エメラルドの章 その2
宿屋にもどり、アルベールはベッドに倒れこみました。
「ふーっ、つかれた。もうくたくただよ」
「ただ酒場でぐだぐだしただけじゃない」
旅行かばんから出してもらったソフィアが、大きく伸びをしながらつぶやきました。
「おいおい、ずいぶんないいかただな。おれが酒場でいろいろ聞きこみしたおかげで、イズンのいるところがわかったんだろう」
アルベールにいわれて、ソフィアはうっと言葉につまりました。
「村の外れにある井戸から、夜な夜な悲鳴のような声が聞こえてくる……か。ゆうれいのたぐいじゃなければ、どうにかなるな」
あのあと酒場のおばさんと仲良くなったアルベールは、イズンでなくてもいいから、なにか面白い話がないかいろいろ探りを入れたのです。最初はうさんくさいよそ者と思っていたおばさんも、アルベールの調子のいいしゃべりと、気前よく料理とミルクを注文する態度にほだされて、ゆうれいの話を教えてくれたのでした。
「でも、本当に夜中に行ってみるの? お日さまが出てるときに、行ったほうがいいんじゃないの?」
不安げにたずねるソフィアを、アルベールは不思議そうに見つめました。
「夜な夜な悲鳴が聞こえるっていううわさだろ。そりゃあ夜に行かなきゃ、意味がないじゃないか」
からだを起こし、旅行かばんの中身を確認しながらアルベールがいいます。
「そうだけど、でも」
まだなにかいいたげなソフィアに、アルベールは意地悪くささやきました。
「もしかしたら、イズンじゃなくておばけかもな。どうする? お前、呪われちゃうかもしれないぞ」
ぶるるっとみぶるいして、ソフィアはアルベールを見あげました。
「うそでしょ? そんな、おばけなんて、でないよね」
「さあな。でも、イズニウムの波動は感じるんだろ? それなら大丈夫なんじゃないか」
にやにやするアルベールに、ソフィアはぎゅっとしがみつきました。
「感じるけど、でも、その井戸からするかどうかはわからないわ。ねえ、アル、わたしはお留守番しててもいい?」
「はぁ? いやいや、なんでだよ。イズニウムのエネルギーが必要なのはお前だろ。なんでおれが一人で行かなきゃいけないんだよ」
旅行かばんの中からランタンを取り出しながら、アルベールがあきれたように聞きかえします。
「だって、ほら、まだこの前吸収したエネルギーが残ってるし、大丈夫だよ。他を探しましょう」
ロープが腐っていないか確かめながら、アルベールはソフィアの胸についていた、アメジストを指さしました。
「見てみろよ。お前のイズニウム、もうほとんど輝きを失っているじゃないか。そろそろエネルギーを補給しないと、本当にお前死んじまうだろ。そうなったらどうなるか、お前が教えてくれたんだろう」
ソフィアは顔をそむけました。アルベールはかまわず続けます。
「戦争兵器として創られたお前は、魔力を失ったとき、イズニウムが暴走して爆発するんだろ。敵国もろとも吹き飛ばすためだっけ」
「いやっ!」
ソフィアが叫び声をあげます。ぎゅっと耳を手で押さえて、その場に座りこんでしまいました。アルベールは頭をかきながら、ソフィアの手を指でたたきました。
「すまん、悪かったよ。だけど、エネルギーが必要なのはほんとだろ?」
おそるおそる顔をあげるソフィアを、アルベールは手で持ちあげました。
「ほら、旅行かばんは置いていくから、おれの肩の上にしがみついておきな」
アルベールの肩に乗せられて、ソフィアは無言でうなずきました。
「さぁ、それじゃあ行こうか。ゆうれいじゃないことを祈るかね」
肩に乗っていたソフィアが、ぎゅうっとしがみつきました。
リーフレッド村は、昼間もそこまでにぎやかな村ではありませんでしたが、夜はまさに、村全体が眠りについているように静かでした。月明かりもなく、ランタンの光だけが頼りです。
「しかしまあ、あのおばさんの言葉じゃないけど、なんでこんなさびれた村に、イズンがいるんだろうな」
ランタンを片手に、アルベールは注意深く歩いていきます。
「ソフィア、大丈夫か?」
答える代わりに、ソフィアがさらに強く肩にしがみついてきました。ビーズの目はふさぐことができないので、顔を肩にうずめています。アルベールはわざとらしくため息をつきました。
「おっ、見えてきたぞ。……なるほど、これは確かに、ゆうれいのしわざに見えないこともないな」
アルベールがソフィアの頭をつつきました。そろそろと顔をあげて、ソフィアはひゃっと息をのみました。
「井戸が、井戸の中から、緑色の光が……」
ひび割れた井戸のふちが、淡いライトグリーンの光に浮かびあがっています。闇がより光をくっきりさせて、まるでほたるを井戸の中につめこんだようです。ソフィアの胸に飾られたアメジストが、共鳴するかのように紫色の光を放ちはじめました。
「どうやら本物みたいだな。イズンだ」
アルベールの言葉に、ソフィアもうなずきました。確かめるかのように、アメジストに自分の手を当てて、ソフィアは祈るようにうつむきました。
「それじゃあ、手はずどおりに行こう。イズンを見つけたら、すぐに力を使うんだぞ」
「でも、もしかしたら悪いイズンじゃないかもしれないじゃない」
アルベールはあきれがおでソフィアを見おろしました。
「悪いイズンじゃなかったら、どうだってんだ。お前は他のイズンからエネルギーを吸収しないと生きていけないんだろう。かといって、自分で死を選んだら、下手をするとこの国自体が爆発でふきとんじまう。なら、生き続けるしかないじゃないか」
それでもソフィアは、顔をあげませんでした。そんなソフィアの心に反応するかのように、井戸のおくから、すすり泣きのような声が聞こえてきました。アルベールがチッと舌打ちします。
「とにかく相手と話をしたらだめだ。お前のことだ、すぐに情が移って、エネルギーを吸収したくないとかいいだすだろ。そんなことしてるから、何ヶ月もエネルギーを吸収できなかったんだろう。でも、もう無理だ。お前のアメジスト、今にも光が消えちまいそうじゃないか。やるしかないんだ」
アルベールはザッザッと、ふみしめるようにして井戸へ向かいました。だんだんとすすり泣きが、はっきりしてきました。誰かの名前を呼んでいるようです。アルベールのみけんにしわがよります。
「さあ、それじゃあ降りていくぞ。古い井戸だからな、崩れないように気をつけるぞ。お前も肩から落っこちないように、ちゃんとしがみついておくんだぞ」
アルベールにいわれても、ソフィアは顔をあげませんでした。アルベールは念を押すようにいいました。
「どんなすがたのイズンかわからないが、人型であっても、人型じゃなくても、とにかく顔を見るな。できれば耳もふさいでおけ。お前は力を使うことだけに集中しろ。いいな」
返事はありませんでしたが、アルベールはかまわず、近くの木に持ってきたロープを巻きつけました。手でぐいぐい引いて、安全かどうか確かめたあと、それを井戸に投げ入れました。ずいぶん深い井戸のようです。ロープが水に落ちる音は聞こえませんでした。それとももう水はかれてしまっているのでしょうか。
「これだけイズニウムの光が強ければ、ランタンもいらないだろう。さあ、行くぞ」