アンバーの章 その4
「ギャッ!」
ルドルフが悲鳴をあげ、右手を押さえました。ルドルフとエプロンとの間に、いつの間にかアルベールが立ちふさがっています。
「ローブに魔法がこめられているんなら、それ以外のところをねらえばいいってことだよな」
アルベールの手には、血のついた短剣がにぎられていました。ルドルフの右手から、だらだらと血がたれて、深紅のローブがより濃く色づいていきます。
「きさま、邪魔立てする気か!」
アルベールだけでなく、トリエステとダヴィデも、エプロンを守るかのように立ちはだかります。ソフィアも旅行かばんの中から出てきました。
「殿下!」
ルドルフがすがるようにギュスターヴを見ます。ギュスターヴは笑っていました。まるで獅子がえものを見つけたときのような、豪快な笑い声をあげたあと、ギュスターヴは宝玉のついた剣をかまえました。
「面白い、実に面白いぞ。人間だったころの他国との戦を思い出させてくれる。ルドルフ、そんなくさった顔をするでない。強盗団との、あのつまらん戦いと比べて、なんと心踊る戦いだろうか。おい、お前たち、余を失望させるでないぞ」
いうが早いか、ギュスターヴは稲妻のような速さで、まずはダヴィデに飛びかかりました。身をかまえるひまもなく、ダヴィデを剣で切り飛ばし、そのままひらりと身をひるがえします。タロットカードを手に持つトリエステに、ギュスターヴはかぶっていた羽根つき帽子を投げつけました。タロットで防ごうとするトリエステの目の前で、羽根つき帽子の羽が弾けます。
「いやっ!」
羽が何本もつきささり、トリエステが悲鳴をあげます。エプロンが巨大包丁でギュスターヴに襲いかかりましたが、宝玉のついた剣が、巨大包丁をはじきかえしました。よろめくエプロンのふところに一気に飛びこみ、ギュスターヴが剣をひらめかせました。声をあげることすらできず、エプロンはその場に崩れ落ちました。
「こいつ、よくもっ!」
アルベールの短剣もなんなくかわし、ギュスターヴが剣をふりあげたそのときです。
「そのお方は傷つけてはなりませんぞ!」
耳をつんざくようなルドルフのどなり声に、ギュスターヴはピタリと剣を止めました。そのすきにアルベールが短剣をふりぬきますが、ルドルフはひらっと軽い身のこなしで、その攻撃をかわしました。
「なんだ、いったいどうして攻撃をやめたんだ? お前たち、なにをたくらんでやがる」
ギュスターヴたちがとった不可解な行動に、アルベールはとまどい、一瞬動きを止めてしまいました。そして、それを悔いるにはあまりに時間が無さすぎました。アルベールのすきをついて、ギュスターヴはまたたく間にソフィアの背後に回りこんだのです。
「しまった、ソフィア!」
アルベールがかけつけようとしますが、すでにギュスターヴはソフィアの頭をたたいて気絶させていました。そのままソフィアを抱えて、ルドルフのもとへ戻ります。ルドルフの足元には、青い光を放つ魔方陣が描かれていました。ルドルフ得意の瞬間移動の魔法です。
「待てっ! ソフィアを返せ!」
「下級市民よ、返してほしくば、『忘れられた港』まで来るがよい。余とユードラ王国の秘宝はそこで待つ。『忘れられた港』だ。再会を祈っておるぞ」
ギュスターヴの高笑いと、アルベールの絶叫が、町中に響きわたりました。ギュスターヴたちがすがたを消したあとも、アルベールのさけびはやむことがありませんでした。
「『忘れられた港』というのは、唯一、ユードラ大陸とフィーネ大陸をむすぶ船が出る港のことです。わたくしも、それにエプロンさんもその船に乗ってユードラ大陸へやってきたのです」
町の病院で意識を取り戻したセバスチャンが、アルベールにいいました。
ギュスターヴの襲撃のあと、みんなはすぐに病院へと運ばれたのです。フィーネ大陸に近い町だけあって、病院には医療用のイズンがいたので、セバスチャンたちはすぐに治療を受けることができました。セバスチャン以外はみんな、傷も残ることなく完治したのですが、セバスチャンだけは丸一日意識が戻らず、眠り続けていたのです。結局セバスチャンの意識が戻ったのは、ギュスターヴの襲撃から二日目の朝のことでした。
