。これでも言い逃れできると思っているのかアナスタシア!!」
誇らしげに胸を張り、大衆に向かって大声で証言してみせるレイブン殿下の声にざわめきだす披露宴会場。
徐々に敵意の籠った視線が会場中央に孤立するわたしに集まってくるが、
なるほど。うまいものだ。
おおかた、聖女を貶め続けてきた罪をわたしに被せようという魂胆なのだろう。
どういった経緯であの清廉潔白な聖女たちに取引を持ちかけたのは知らないが、 実に臆病な犯人らしい裏工作と言える。
だけど――
「(追い詰め方が甘いですわよ、お父様)」
あの程度の証言で何が証拠だ。
いい加減、この茶番もほころんでもいいようなものだが、どうやら周りは殿下の言葉を信じ切っているようだ。
この茶番にはなにか裏があるとは思っていたがこの気配。
呪いを振りまく悪竜の血に等しい呪詛の香りは――
「……殿下。一つよろしいでしょうか。その殿下に不釣り合いなほど醜く呪いに蝕まれている指輪はいったい誰からの贈り物ですか?」
「――っ!? エレミアの心からの贈り物を侮辱するかアナスタシア!!」
なるほど、これではっきりした。
殿下の御立場を考えれば、公の場で婚約破棄など絶対にありえない宣言だとは思っていたのだが、
その裏で糸を引いている人間が『あの人』ならばありえなくもない。
聖女であるエレミアの情報を知り尽くし、聖女たちをたぶらかし、殿下にすら容易に近づける人物。
そして殿下の言葉を絶対のものとして信じさせる呪いの指輪。
『呪言の制約』
そんな呪物を用意できる者はただ一人。
「よくもここまで下準備したものですわね。アガモット=バーミリオン」
聖教会に最も近く、エレミアとレイブン殿下が結ばれることで最も得をする人物と言えばエレミアの父上。彼しかありえない。
なにせドラグニル家と言えば、王家に最も強い繋がりを持つ名家だ。
そんな家が密かに没落するなど許されないし、資金援助することで恩を売り、名を上げようと企む貴族はたくさんいた。
そのなかで代々聖女を輩出するバーミリオン家だけは唯一まともな条件でわたしに接触してきたかと思っていたのだが、
「(ああ、なるほど。わたしは、この学園に入学した時からこうなる運命だったのか)」
聖女であるエレミアを密かに護衛してほしい。
という条件にしては、やけに景気よく大金を出してくるとは思ったのだ。
おそらくバーミリオン家。エレミアの父がわたしをこの学園に入学させるための援助を申し出た時から全ては仕組まれていたのだろう。
ここからわたしが証言を覆すことはもうできない。
水面下で張り巡らされている緻密な悪意。
きっとこの会場にも多くの刺客が潜んでいるのだろう。
それこそ自分の娘が聖女であることを利用して「神の信託なのだと」嘯いて、手近な信者を自分の手駒として潜り込ませることもできるはずだ。
たとえば、こんな感じに……