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ルビーの章 その12

「待って、今あなたがいっても、きっとアルベールは話を聞かないはずだわ」


 エプロンがギュスターヴを抱きかかえました。ギュスターヴはじたばたと手足を動かし、なんとかしてアルベールのあとを追おうとします。


「放してよ、ねえ、放してってば! 兄様にちゃんと信じてもらわないと」

「だから落ち着いてってば。今のあなたがなにをいっても、きっとアルベールは信じないと思うわ。記憶の中を旅してきたから、忘れているかもしれないけれど、もともとアルベールとあなたは敵同士だったのよ。そんな相手から、いきなり自分がイズンで、あなたの兄で、しかも憎い相手から創られたなんていわれても、信じられると思う?」


 エプロンの言葉に、ギュスターヴはあばれるのをやめて、ぐったりとうなだれてしまいました。


「ぼくは、兄様に憎まれているのか……」


 エプロンはギュスターヴをベッドの上にすわらせて、それから自分もしゃがんでギュスターヴと向き合いました。


「違うわ、アルベールはきっと、自分の中でまだ事実を受け止められていないだけよ。あなたは記憶の中を旅してきたから、受け止めることができたと思うけど、アルベールはそうじゃないから。だから、あなたがいってもきっと納得できないと思うわ」

「じゃあ、どうすれば」

「ここはわたしにまかせて。わたしもアルベールとは、長いこといっしょに旅をしてきたわけじゃないけど、それどころかまだ出会ってちょっとしか経ってないけど、それでもあなたが話をするよりは、アルベールも冷静に受け止めることができると思うから」


 エプロンはセバスチャンのほうをふりかえりました。セバスチャンは片眼鏡を指でそっとかけなおしました。


「セバスチャン、ギュスターヴのことをお願いね」

「わかりました。ですが、エプロンさんも気をつけてくださいね。あなたもけっこう感情的に話されるタイプですから」

「もうっ、よけいなお世話よ」


 それだけいうと、エプロンも部屋から出ていきました。残されたギュスターヴは、くやしそうにつぶやきます。


「ぼくは、兄様の役に立つことすらできないなんて」

「それは誤解ですよ、ギュスターヴさん。あなたは記憶の中で、あなたご自身のことを、ちゃんと見てきたはずですよ。記憶の中のあなたは、あなたのお兄様を助けようとしていたはずです。大丈夫、きっとわかりあえますよ。今はただ、エプロンさんを信じてあげてください。そして、アルベールさんも」


 ギュスターヴはまだ納得できていない様子でしたが、セバスチャンに笑いかけられて、小さくうなずきました。


 ――兄様、ぼくは――




 病院の中からはわかりませんでしたが、その日は満月で、星がかすむほどの光をはなっていました。そのおかげか、エプロンはすぐにアルベールを見つけることができました。大通りの片隅で、空を見あげたままじっとしているアルベールに、エプロンは声をかけました。


「月を見てたの? 今日はきれいな満月ね」


 アルベールはふりむきませんでしたが、エプロンはかまわずとなりに立って、同じように空を見あげました。


「わたしはフィーネ大陸で創られてから、すぐにこっちにわたったから、向こうの昔話ってあんまり知らないの。でも、こういう満月を見ると、いつも思い出す話があるわ。話してもいい?」


 アルベールはなにもいいませんでしたが、エプロンはかまわず話しはじめました。


「ユードラシール、魔法を創りあげた守り樹の名前だけど、ユードラシールは過去に一度だけ、実をつけたらしいの。その実はとてつもなく大きな、そしてとてつもなく強い魔力を持った実だった。それが大地に落ちたら、ユードラシールよりもさらに魔力を持つ樹が育つだろうと、人々は実が熟すのを心待ちにしたらしいわ。でも、その実は大地に落ちることはなかった。代わりにその実は、空にのぼって、わたしたちに魔法の光を与えてくれるようになった。夜を照らす月になってね」


 空を見あげていたアルベールが、ようやくエプロンに視線を移しました。エプロンはへへっといたずらっ子のように笑いました。


「本当かどうかはわからないわ。この話を教えてくれたセバスチャンも、ずっと小さいころに聞いた、おとぎ話だっていっていた。でも、そうだって信じたら、なんだか月の光をあびると元気がわいてくる感じがするんだ」

