ルビーの章 その4
ソフィアが絶叫するよりも半日ほど前――
忘れられた港に向かう馬車は、アルベールたちが思っていたよりも簡単に見つかりました。フィーネ大陸に近いこの町は、忘れられた港とも交流が深いらしく、日に何台も馬車が行き来するとのことでした。
「忘れられた港っていうのは、たとえのようなものでさ。別に港自体は忘れられてもいないしさびれてもいない。いたって普通の港町だよ。違うのはフィーネ大陸に向かう船が出るってところぐらいさ。なんだい、あんたたちは観光かい?」
馬をたくみに操りながら、御者のおじさんが荷台に座るアルベールたちに話しかけてきました。アルベールはあいまいに笑って、そんなところですと答えます。おじさんはふーんと一人でうなずきました。
「前は忘れられた港から、こっちに来る人間のほうが多かったんだけどね。でも今は忘れられた港に行く人間のほうが多くなっちまった。南の大陸との戦争のうわさが広まっているからさ、少しでも戦場にならなさそうな町へ移住する人間が増えてるってわけさ。まああんたたちみたいに観光したいってやつらも、いまだにいるからな。そうそう戦争なんて起こらないんじゃないのかね」
おじさんがハハハと笑うのを、アルベールたちは暗い顔で聞いていました。忘れられた港といっても、おじさんの話ではずいぶんと広い港のようです。それでどのようにしてソフィアを探せばいいのでしょうか。
――それに、どうしてあいつはあのとき攻撃を止めたんだ? おれを倒せば、ソフィアを追うものはいなくなる。そうなればあいつらがソフィアを戦争兵器として覚醒させるのも、ずいぶん楽になるはずなのに。というか、どうしてあいつ、行き先を教えたんだ? おれのことを待つみたいないいかたして。まるでソフィアをえさにして、おれをおびき寄せようとしているみたいじゃないか。あいつらのいうところの、ただの下級市民であるおれになんの用があるってんだ――
「……ベール、アルベール!」
トリエステに話しかけられて、アルベールはああ、と生返事を返しました。トリエステはふうっと軽くため息をついて、アルベールを見ました。
「あまり考えすぎないようにしてください。今いろいろと考えても、ソフィアは戻りません。今はただしっかりからだを休めて、肝心なときに力が出ないなんてことがないようにしないといけません」
トリエステがめずらしくしっかりした口調でいうので、アルベールは目を丸くしました。
「トリエステ? なんだよ、どうかしたのか?」
「いいえ、ただ、予感がするだけです。わたくしたちは、この旅の核心へとだんだんと近づいていると。そしてそれはとても残酷なものだと。そう予感がするのです」
「それって、トリエステの占い師としての予感か?」
度肝をぬかれたように、アルベールがたずねます。トリエステは首をたてにふりました。
「そうです。そしてきっと、わたくしたちはそこで答えにめぐり合うことができるはずです。ただ、その答えがどのような結末に結びつくか、そこまではわたくしにはわかりかねます。残酷な結末にならないように、今からしっかり備えておくべきではありませんか?」
最後は静かにほほえんで、いつものトリエステらしい口調でしたが、アルベールはいぶかしげな顔で聞きました。
「どうしたんだよ、なんだからしくないぞ。そりゃあ、トリエステとはそんなに長く旅を続けてきたわけでもないけど、それでもいつもと違うってことくらいはわかるさ。……なにかあったのか?」
アルベールに見つめられて、トリエステは目をふせましたが、やがてふうっと大きくため息をつきました。
「アルベールにはかないませんね。ソフィアのことばかり見ていると思っていましたが、わたくしのこともしっかり見てくださっていたんですね」
トリエステにほほえみかけられて、アルベールのほおが熱くなりました。アルベールはそっぽを向いて、ぶっきらぼうにいいました。
「まあ、仲間だからな。それより早くいえよ、いったいどうしたんだ?」
トリエステはアルベールには答えずに、エプロンのほうに向きなおりました
「エプロンさん、あなたはフィーネ大陸から来たとおっしゃっていましたね」
いきなり話をふられたので、エプロンはきょとんとしていましたが、すぐにうなずきました。
「うん。っていっても、わたしはイズンとして創られてからすぐにユードラ大陸へ渡ったから、フィーネ大陸のことはあんまり覚えてないけれど。でも、セバスチャンがいろいろ話を聞かせてくれたわ」
セバスチャンのことを思い出したのか、エプロンはそのまま口を閉ざしてしまいました。アルベールが再びトリエステに問いかけます。
「フィーネ大陸になにかあるのか?」
トリエステは小さくうなずいて、アルベールに顔を向けました。
「前にアルベールに話したとおり、わたくしはある魔法使いと因縁があるのです。その男はフィーネ大陸出身の魔法使いで、血のように鮮やかな赤い髪で、真紅のローブを身にまとっていました」
「真紅のローブ……? それって、まさか!」
「ええ、顔まではフードの陰に隠れてよく見えませんでしたが、あの男、ルドルフといっていたあの魔法使いと同じローブでした。血のように赤い真紅のローブ……」
トリエステはみぶるいして、長手袋でおおわれた両手を、ぎゅっと祈るように組み合わせました。
「トリエステ、顔色が悪いけど大丈夫か? つらいなら話さないほうが」
トリエステは首をふって、それから左手の長手袋をはずしていきました。トリエステの左手は、深い藍色に染まっています。初めて見るダヴィデとエプロンは、声をあげて驚きました。前に見たことがあるアルベールも、改めてその異常さに、背筋が寒くなるのを感じました。
「この左手は、いったいなんだと思いますか?」
唐突に聞かれて、アルベールは首をふりました。
「わからない。なにか、魔法でそんな色にされたのか?」
トリエステはさみしそうに首をふり、静かに自分の左手を見つめました。かすかに雨のにおいがします。
「この手はわたくしの、イズニウムだったものなのです」