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クロス・オーバー  作者: サクラソウ
1章『クロス』
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4『壁の向こう側』

 ──変化は唐突だった。『壁』が消えた。


「創世神話にはこう書かれてます」


 童女のような幼さを感じさせる声が、大人ぶる色を湛えて耳をつく。


「『壁』は……『壁』、は……。ええっと? ちょ、ちょっと待ってくださいね〈剣姫〉さまっ。今っ、今、聖書出すので!」


 ド忘れしたらしい。あたふたと、いつも肩から下げているポーチの中を漁りだす、小柄な少女に苦笑し、〈剣姫〉は凛と答える。


「大丈夫です。憶えているので」


 元の美しさを、さらに磨いて洗練させたような少女だ。金糸の髪は長く伸ばされ、巨大樹の隙間から注ぐ陽光を受けて煌々と輝く。白磁の肌は透き通り、赤く澄んだルベライトの瞳がかすかに険しい色を湛える。青い刺繍で厳かに装飾された、露出の少ない純白の騎士服のベルト──そこに下げた一振りのミスリルのつるぎにそっと手で触れつつそらんじた。


「──『壁』は主の御業なり。主は、”悪魔”を追い払い、魔界に蓋するためにこれを創りたもうた。されど、時が来たとき『壁』は崩れ去り、再び魔は解き放たれるだろう」


 一字一句、違うことなく言い切ってから、〈剣姫〉ロゼ・ヘリオトロープは正面を見据える。


「これが、悪魔ですか」


 鉄の体の、フォレストコドラと同程度の大きさの四足甲虫ビートル。そういう性質なのか、足を吹き飛ばし胴体を八割ほど切断したら、内部から爆発してそれきり沈黙したが。


「私、むし嫌いなんですよ……。〈剣姫〉さまは大丈夫なんですか?」


「ええ、まあ。しかし、これは虫ではありませんよ、ミラ」


 くすんだ銀髪の少女は、金の瞳を瞬く。


「そうでしたっ。”悪魔”、ですものね!」


 と、女性平均のロゼより頭一つは低い背丈を精一杯伸ばしてみせる。

 ちなみにこのミラ・ダスティナはせいぜい十二程度にしか見えないが、驚くことに十七のロゼの一つ下である。


 子供っぽく愛らしいしぐさに頬を緩ませそうになりながら、精一杯自制してロゼは憂慮の表情を作った。


「”悪魔”、と言っても、やはり違和感があります。いっさいのマナも感じませんでした。……現状、帝国の定める生物の定義にすら当てはまりません」


「ですよねー。不思議ですねー……」


「はい、不思議です」


 それだけならば、まだ「”悪魔”だから」で納得できるのだが、先の戦闘の光景を思い返すにどうしても違和感が残る。


 血赤の瞳を周囲へ向け、眉を顰めた。


 抉れた地面。巨大樹の幹は細かい穴で傷つけられ、ところどころが焼けている。無論、ロゼの手によるものではない。この”悪魔”──仮称〈ビートル〉による攻撃の結果だ。

 マナを感じなかったから魔術とは別の手段。だが、魔術以外で鉄塊を作り出し高速で発射する方法を、ロゼは知らない。


 不意に、騎士服の襟に差したピンが振動した。通信用の魔道具。指先で触れ、呼び出し相手とリンクすると、少々荒っぽい声が聞こえた。


『悪ィ、〈ビートル〉だが、一頭逃がしちまッた』


 かすかに目を見張った。


「〈雷迅〉殿が、ですか。敵にそれほどの速力があるようには見受けられませんでしたが」


『つッても数が多い。気づいた時には、巨大樹に隠れてトンズラされてた、悪ィな』


「いえ、どのみち今回の戦闘は防衛が目的です。仕方ありません」


 それに、〈ビートル〉の実力自体、ロゼ自身が戦うことでよく理解している。責めることはできない。


 ともあれ、周辺警戒に赴いていた味方が、巨大樹の向こうから帰還するのを確認し、ロゼは一息つく。


「周りに異常はないようです。ひとまず戻ってきてください。──一度、入念に話し合う必要があります」


 通信魔道具の向こうから、「おう」と頼もしい返事が返ってきて、リンクが切断される。

 〈雷迅〉が戻ってきたのは、それから一分足らずのことだった。


 *


 数人の男女が集まる野営用のテントの内部を、机上のカンテラが淡く照らし出す。


 テントの外では、ちょうど日が半ばまで落ちたころだろうか。慌ただしく馬を停め、また近場の獣を狩って作った食事を配る音が聞こえる。ひときわ硬質なのは、〈ビートル〉の遺骸を運ぶもののようだ。かなりの重量があるので、やらなくてもいいと伝えておいたはずだが、素直に休んでいられるほど状況に余裕がないのも確かだ。


