アンバーの章 その3
「えっ?」
アルベールが思わず声をあげます。旅行かばんの中から、ソフィアも顔を出していました。
「いったいどういうことなの?」
トリエステは答えるかわりに、いつものタロットを取り出して、一番上のカードをめくりました。とたんにトリエステの顔が真っ青になります。
「トリエステ?」
「そんな、このカードは……」
手袋をつけたトリエステの手が、かすかにふるえています。トリエステはおそるおそる、カードをアルベールに見せました。白い塔に雷が落ちている絵が描かれていました。
「なんだ、このカード? 別に普通な感じだけど。むしろ、こないだのがいこつの絵のほうが怖い感じだけど」
「これは、『塔』のカードですわ。塔のカードの正位置、意味は……」
トリエステがいい終わらないうちに、馬車からドガンッという派手な音が聞こえました。反射的に馬車をふりかえると、もくもくと煙が出ています。
「なんだなんだ、店が燃えてるのか?」
「アルベール、このカードの意味はこうですわ。破壊、破滅、全ての終わり。急いでこの場を離れなくては、取り返しのつかないことになってしまいますわ」
しかしアルベールの目は、トリエステではなく、馬車のうしろがわにくぎづけになっていました。いつの間にか旅行かばんから顔を出していたソフィアも、口を手でおおって固まっています。
「あいつらだ……」
お客さんたちの悲鳴とどなり声が聞こえてきます。楽しげな空気であふれていた大通りは、一気に混乱のうずにたたきこまれてしまいました。そして、そのうずの中心に向かって、アルベールはどなりました。
「お前ら、あのときの!」
ソフィアと同じくらいの背丈をした、貴族のかっこうのイズンがふりむきました。手には、光り輝く金の宝玉がついた剣を持っています。
「ほう、こんなところで出会うとは、奇遇だな、下級市民」
「あなたは、ギュスターヴ……!」
ソフィアもギュスターヴをにらみつけました。ギュスターヴのうしろには、深紅のローブに深紅のフードをかぶった、魔法使いのルドルフもひかえています。
「久しぶりだな、ユードラ王国の秘宝よ。それに、知らぬ顔も増えておるな。そこのひげづらはもちろんだが、その女からも魔法のにおいがするな。それに、イズニウムのにおいも。ふむ、興味深い存在だ、のう、ルドルフよ」
ギュスターヴから、値踏みするような視線を送られて、トリエステはわずかに顔をしかめます。しわくちゃのほおをなでながら、ルドルフがくっくと笑いました。
「おっしゃるとおりでございます。こやつらはフィーネの魔法使いを始末したあとにでも、ゆっくり料理して、ユードラ王国再建に役立てることにいたしましょう」
「フィーネの魔法使い?」
思わずたずねるソフィアに、ルドルフが答えようとしたときです。いきなりルドルフのからだに、巨大な包丁が切りかかってきたのです。
「うわっ!」
アルベールがすっとんきょうな声を出しましたが、ルドルフもギュスターヴも全く動じませんでした。包丁はガキッといういやな音をたてて、ルドルフの着ていた深紅のローブにはじかれました。
「そんな、どうして?」
巨大な包丁にはにあわない、女の子のあどけない声が聞こえました。
「くっく、魔法使いが、みんな非力な老人だとでも思っていたか。直接攻撃を受けても無事なように、このローブにはあらかじめ魔法がこめられているのだ」
ルドルフがあざけるような笑い声をあげ、包丁の持ち主を見おろしました。
「店員さん!」
包丁を構えていたのは、エプロンドレスを着た、店員のエプロンでした。包丁の柄の部分には、七色のリボンが巻きついています。
「あなたたち、よくもセバスチャンを! どうしてこんなことをするの?」
いわれて初めて、アルベールはエプロンのうしろに倒れている人影に気がつきました。執事の格好をしたセバスチャンが、頭から血を流してぐったりしています。
「お前ら、おれたちだけじゃなくて、なんの関係もない人たちまで襲ってるのか!」
ほえるようにどなりつけるアルベールを見て、ギュスターヴは肩をすくめました。
「なんの関係もないとは。ふむ、無知というのは時にやっかいな病理になるというが、まさにその通りだな、ルドルフよ」
「おっしゃるとおりでございます。この者のように無知な愚民が増えたこと、まことになげかわしいことでございます。ユードラ王国再興のあかつきには、このような愚民は一掃することを、このルドルフ、殿下にお誓い申し上げます」
ギュスターヴとルドルフは、あざけるように笑いあいました。
「いったいなにがおかしいんだ!」
「まだわからぬか。まあよい、教えてやろう。この男はフィーネ大陸の魔法使いだ。そしてそこの小娘はフィーネ大陸のイズンだ。そうだろう?」
ギュスターヴが射るような視線で、エプロンをにらみつけます。巨大な包丁をかまえたエプロンは、思わずうしろにあとずさりました。
「……どうしてそれを?」
「同じ魔法使いが、魔法の波動に気づかぬはずがなかろう」
にべもなくいうルドルフを、今度はエプロンがにらみつけました。
「そんなはずないわ、だって、この国にはもう魔法使いはいなくなってしまったはずなのに。それなのにどうして」
「いなくなったのではない。時がくるまで身を隠していただけだ。そなたらフィーネ大陸の魔法使いが、かげで暗躍していたのと同じようにな」
エプロンはくやしそうにくちびるをかみしめていましたが、やがてしぼり出すような声で反論しました。
「わたしたちはかげで暗躍なんてしていないわ。わたしとセバスチャンは、ユードラ大陸のイズンたちを助けていただけよ」
そのとき初めて、ぐったりと倒れていたセバスチャンが、うめき声をあげました。
「セバスチャン!」
「うう……エプロンさん、それ以上は、いってはなりません」
ルドルフがセバスチャンのお腹を、思いっきりけとばしました。ぐえっといやな声をもらして、セバスチャンは動かなくなってしまいました。
「セバスチャンにひどいことしないで!」
エプロンのさけび声を聞いて、ギュスターヴは満足そうに笑いながら、ルドルフをたしなめました。
「おい、ルドルフ。殺してはならんぞ。そやつにはまだ聞きたいことがあるのだからな」
「心得ております、殿下」
ルドルフはセバスチャンのからだを足で転がしながら、エプロンに視線を移しました。
「フィーネのイズンよ、なぜお前たちがユードラ大陸のイズンを助けているのだ。いや、いわずとも分かるがな」
ふくみ笑いをするルドルフを、エプロンはまっすぐ見すえました。
「あなたが考えているような理由じゃないわ。わたしたちは純粋に、ほかのイズンたちを守りたかっただけよ。あなたたちユードラ王国の魔法使いが見捨てた、この国に残されたイズンたちをね」
ルドルフの顔から、あのいやらしい笑みが消えました。かわりにフードの奥から、ギラギラした目がエプロンを射ぬきます。
「ふん、口ではなんとでもいえるわ! ユードラ王国が崩壊し、われら魔法使いが苦境に立たされたとき、きさまらフィーネ大陸の魔法使いたちはみなすがたを消したではないか! それでイズンたちを守ってきただと? ふん、笑わせてくれる。イズンなどしょせん道具にすぎんのに、道具の主でなく道具を守るとは」
ルドルフの右手が、青い光に包まれていきます。そして右手をエプロンに向けようとしたそのときでした。