アメジストの章 その6 ~ラピスラズリの終焉~
トリエステの左手をおおっていた手袋が、藍色の光に溶かされて消えていきました。藍色の光をはなちながら、トリエステの左手はごつごつとした石へ変わっていきます。それはさながら、研磨される前の原石そのもののようでした。
「この石の名前をご存知ですか? これはラピスラズリ、わたくしのイズニウムだったものですわ」
「いったいなにをやってるのだ、とどめはさしたんだろ……む!」
トリエステとソフィアのすがたを見て、ルドルフはあわてて手を突き出しました。精霊たちが現れ、トリエステに襲いかかります。
「なにをするつもりか知らんが、その魔力の高まりはまずい! 精霊たちよ、あの女を始末するのだ!」
しかしトリエステとソフィアのそばへ近づいたとたん、精霊たちのからだが泡となって溶けてしまったのです。ルドルフは目をみはりました。
「そこの男が、かつてわたくしにかけた禁術は失敗しました。ただそれは、単純にそこの男の魔力が十分なものではなかったからです。禁術は本来、他の魔法となんら変わりはない魔法なのです。十分に魔力がなければ失敗する。必要とされる魔力が他の魔法と比べ、極端に高いだけのこと。それさえクリアできれば、魔法使いであれば誰でも使うことができるのです」
「おのれ、知ったような口を利きおって! お前などに禁術が使えるはずがない!」
「普段のわたくしでしたら、使うことはできないでしょう。ですが、『魔術師』のタロットで魔力を増加して、さらにこのラピスラズリからも魔力を抽出しさえすれば、禁術を使うだけの魔力はそろうはずです。それにわたくしは、禁術をこの目で見ております。お前が使った禁術で、お前は敗れるのです」
右手に持った『魔術師』のタロットを天に掲げると、トリエステの左うでが、目もくらむような光をはなちはじめました。ルドルフは目を手でおおいながらどなりました。
「バカな、ハッタリだ! だいたいそんなことをすれば、イズンでも人間でもないお前は、完全にたましいを失ってしまうはずだ。そんなことできるはずがない!」
「いいえ、わたくしはすでに覚悟を決めております。ソフィアを救うことができるのなら、わたくしはたましいを失ってしまってもかまわない。それに――」
ラピスラズリの輝きに、うっとりと見とれたまま、トリエステは続けました。
「――それに、わたくしはもうイズンでも人間でもないという、中途半端な状況には耐えられないのです。これで終わってしまうのであれば、それでわたくしはかまわない。それどころか、わたくしの犠牲でソフィアを救うことができるのであれば、それは過ぎた幸運というものですわ」
もはやトリエステの左うでは、そしてそのラピスラズリが放つ輝きは、直視すれば目を焼いてしまうほどに強いものへと変わっていました。それほどに強い光でしたが、ソフィアは輝きに目を奪われたかのように、ラピスラズリへとくぎづけになっています。
「救う? わたしを救う? いったいなにから……?」
トリエステと同じように、魅入られたようにラピスラズリを見つめたまま、ソフィアがぽつりとたずねました。
「ソフィア、思い出して。あなたは戦争兵器などにはなりたくなかったはず。あなたが本当になりたかったのは、人間だったでしょう。そのためにあなたは旅を続けてきたはずです。自身の運命を変えるために。宿命から逃れるために」
「人間、わたしは、人間になりたかったの……?」
どす黒い光がだんだんとうすくなり、ソフィアの胸に飾られたアメジストが、淡い紫色の光をはなちはじめました。頭をかかえ、ソフィアがその場に崩れ落ちます。ルドルフはありったけの罵声をトリエステに浴びせました。
「くそっ、どこまでもわしを邪魔しおって、このクソ女が!」
ソフィアのアメジストに共鳴するように、トリエステの左うでは青い太陽のように燃え、そして――最後には砕けてなくなりました。
――終わったのかしら――
暗闇の中で、最後の力をふりしぼって、トリエステは目をあけました。ぼんやりとした光のゆらぎしか見えませんでしたが、だんだんと視力が戻ってきました。まず目に飛び込んできたのは、砕けて破片となった自分の左うで、イズニウムだったラピスラズリの破片でした。シュウシュウと小さな音をたてて、破片は空気に溶けていきます。トリエステは空っぽになった心で、かつての自分を見つめていました。
――ソフィアは、ソフィアはどうなったの――
ゆっくりと顔を動かして、トリエステはソフィアのすがたを探しました。ソフィアはすぐそばで、頭をかかえてうずくまっていました。からだじゅうが、あわい紫色の光につつまれています。見慣れたソフィアのイズニウム、アメジストの色でした。そこにはあの男のどす黒い欲望の色など、みじんも見られません。トリエステは静かに息をもらしました。
――よかった。わたくしはソフィアを――
今にも光が失われそうな、閉じかけのトリエステのひとみに、どす黒い光が映りました。ルドルフがソフィアに向けて、手をかざしていたのです。ソフィアのアメジストが、トリエステのラピスラズリと同じ藍色に、それからあわい紫色にきらめきましたが、どちらの色もルドルフの汚らわしい色にかき消されて、塗りつぶされてしまったのです。ソフィアをおおっていたあわい光も、どす黒い光へ変わっていきました。
「……そんな……」
トリエステのひとみから、ついに光が失われました。そのすがたを見て、ルドルフがクククと笑い声をあげました。トリエステのそばに近寄ると、まずはその顔を、そしてほとんど消えてしまったラピスラズリの破片を足で踏みつけ、踏みにじり、ルドルフはあざけるように高々と笑いはじめたのです。
「くふっ、くくく、ふふ、ふはははは! ハーッハッハッハ! バカめ、バカめ、バカ女め! 結局なにもできずにたましいを失うとは! お前のようなやつのことを、なんというかわかるか? 無駄死にの犬死にというんだ、ハッハッハ! イズンでも人間でもない、どっちつかずなはんぱ者が、一丁前に禁術などを使うからこうなるのだ。なにもできずに死におって。わしの魔法を打ち破ることなど、誰もできんのだ!」
狂ったように笑いながら、ルドルフはトリエステのからだをげしげしとけりつづけました。けりとばし、踏んづけ、踏みにじる……あらかたの侮辱をトリエステのなきがらに加えてから、ルドルフはフーッと満足そうに息をはきました。
「さあ、これで邪魔者はすべていなくなった。あとはこの戦争兵器を操って、世界中のイズンを支配するだけだ。そしてゆくゆくはこの世界さえも。魔法使いが、このわしがこの世界に君臨するのだ! ハーッハッハッハ!」
ルドルフの高笑いが、ゴーストタウンにひびきわたりました。ソフィアはまさに人形のように表情を変えずに、じっと遠くを見つめています。だから二人とも気がつきませんでした。倒れていたダヴィデのからだが、紫色の光につつまれていたことを。ダヴィデの腕輪についていたサファイアが、まるでアメジストのように輝きをはなっていたことを。そしてダヴィデのからだをおおっていた、にごった紫色の光が、いつの間にか消えていたことを。