「とりあえず、整理するぞ」


 机の上に地図を広げながら、金髪を逆立てた男が切り出した。


 三白眼に稲妻を模した頬のタトゥー。サメのように鋭い歯が元から悪い人相を致命的にしているが、着ているのはロゼと同じ色彩の男性用の騎士服だ。

 ラングストリー帝国、七人の聖騎士──七傑の一人でもある〈雷迅〉インドラ・ストック。


 男は、ひとまず手近な駒を、バンと叩きつけるようにして地図に載せた。


「つッても、そんな難しいことじゃねェ。『壁』が消えたから創世神話の通り、”悪魔”が攻め込んでくるかもしれねェ。だからこうして、オレら黄薔薇と、姫サンとこの赤薔薇が様子見にここまで来ましたッてこッた」


 だいぶ端折って雑な、しかし要点を押さえて正確な状況確認だ。


 要するに、神話の予言に対する対策。七傑のうちから二名を選出するだけでなく、その指揮する精鋭部隊、黄薔薇騎士団と赤薔薇騎士団も随伴させたのは、それだけ帝国が事態を重く見たからでもあった。

 もっとも、小国であればそれだけで落とせるような過剰戦力。偵察にそこまで必要かという疑問は当然あったが、それも今日、刃を交えることですぐに霧散した。なにせ。


「すでに、三人が亡くなりました」


 『壁』のせいでそれ以上先には行けず、また巨大樹や多くの魔獣がひしめく天然の要塞と化しているから、帝国東部にあたるこの巨大樹の森は、これまでほとんど人の手が入り込んでこなかった。

 そんな天然の要塞ですら、聖騎士率いる騎士団にかかれば、ほとんど問題なく攻略できていたというのに。


 テントの中に、重苦しい空気が流れる。取り払おうとしたか、黄薔薇騎士団の副団長にあたる男が、冷静に口添えした。


「しかし、今回は敵がどういうものかわからなかったうえでの遭遇戦です。次以降は、被害は小さくできるかと」


「──」


 次以降は。今の被害から目を逸らしたともとれるその言葉に、息が詰まる。

 吐き出そうとした空気は、インドラに手で制されて霧散した。


「姫サン、抑えな。別にこいつに悪気はねェ。グダグダ言い合ってる暇もなァ」


「……わかっています」


 小さく深呼吸。副団長をインドラが小突き、そんな様子を、同じく赤薔薇騎士団の副団長のはずのミラは、よくわかっていないらしくあたふたしていた。


 ともあれ、だ。起こったしまったことはどうしようもない。だからこれからどうするかに意識を向けるのもまた自然なことと割り切って。


「〈雷迅〉殿は、〈ビートル〉と戦って、どうでしたか?」


「硬てェ。あと、純粋に強ェな。一対一ならまず負けねェが……」


「私も、同じ印象です」


 頭を掻きつつ忌憚なく言うインドラにロゼも頷いた。数で押されれば、どうなるか分かったものではない。


「〈拳聖〉殿ならあるいは、と思いますが──」


「ここにいねェ人間を持ち出しても意味ねェよ」


 それもそうだと頷いて、他の意見を聞くべく視線を移す。黄薔薇副団長へ。


「竜種、というほど圧倒的ではありません。どちらかというと、巧い敵といった印象でした。それゆえに手強く、隙を見せればそれで命を落とします」


「あ、それ私も思いました! なんですかねー、あの……ニンブルキャットと戦ってる、みたいな感じでっ」


 ニンブルキャット──素早いことで有名な魔獣だ。巨大なモモンガのような見た目の、経験の浅い戦士ならば一切対応できずに切り裂かれる獰猛さの。


 集まった他の面々にしても、意見に差異はないようだった。〈ビートル〉──”悪魔”は手強く、油断できる相手ではない。そして、帝国最精鋭の自分たちであっても、そう何度も退けられるほど甘くはない、と。だが。