「……それは、お前がイズンだからか?」


 エプロンは考えこむように首をかしげましたが、やがて首をふりました。


「ううん、わたしがイズンかどうかなんてあんまり関係がないわ。ただ、わたしがここにいて、こうやって生きているから、だからそういう風に感じるんだと思う」

「イズンなのに、生きてるって感じるのか?」

「うん。だってわたしはここにいるもの。ここにいて、こうやって月の光をあびて、ああ、元気が出てくるなって、そう感じるもの。これってさ、イズンだろうと人間だろうと、他のどんな生き物であろうと、同じだと思うんだ。それぞれみんな、生きているってことじゃない」


 アルベールが、まるで初めて出会ったかのように、まじまじとエプロンを見つめました。エプロンはアハハと笑い声をあげました。


「そんなに見られると恥ずかしいよ。トリエステやソフィアちゃんが帰ってきたとき、きっとやきもち焼くんじゃない?」

「いや、おれはそんな……」


 エプロンは笑顔のまま、再び空を見あげました。銀色に輝く月は、果てしなく遠いもののようで、すぐに手に取れるほど近くにあるようにも見えました。


「……おれは、子どものころの記憶がないんだ」


 エプロンはわずかにまゆをつりあげましたが、なにもいわずにだまって耳をかたむけました。アルベールは、添え木で固定した左手をそっとなでながら、ぽつりぽつりと語りはじめました。


「子供のころっていうかさ、覚えているのは最近のことばかりなんだ。一番古い記憶が、がれきの山に埋もれる記憶さ。そのあとはなんだかあいまいなんだ。ただ、生きるために必死だったってことだけ覚えている。町から町へさまよって、今でこそトレジャーハンターなんてやってるが、その前はほとんど盗人のようなことばかりしていたさ。思い出したくもない記憶ばかりだった」


 右手をぐっと空にのばして、アルベールは手をにぎりました。手にはなにもつかめていませんでしたが、アルベールはじっと空を見たままでした。


「アルベールって名前もさ、おれの服に縫い付けられていた名前なんだ。途中がすり切れていたけど、きっとすり切れてなければ、アルベルトって名前だったんだろう」

「アルベール……」


 再び二人の間に沈黙が流れました。月だけが静かに、永遠に変わらないもののように輝いていました。


「前にあったイズンが、いっていたな。月の光は、手に届きそうなのに、絶対に届かないって」


 長い沈黙のあとに、アルベールが口を開きました。エプロンが首をかしげて、えんりょがちにたずねました。


「……そのイズンは、どうなったの?」

「……ソフィアに吸収された。そういえばあの子がきっかけだったな。ソフィアが生きることに前向きになったのは。あいつと初めて出会ったときは、今にも死んでしまいそうなくらいに、弱々しくって、けれども死ぬこともできずに罪悪感をかかえて生きていた。だからおれは、あいつをそんな罪悪感から救ってやりたいと思って、いっしょに旅をしてきたんだ。今となっちゃ、それもおれが封印用のイズンだったからなんじゃないかって、そんなひねくれた気持ちもわいてくるがな」


 エプロンがアルベールをにらみつけました。アルベールは肩をすくめて首をふりました。


「そんな目で見るなよ。わかってるさ。お前の作ったお菓子は、ちゃんとギュスターヴの記憶を戻したんだろう。おれはソフィアを封印するためのイズンで、ルドルフに作られた。ユードラ王国の第一王子で、ギュスターヴの兄、か。ただの盗人が、いつの間にかずいぶん盛大な肩書きを持つようになっちまったな」

「アルベール」

「心配すんなよ。おれだってわかってるさ。受け入れるしかない。否定したって、どうしようもないからな。……それにたとえおれが、イズンだろうとなんだろうと、別におれがおれであることには変わりない。お前がイズンでも、月の光をあびたら元気になるのと同じようにな」


 かっこうつけたように、フッと笑うアルベールを見て、エプロンもつられて笑いました。


「よかった、調子出てきたじゃん。やっぱりアルベールは、悩んでたり真剣な顔してるより、そうやって笑ってるほうがかっこいいよ」

「そうか? なんだか皮肉ってるみたいに聞こえるぞ」

「あら、ほめ言葉は素直に受け取ったほうが女の子は喜ぶのよ。ソフィアちゃんだってそうだと思うけど」

「なんでそこでソフィアが出てくるんだよ」


 がしがしと頭をかきながら、アルベールははぁっとため息をつきました。


「まあでも、エプロンのいうとおりかもな。悩んでて損した気分だぜ。ま、いいか。それじゃあいこうぜ、まだ実感はわかないけど、ギュスターヴがおれの弟だっていうなら、ちゃんと兄としてしっかりしてるすがたを見せてやらないとな」


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