アメジストの章 その8
羽根つき帽子をぎゅっとつかんでいたギュスターヴは、思いもかけず優しい言葉をかけられたからか、そーっと顔をあげました。傷つけられて、おびえた子ネコのようなしぐさに、アルベールの胸の奥、どこか深いところに痛みが走りました。そんな様子はつゆ知らず、エプロンが質問を続けます。
「なんでもいいのよ、あなたが覚えていることを教えてちょうだい」
「……ぼくには、なにがなんだかさっぱりわからないよ。どうしてこんなことになったのか、まるでわからないんだ。目が覚めたら、変な騎士に殺されかかるし、戦争兵器にも攻撃されるし」
「ソフィアのことを、そんなふうに呼ぶな!」
アルベールに一喝されて、ギュスターヴはひぃっと情けない悲鳴をあげました。羽根つき帽子を深くかぶって、ギュスターヴは顔を隠します。エプロンがキッとアルベールをにらみつけました。
「怖がらせるようなこといわないで!」
「あ、ああ。悪かったよ」
あまりのはくりょくに、アルベールはばつの悪そうな顔でうなずきました。小さく息をはいてから、エプロンはギュスターヴをうながしました。
「ごめんなさい、もう怒らないから、続けてちょうだい」
「うん。ごめんなさい。でも本当になにがどうなっているかわからなくて。ぼくは人間だったんだ。人間だったはずなのに、イズンになんてなりたくなかったはずなのに、それなのにどうしてイズンになっているんだ? アルベルト兄様が、ぼくのかわりにイズンになるって、おっしゃったのに。ぼくを守ってくれたはずなのに。それなのにどうして……」
再び頭をかかえて、からだを丸めるギュスターヴを、エプロンがそっとなでつけました。
「……アルベールさん、どうされました?」
セバスチャンがけげんな顔でたずねます。エプロンもアルベールに目をやりました。アルベールが、右手で頭を押さえてうつむいていたのです。
「ん? いや、別に大丈夫だよ、ちょっと考えごとしてただけさ」
アルベールはなんでもなさそうに手をふりました。気にかけながらも、ギュスターヴの話に戻るエプロンたちをよそに、アルベールは髪の毛をわしっとかきあげました。
――アルベルト……。なんだろう、どこかで聞いたことがあるような、そんな名前だった。それに、久しぶりに思い出しちまった。あのがれきのこと――
「アルベール、あなたホントに大丈夫? もしかして左うでだけじゃなくて、頭も打ったりしてない?」
心配そうにエプロンに聞かれて、アルベールは顔をあげました。
「すまん、大丈夫だよ。それよりなにか思い出したのか?」
「いいえ、どうやらこの子、ギュスターヴは攻撃されたショックで、記憶がごちゃまぜになっているみたいなの。だからわたしの力で、記憶を整理して、うまく思い出せるようにしようと思うの」
「記憶の、整理? そんなことができるのか?」
アルベールに聞かれて、エプロンの変わりにセバスチャンが答えました。
「以前お話しましたように、エプロンさんの作るお菓子は、イズンの傷をいやし、力を与える効果を持ちます。そしてそれは、肉体的な傷だけでなく、精神的な傷に対しても効果を持つのです。つまり、記憶喪失を治すお菓子もあるということです」
アルベールは目を丸くしましたが、すぐに首をかしげました。
「でもさ、そういえば前も疑問に思ったんだけど、そもそもイズンって食べ物食べないよな。ソフィアもそうだったし、そりゃあエプロンみたいな人型のイズンだったら、食べられるのかもしれないけど、ギュスターヴは食べれないような感じのつくりじゃないか?」
「そこは大丈夫よ。わたしの作るイズン用のお菓子は、人間のように口で食べるものじゃないの。イズニウムに吸収されるように、魔法をお菓子のように固めて作るのよ。だから厳密にいうと、お菓子というよりイズニウムの栄養剤みたいな感じなのよ。でもそんなこといったら夢がないから、お菓子っていってるだけなの」
