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クロス・オーバー  作者: サクラソウ
1章『クロス』
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7『悪魔VS魔人』

 ロゼが駆けつけた時には、すでに遅かった。


 鉄塊の術で胴を穿たれた者。真っ二つにされた者。原型も分からぬほどに破壊された者。

 情けも容赦もなく、ぶちまけられた体液と臓腑の、かすかに焼ける悪臭が、胃を絞る地獄の光景。


 その一角。甲殻を血で汚しながら、なお悠然とたたずむ一体の四足甲虫ビートル

 背部に黒塗りの翅を背負った以外に外見的差異はないはずなのに、漂う圧倒的な存在感に唇を噛む。

 こいつが、仲間を。


「──待ちなさい」


 立ち去る気配を察して、毅然と呼び止める。

 振り返る、角の上に備えられた一つ目がこちらに向いて止まった。

 何を考えているのか、あるいは何も考えていないのか、それすら分からない。悠然とした立ち姿を烈火のごとく睨みつけた。


「仇を獲らせてもらいます」


 また護れなかった。償いになるとは思わないけれど、それが護れなかった者の責任だと思った。


「──ッ」


 踏み込み。

 まずは、脚を。


 優に十足に及ぶ距離を、たった一足の震脚で走破する。瞬きのうちの、〈剣姫〉の異名に比してあまりに勇猛な突貫。振り払われるのは、ミスリルの剣による横なぎの一閃だ。力任せでありながら、研ぎ澄まされて鋭利な一撃が、次の瞬間には〈ビートル〉の左前脚を半ばから両断する──はずだった。


「な──っ」


 予期していたのか、弾かれたように脚が持ち上げられ、剣は空気を切るにとどまる。だが、強引な回避は、体勢を崩す悪手だ。


 急制動。前への動きを足の踏ん張りで強引に殺し、脚を持ち上げ開いた〈ビートル〉の胴体を狙う、振り上げの一閃。

 だが、〈ビートル〉は糸のようなものを射出。後方の巨大樹に突き立てると、それを起点に跳んで剣を回避して。


「主よ・かいなの輝き――。……っ」


 その回避の挙動のまま回頭。角が向く危機感から咄嗟に呪文を唱え、間に合わないと悟り以下を省略する。


 神盾アイギス──ロゼの得意とする神教系の魔術における最上位の守りが、不完全な形で展開された。間を置かず、長角の横の短角二つが火を吹いた。人外の域に到達したロゼをして、視認できない速度で連射される。

 神を守る荘厳な盾の障壁は、そのすべてを受け切ったが、あまりの重さと開いた距離に歯噛みする。


 ──巧い。


 打ち合ったとは言えない、ほんの一瞬の攻防。それだけで、目の前の〈ビートル〉が他に比べて、圧倒的な技術を有していると理解できた。

 最小限の挙動で対処する度胸に加え、自身に有利な距離を保つ狡猾。何より、これまでどの〈ビートル〉も反応できなかったロゼの踏み込みを、見切ってみせた勘の鋭さ。


 運動性能によるものではない。純粋に、技量の問題。

 周囲の惨状──精鋭ぞろいの聖騎士団が、こうも容易く葬られたことにも納得がいく。この〈ビートル〉は、格が違う。


 知らず、ロゼは息を詰める。




 一方で、コクピットの中のシュンもまた、戦慄に身を焦がす。


 先まで対峙していた“魔人”と比べてさえ、常識はずれな速度。加えて、背筋を駆け抜ける危機感は、先の横なぎが食らっていれば装甲もろとも〈クアドロビートル〉の脚を切り飛ばしていたのだと教えてくれる。


 さらに言えば、これまで見たのよりも耐久性に優れたアクリル板。

 先までの“魔人”は二人で分けていた攻防の役割を、この少女の形をした“魔人”は、当然のように一人で行っている。

 まさに、攻防一体。人に戦車の利点をそのまま付け足したような。


 再び、“魔人”が動く。


 直感。駆け上る怖気に従い操縦桿を引く。刹那、左の巨大樹を足場にし三角跳びした“魔人”が、側面から強襲してくる。その恐ろしく素早く、鋭い踏み込み。

 〈アキレウス〉は、機械駆動の体を跳躍させ後方へ逃れようとするが、間に合わない。ちいと舌打ち一つ。左側面の高周波ブレードで応じる。


 機銃弾を防ぐ、あのアクリル板も切り裂くのに容易な一振りが、“魔人”が振るう剣と交錯する。高振動、圧倒的貫徹力が、しかし剣と打ち合い拮抗し、耳障りな金切り音を響かせ衝撃に弾かれる。


 傾く機体を四足で強引に制御する。多脚兵器の例にもれず弱い関節部に負荷をかけつつ、なんとか制動には成功するも、今の打ち合いで左の拡張アームのセンサに、ほんのわずかな狂いが生じている。


 対する“魔人”は、吹き飛ばされた勢いを近くの巨大樹に着地することで緩和し、そのまままっすぐに飛ぶ。五十メートルに迫る巨大樹の幹が、衝撃で震えるような蹴り。傍目には華奢な体が、〈アキレウス〉との空間を弾丸のように突破する。