「しかし、本当に申し訳ありません。きっとあなたは、すぐにでもソフィアさんを助けに行きたいと思っていたでしょうに、わたくしなどの身を案じてくださるとは……」
ベッドの上で力なくうつむくセバスチャンに、アルベールは首をふりました。
「気にしないでくれ。けが人がいたら、誰だって助けるだろ。それにおれのほうこそ、もっと力があったら、あいつらをやっつけて、あんたたちのことを守ってやれたんだ。そうだ、おれに力がなかったから、ソフィアを……!」
ぎゅっとこぶしをにぎりしめて、肩をふるわせるアルベールに、誰も言葉をかけることはできませんでした。
「おれたちのほうこそ、迷惑をかけた。でも、ありがとう。『忘れられた港』の情報をくれて。あとはおれたちにまかせてくれ。ギュスターヴのくそやろうを、必ずぶっとばしてやるからさ」
「アルベール様、お待ちください」
セバスチャンにひきとめられて、アルベールはけげんな顔をします。
「もしよろしければ、エプロンさんも同行させていただけませんか」
「えっ?」
アルベールはもちろんですが、一番驚いているのはエプロンでした。あわててセバスチャンにかけよります。
「どうして、セバスチャン! わたし、セバスチャンのそばにいたいのに」
「いいえ、アルベール様がなんとおっしゃっても、やはり一番の責任はわたくしどもにあります。わたくしどもがいなければ、ソフィア様をさらわれることもなかったし、すぐに追いかけることができたでしょう。エプロンさんはパティシエですが、戦闘力もありますし、この子の作るお菓子には、不思議な力があるのです」
首をかしげるアルベールに、セバスチャンは続けました。
「エプロンさんの作るお菓子は、イズンの傷をいやし、力を与える効果を持ちます。その力で、わたくしたちはユードラ大陸のイズンたちを助けてきたのです。その力は、きっとソフィア様救出に役立つことでしょう」
「だけど、エプロンはいいのか?」
アルベールに聞かれて、エプロンは首をブンブンふります。
「やだよ、だってセバスチャン、まだ完全には良くなっていないでしょう。それなのに、セバスチャンのことを置いてきぼりにするなんて、できないよ」
ベッドにすがりつくエプロンをさとすように、セバスチャンはいいました。
「わたくしのことは気になさらないでください。それに、あのギュスターヴというイズンを止めないと、わたくしたちがやってきたことがすべて無駄になってしまうんですよ。エプロンさんはほかのイズンたちがひどい目にあってもいいんですか?」
「そんなことないよ! でも、でも……」
セバスチャンはエプロンのオレンジ色の髪を、そっと指でなでました。父親のようなそのしぐさに、エプロンはゆっくりと顔をあげました。
「ギュスターヴを止めてください。ソフィア様を助け出して、そして、すべて終わったら、またここに帰ってきてください。わたくしも一緒に行ければいいのですが、きっと足手まといになってしまうでしょう。アルベール様、どうかエプロンさんをよろしくお願いいたします」
深々と頭を下げるセバスチャンに、アルベールも重々しくうなずきました。エプロンはじっとセバスチャンの顔を見ていましたが、やがて立ちあがりました。
「必ず帰ってくるからね。だから、待っててね」
セバスチャンは顔をそむけて、だれにも見られないように指で目をぬぐいました。
「……なるほど、『忘れられた港』にユードラ王国の王位継承者がいるのか。どのみちフィーネ大陸へも侵攻する予定だったからな。侵略の足がかりになるというものだ」
アルベールたちと同じ町にある、貴族用の宿の一室で、小麦色の髪をした男がくっくと笑いをかみ殺していました。
「われらのイズン強盗団も壊滅させられたことだし、あの王子には借りがあるからな。『忘れられた港』でその借りを返させてもらうとしよう」
テーブルの上に置いてあった、見事なぶどうを一房つかむと、男はそれをぽいっと放り投げました。そしてすばやく剣を抜き放つと、ぶどうの皮がすべてはじけとび、むかれた身がぐしゃりと床に落ちてつぶれたのです。
「くくく、ユードラ大陸も、それにフィーネ大陸すらも、このぶどうと同じように、われらが身をむき、食らってやろう」
男はゆかいそうに高笑いを始めます。その手に持つ剣の柄には、ラウル帝国の紋章である、沈まない太陽が刻まれていました。