『しまむら狂い』・・・終わりに
『しまむら狂い』
・・・終わりに
㈠
しまむらには、独特の魅力がある。それは、しまむら、という平仮名にある。しまむら、とは、島村という創業者の名前が由来だと調べたが、何故平仮名なのかは分からなかった。勿論、ユニクロやBEAMSにも由来がある様だが、平仮名ではない。この、しまむら、という平仮名が、日本独自の、と言ったイメージを想起させる点で、独特の魅力があると言いたいのだ。島村と言う名前は、島、と、村、だが、しまむら、とすると、平仮名のしまむら、と言う言葉の独立性が感じられるのである。
㈡
しまむらに、それも、バッグ商品に多少の狂いを見出している自分だが、その背後には、日本の平仮名のしまむらに、行こう、と意識させる潜在的な平仮名の土壌が有る様な気がしてならないのだ。いかにも日本的である、というイメージの想起、それが自分を多少狂わせている気がしてならないのである。しまむらは、バッグ商品や、衣類だけでなく、布団も展開している様だが、何にせよ、人を魅了する、平仮名のしまむらなのである。
㈢
難しいことを考えずに、とにかく、しまむらに行って、何か買うものを探しながら、時間を潰す。自分なら、バッグ商品のコーナーで、時間を潰す。こういった、低価格の、何なら買えると言う意識の元に、しまむらで時間を潰す人が大勢いるなら、それだけで、日本国民は、しまむらに依存し、程度の差こそあれ、しまむらに狂っているのではないかと考えられるのだ。終わりに、ということで、自分は多少しまむらに狂っている程度だが、日本国民は、確かにしまむらに狂っている状態の時がある、という結論になった。