エプロンはいたずらっぽく笑って、それからセバスチャンに向きなおりました。
「わたしたちの馬車は、『エプロンの出張お菓子の国』はもう修理できてるかしら?」
「まだ完全にとはいきませんが、調理場はちゃんと直していただいていますよ。だからすぐにでも調理できると思います」
エプロンは満足そうにうなずいて、それからアルベールにいいました。
「すぐにお菓子作りに取りかかるわ。まずはギュスターヴの記憶を思い出してもらって、それからソフィアとトリエステ、それにダヴィデを助けにいきましょう。大丈夫、あの三人はきっと大丈夫よ」
アルベールはがしがしっと頭をかきました。ふうっと大きく深呼吸して、エプロンに頭をさげました。
「ありがとう、頼む」
「任せておいて!」
エプロンは急いで部屋を出ていきました。ソフィアたちの顔がうかび、アルベールはぎゅっと目をつぶりました。
――頼む、無事でいてくれよ――
「とりあえずこれでなんとか大丈夫だと思います。応急処置なので、なるべく動かさないようにしてくださいね。傷は軟膏で治せますが、骨が折れている状態だから、添え木は外さないでください。それじゃあわたしはこれで。もちろんそのイズンのことは話しませんが、外に出たりはしないほうがいいですよ。他にもそいつの顔を覚えている人がいるから、もめごとになる可能性もあるので」
ぺこりと頭をさげる看護師に、アルベールもお礼をいいました。足早に出ていく看護師と入れ違いに、エプロンが帰ってきました。手に持ったお皿には、ふんわりとしたシフォンケーキが乗っています。粉砂糖がささめ雪のように、白くふりかかっています。焼き色も香ばしく、なんともおしゃれなケーキでした。しかしその大きさは、エプロンの手のひらに隠れてしまうほどで、ほんの小さなものでした。
「ギュスターヴの大きさに合わせたから、小さいけれど、効き目はばっちしよ。それにおいしさもね」
エプロンはシフォンケーキが乗ったお皿を、ギュスターヴにさしだしました。ギュスターヴはお皿を受け取りはしましたが、ためらうようにエプロンを見あげました。
「あの……これを、いったいどうすればいいんですか? 食べようにも、今のぼくはイズンだし、どうやったら?」
「大丈夫、心配しないで。そのシフォンケーキは魔法を固めたものだから、あなたのイズニウムに近づければ、そのままイズニウムに吸収されるはずよ。やってみて」
エプロンにいわれて、ギュスターヴはおっかなびっくり、シフォンケーキを持っていた剣に近づけました。剣のつかに飾られていた、光り輝く金の宝玉に、シフォンケーキがくずれて吸収されていきます。砂糖細工がもろくくずれていくように、シフォンケーキはギュスターヴのイズニウムに吸収されていきました。
「……おいしい……」
ギュスターヴのつぶやきに、エプロンが得意そうな笑みを浮かべました。
「でしょう。ほとんどのイズンは、おいしいって気持ちを体験できないから、わたしのお菓子を食べたイズンは、みんな喜んでくれるのよ」
「うん、こんなにおいしいお菓子は、王宮でも食べたことがなかった。そうだ、ぼくは王宮に住んでいて、そこで、王子として生きていたんだ。王子として、人間として。でも、あのときあいつが……」
ううっとうめき声をあげて、ギュスターヴが頭をかかえたのです。エプロンが急いでギュスターヴのそばによりました。
「お菓子が効いてきたんだわ。がんばって、きっと記憶が戻ってきているのよ。大丈夫、少しがまんすればちゃんと思い出せるわ」
ギュスターヴは羽根つき帽子をぎゅうっと押さえ、その場にうずくまりました。視界がぐるぐると反転していき、からだが火であぶられているかのように、熱く感じます。景色から光が消えていき、そして闇におおわれたあと、ギュスターヴは深い深い記憶の海へと、おぼれるように落ちていったのです。




