ゴールドの記憶 その5
めまいと吐き気が、波が引いていくかのようにじょじょに消えていき、ギュスターヴはようやく目を開きました。まだところどころ景色はゆがんで、ねじれているところもありましたが、新しい記憶の風景に、ギュスターヴは思わず声をあげていました。
「なんだ、ここは?」
先ほどの会議室と同じくらいの部屋でしたが、中の様子はまったく違いました。窓はなく、石造りの壁には小さなろうそくが、ところどころに頼りなくともっているだけです。かび臭いにおいに、ほとんど風を感じないことから、どうやらここが地下室らしいということはわかります。それなのにこの部屋は、不思議と暗くありませんでした。ろうそくの光とは別に、床からぼんやりとした光があふれてきているのです。床に複雑に描かれた、直線と曲線の組み合わせが、銀色の光を発しています。
「これって、魔法陣?」
魔法使いが複雑な魔法を使うさいに、魔力をこめた図形を描くというのは、ギュスターヴも聞いたことがありました。しかし、これほど大がかりな図形だったとは、想像すらしたことがありませんでした。ギュスターヴは興味深げに、部屋に描かれた魔法陣をながめました。
その地下室には、どうやら二種類魔法陣が描かれているようでした。どちらも大きな円がもととなっているようで、その円の内部に、様々な模様を描いているようでした。二つとも絵柄は似通っていましたが、決定的な違いがありました。ひとつは銀色の光を発していて、もうひとつは光を発していなかったのです。
「どうして、片方は光ってて、もう片方は光っていないのだろう。それともまさか、今から光を発するんじゃ……」
それ以外に細かな違いとしては、光を発しているほうは円の外に向けて矢印が描かれ、光を発していないほうは円の内側にすいこまれるように、矢印が描かれているのでした。そこまで見て、ギュスターヴはどちらの魔法陣にも、中心に誰かが横たわっていることに気がつきました。
「アルベルト兄様!」
現実のギュスターヴが発したさけびは、記憶の景色にむなしく吸いこまれていき、誰にも届くことはありませんでした。しかしむだだと知ってはいても、ギュスターヴは光を発している魔法陣に足を踏み入れずにはいられませんでした。
「うわっ!」
魔法陣に足を踏み入れたとたん、ギュスターヴのからだは誰かに押し飛ばされたかのように、魔法陣からはじかれたのです。ギュスターヴはもんどりうってから、口をあんぐり開けて魔法陣を見つめました。
「どうして? 記憶の中だから、関係ないはずなのに、どうして魔法陣に入れないんだ?」
こわごわ手を魔法陣にいれようとしましたが、そこに空気の壁があるかのごとく、中に入ることはできません。魔法陣の真ん中に、アルベルトが横たわっているというのに、ギュスターヴにはなにもできませんでした。もちろん記憶の中なので、魔法陣の中に入れたからといって、なにかできるわけでもないのですが……。
「でも、あっちの魔法陣には、いったい誰が横たわってるんだ?」
目を凝らしてよく見ようとしましたが、ろうそくのはかなげな光では、それが誰なのかは判別できませんでした。今のところわかるのは、アルベルトと同じくらいの背たけの、男の人だということぐらいでしょうか。短めの髪が、ろうそくの光のせいか、赤く見える気がします。
「お父様、兄様は大丈夫なんでしょうか? さっきからまったく動かないですけど、まさか……」
現実のギュスターヴのうしろで、ひそひそと話す声が聞こえてきました。ふりむくとかべぎわに、記憶の中のギュスターヴとエリオット王、そして兵士が数名、ひっそりと立っていたのです。現実のギュスターヴも、魔法陣に入るのはあきらめ、エリオット王たちの話に耳をかたむけました。
「心配はいらん。ルドルフが魔法で眠らせているだけだ。この儀式ではたましいをイズンに移すのだから、途中で目が覚めると大変なことになる。だから今のところは心配ない」
「ですが――」
エリオット王は、記憶の中のギュスターヴをだきよせ、まるで自分にいいきかせるかのようにつぶやきました。
「信じるしかないのだ。アルベルトを、そしてルドルフを。この儀式が成功することを」
記憶の中のギュスターヴも、祈るように手を組んで、ぎゅっと目をつぶりました。
――やっぱり、これはさっき会議室で話していた、イズンにたましいを移す儀式なんだ。ということは、アルベルト兄様と反対側に横たわっているのは、人ではなくて、封印用のイズンなのか? 完全に人間のすがたじゃないか。あれほど精巧なイズンがあるなんて。でも、あのすがた、どこかで見たことがあるんだけど。誰に似ているんだったかな――
思い出そうと記憶をたどっているうちに、ぶつぶつと低いつぶやきが聞こえてきました。しわがれたその声は、ルドルフのものでした。二種類の魔法陣の間に、真紅のローブを着て真紅のフードをかぶったルドルフが立っています。ルドルフはアルベルトと反対側の封印用イズンの両方に手を向けて、どうやら呪文を唱えているようでした。
「リヴァントスポルト・サドリンシアグラン・フィーカバル・チェヴィットラー・ドルトイエセナルン・デポルシール・ユヴェパサガウロ・マリノンジェルマ・メッローナ・メッローナ・クリシメッローナ・メッローナ……」
ぶつぶつと、ささやくように唱えていたルドルフでしたが、だんだんとその声が大きく、まるで歌うかのようになっていきます。抑揚をつけて、ときに速く、ときになめらかに、すがるように唱えたかと思うと、けんかをしているかのようにどなったり。とにかくしわがれ声を目いっぱいはりあげ、ルドルフは呪文を唱えていきました。
「おおっ、魔法陣が!」
兵士の一人が、光をはなっていないほうの魔法陣を指さしました。現実のギュスターヴも魔法陣に視線を移し、目をみはりました。内側に向かって描かれた矢印が、じょじょに輝きをおびていたのです。アルベルトが横たわっているほうの魔法陣は、銀色の光でしたが、封印用のイズンが横たわっている魔法陣は、矢印ごとに色が違いました。赤もあれば緑もあり、黄色もあれば青、橙、紫、藍色……。それはまさに虹の色でした。光はじわじわと、中央に横たわっているイズンに向かってはなたれていきます。記憶の中のギュスターヴが、ごくりとつばを飲む音が聞こえました。
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