 主砲は、間に合わない。機銃掃射の弾幕。しかし、正面に展開された荘厳なアクリル板がすべて弾き、やはり“魔人”には届かない。


 ワイヤーアンカーを射出。側面の巨大樹に打ち込み巻き取り、〈アキレウス〉は“魔人”の突貫を回避。直後、先ほどまでいた地面が振られた剣の衝撃に振動し、触れてもいないのにかすかに裂けた。

 その無茶苦茶加減に、今日何度目かもわからない焦燥を、沈着な表情に滲ませる。




 ──当たらない。


 全速で、全力で、手加減の一つもせずに行う全霊の剣戟に、〈ビートル〉はことごとく反応する。

 突貫、疾走、不意を突いたはずの上空からの切り落とし。そのすべてが空を切り、衝撃波を巻き起こすだけ。


 反面、〈ビートル〉は攻撃の間隙を縫い、巧みに鉄塊の術を散布する。加えて、背中の翅。


 飛ぶ用途ではないらしい。ミスリルの剣と打ち合って、それを弾き飛ばすほどの強度と鋭利。少しでも間違えば、斬り込んだロゼの剣こそが両断されかねない、あまりにも隔絶した破壊力を持つ翅だ。


 難敵。


 だが。負けるつもりは毛頭ない。


「主よ・──」


 長大な角の側面にある短角が交互に光る。疾駆し、鉄塊を置き去りに。巨大樹の背後に隠れる寸前、


「遠来の長槍を──ッ!」


 神槍グングニル──槍の形を模られ生成された光の奔流が、締め句とともに解き放たれる。

 往時には、三十の兵を同時に貫いたこともある神槍に、〈ビートル〉は鋭く反応。横に跳び──本来はそれだって回避できる速度ではない光の槍はかすりもしない。空中を走り抜け、遠くで巨大樹にぶち当たると、圧倒的な貫通力で幹を抉って止まった。


 視界の隅に見届け、鉄塊が止んだ隙にロゼは巨大樹の幹を蹴る。

 三角跳びで、隣の幹に飛び移りさらに跳躍。枝に掴まって体を引き上げ、今度は掴んだ枝を踏み台に、蹴る。


 狙いは、眼下の〈ビートル〉。上空からの強襲に、反応できる道理はない。両断する──その直前。


 それすら想定内だというように、長角が、向いた。


 拙い。


「く──っ」


 詠唱の余裕はない。詠唱を省略したところで間に合わない。


 空中で、可能な限り身をひねる、その刹那。角の先端が火を吹いた。

 〈ビートル〉の体躯を振動させる爆音。突っ込むロゼのすぐ脇を、硬質な何かが擦過したと理解した瞬間、背後で轟音。

 鉄塊と比べてなお尋常でない威力の何かが、巨大樹へ衝突し、幹を半ばから爆散していた。


 必然、体勢の崩れたロゼに有効な剣戟を振るうことはできない。器用に姿勢を制御し着地したところを狙い、振り下ろされる翅の一閃を、身を回してかろうじて回避。返す刀で〈ビートル〉の脚を狙うが。


「……っ」


 当然のように当たらず、そこへ振り下ろされるもう一方の翅。今度は躱せないと判断し、剣で受けた。

 びりびりと、持ち手が軋む重量と振動。圧倒的鋭利を、弾かれたように後ろに跳ぶことで受け流す。


 空中で一回転し着地。顔を上げ、再度の突撃を。


「なっ」


 隙と捉えたか、それとも分が悪いと判断したのか。重厚な体躯を、似合わぬ俊敏さで駆って、〈ビートル〉は巨大樹の中へ身を隠す。

 今行かれるのは困る。仇を獲っていないのに。


「待ちなさいっ!」


 〈ビートル〉の体は大きく、速度は全速のロゼと比べても遅い。だから、追いつくのにそう時間はかからない。

 最大戦速で突っ込むロゼを、しかし〈ビートル〉は戦闘巧者をいかんなく発揮する。巨大で、見た目通りに重いはずの体を、軽業師のように振り回し、巨大樹から巨大樹へ飛び移り。時折降り注ぐ鉄塊がロゼの追随を阻害する。


 そして、


「く──ッ!」


 それらすべてを看破し、突破し、全霊を載せた一閃も、違わず応じる背中の翅がことごとく迎え撃つ。


 これでは。


 逃がしてしまう──。




「しつこい──」


 常は沈着の下に隠した感情を、けれどさすがに耐え切れず、苦々し気に吐き捨てる。

 このままではいたずらに消耗するだけだと判断し、撤退の構えに入った〈アキレウス〉に追いすがる、少女の形の“魔人”。

 人型二足歩行ではありえないはずの高速と高機動は、必死で振り払おうとするシュンの策をことごとく突破しぴったりと後ろに張り付き続ける。


 ジェイクやアリシアとは、いまだに通信がつながらない。援護を要請しようにもその手段はなく、そも、彼らが会敵した“魔人”との戦闘に勝利したかも定かではない現状。彼らの様子を確認するためにも、この“魔人”は何とか振り払わなければならないのに──。


「……っ」


 また、肉薄する“魔人”の攻撃を、かろうじて旋回して間に合わせた高周波ブレードが迎え撃つ。衝撃で弾き飛ばされる矮躯をスクリーンに捉えつつ、シュンはなおも、振り払うべく疾走を続ける。


 そうして、らしくもなく焦って。同時に他ごとに気を回す余裕が削り取られていたからだろうか。シュンは、“それ”に気付かなかった。




 ずるりと、〈ビートル〉が体勢を崩した。

 踏み出した二本の前脚が、同時に地面を踏み外したのだ。


 その好機を、〈剣姫〉は見逃さない。

 全霊の震脚。巨大樹の森を駆けまわり、それでも疲れの気配を感じさせぬ、勇猛な踏み込みは、〈ビートル〉との間の距離を一瞬で消失させる。


「覚悟──ッ」


 ”悪魔”の胴体を、横なぎに両断する、鍛え上げられた絶技の一閃。しかし、それは〈ビートル〉が、想定以上にその体を崩れさせていたことで空を切る。


 支える地面すら超えて。


 下に。


「──え」


 同時に、ロゼもまた着地するべき足場がないことに気付いた。

 視界いっぱいに広がるのは、途方もないほど巨大な木々が乱立した巨大樹の森。

 ただしそれは地続きではなく。前方、切り立った断崖の向こうに広がる光景としてだ。


 ──崖。


 支えるもののない空中では、さしもの〈剣姫〉といえどどうすることもできない。


「ぇ、あ、きゃあぁああっ!?」

 

 *


 ──……。


 ──目を、開ける。


 遠く。はるか遠くに見える青空と、その手前にある巨大樹の、今は小さく見える枝葉。さらにその手前に、切り立って岩肌の露出した断崖絶壁を確認して、ロゼは眉を顰める。


 落ちた、のか。


 さすがに、巨大樹すら超える深さの崖を真っ逆さまに転落して、無事でいられるほどロゼの体は丈夫ではない。よく見れば、崖には一筋、何かで切り裂いたような一筋の後が、延々と長く引きずられていて──そういえば、とっさに剣を突き立てたのだと思い出す。

 さすがに鋭利な剣なだけあって、岩肌も悠々と切り裂き、せいぜいが速度を殺す程度の役目しか果たさなかったわけだけれど。


 ともあれ、体を起こした。

 意識を失っていたのは、数分にも満たない時間のようだ。太陽の位置は憶えているのとほとんど変わらず、外傷もほとんどない。そこまで得意ではない治癒の魔術でも十分完治しそうだ。ただ。


「折れてる……」


 通信用魔道具──常の通り襟に差していた金属製のピンが、へし折れていた。完全に壊れていて、これでは連絡を取ることもできない。

 加えて落ちた場所の悪さだ。地上から、何十メートルも下った崖の下。太陽光が降り注ぐには遠すぎ、それゆえに湿っぽく、ひんやりとした陰鬱な空間。

 植物はほとんど見当たらず、露出した岩肌ばかりが目立つ。崖の幅は、二十メートルは超えていて、戦闘時に巨大樹を這い上ったように、三角跳びで上がれる距離ではない。


 どうしたものかと、まだ少しぼんやりとする頭で考えて。不意に。

 視界の端にチラついた、森と保護色の斑模様で心臓が冷えた。


「”悪魔”──〈ビートル〉……」


 とっさに身構え、傍らの剣に手をかける。そういえば、これを追って転落したのだったと、今さらのように思い出す。


 だが。


「──」


 ピクリとも動かない巨影に、目を細めた。

 見たところ、〈ビートル〉にも目立った外傷はない。背中の翅は片方が半ばから折れ、各所の汚れがひどいが、それでも。ただ、投げ出されたようになった四足と、光のない頭頂部の一つ目が、どうやら気を失っているようだと気づかせる。


 なら。


 今が、好機だ。


 かすかに息が詰まる。心臓の鼓動が早くなった。

 ゆっくりと近づく。触れるほどの距離になっても、〈ビートル〉に反応はない。ロゼならば、それと気付かせることもなく、真っ二つにすることができる。


 寝込みを一方的に襲うなど、ロゼの好みではないが。


「護り抜くと約束しましたから。仇は、獲らせていただきます」


 振りかぶる。大上段に。


 ミスリルの剣が、乏しい光量を受けて煌めく。


 刹那。


「……っ」


 〈ビートル〉との戦闘でよく耳にする、彼らが動く際によく鳴る音。帝国での生活では耳馴染みのないそれが鳴るのが突然のことすぎて、そして危機を感じるには、あまりにも目の前の〈ビートル〉が不動に過ぎて、動けない。


 次の瞬間、〈ビートル〉の背中の中央が開口する。


 そして。


「ぇ──」


 顔を出し、瞬間、強張る紺碧の瞳と目が合った。





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