「悪ィが、だからッてトンズラできる状況でもねェんだわ、これが」


 今度は取り出した掌大の水晶が机に置かれた。

 量産型のピン型通信魔道具とは別の、通信相手の顔やしぐさが浮かび上がるそれの、指定された通信先は──。


「カーゼル将軍は、なんと?」


 ラングストリー帝国の、特に東部『壁』方向の軍を統括する男の名に、インドラの反応は芳しくない。


「大部隊を編成してくるから持ち堪えろ、だとよ」


「そんな……っ、無茶です!」


 大前提として、今回、ロゼたちは偵察でやって来たのだ。帝国軍が部隊を編成してここまで来る時間、持ち堪えるだけの準備はしてきていない。人数だって、少数精鋭を謳う聖騎士団は、広範囲をカバーできるほどではない。〈ビートル〉の襲撃を受け続ければ、破綻する。


 吃と水晶を睨みつけた。


「私が直接、将軍閣下に具申します」


「オレがもうやった。にべもなく却下されたがな」


「でしたら、私がレミリア殿下に掛け合って、なんとか……」


「それもあまり意味ねェと思うぜ?」


「……っ」


 言われ、気づく。

 ロゼの主人──第三皇女のレミリアに嘆願したところで、だ。直接軍を動かす権限を持たない彼女では、皇帝に直訴なりの間接的な手段でなければ動けない。それでは、どちらにせよ時間がかかる。


 インドラが、彼には似合わぬ気遣う色を見せつつ、諭すような声を出す。


「仕方ねェよ、姫サン。なんにせよ、誰かがここで踏ん張って、”悪魔”の侵攻を抑え込む必要はあるんだ。オレら以外に務まるのなんか、そういねェ」


「……分かっています」


 それは、痛いほどに。でも。


 キョトンと、こちらを伺う金の瞳に気付く。唇を噛むロゼを、ミラは不思議そうに見上げていた。


「──」


 何とか意識して沈痛を己のうちに封じ込め、いつもの〈剣姫〉の顔で、〈雷迅〉を見返した。


「分かりました。でしたら仕方ありません、出来る限りの準備を整え、”悪魔”を抑え込みましょう」


 ──私は、少し外の様子を見てきます。


 それだけ告げて、ロゼはテントを後にした。




 毅然とテントを去る〈剣姫〉の後ろ姿を見送りつつ、インドラは頭を掻く。


 彼女の背筋はいつも通りピンと伸びていたが、今は少し力が入りすぎていた気もしなくない。


「姫サンのああいうとこ、良い部分ではあんだけどなァ」


 ぼそりと、聞かれぬ程度の小声で呟いたのだが、存外近いところにいたらしいミラには聞こえたらしい。

 無邪気な、童女のような笑顔が返ってきた。


「はい、〈剣姫〉さまはとても慈悲深くお優しくて、あと美しくて強いお方ですから!」


「おう、そうだな」


 適当に相槌を打った。


 *


 黄薔薇と赤薔薇、合わせて六十名ほどの騎士団が、せわしく動いて野営用のテントを準備している。獣除けのかがり火が、日が落ちて漆黒の森林を淡く照らし出し、揺らめいていた。

 慌ただしいとはいえ、昼間の戦闘が嘘のように平和な、夜の景色。巨大樹の枝葉を縫って見えた星が、下界のことなどお構いなしに煌々と降り注ぐ。


 ──だが、起こったことが消えるわけではない。


 そのまま放置すれば疫病の原因になりかねないからと、火葬の役目を引き受けたロゼは、喧騒から少し離れた開けた場所で三人の遺体を並べる。


 鉄の弾を食らい、顔面のひしゃげた遺体。長角からの攻撃の余波に巻き込まれ、全身に鉄片を受けた遺体。その横で直撃を受けた遺体は、胴が真っ二つにちぎれ、焼け爛れ、もはや原形もとどめていない。


「赤霊よ・かすかな息吹の・鎮魂を」


 ゆっくりと言霊を唱え、魔術を起動する。掌に生まれた小さな焔はゆらゆらと揺蕩たゆたい、風に吹かれたように一筋流れて三人を包み込む。

 やがて火は大きくなり、火の粉を散らしつつ天へと伸びていった。


「どうか、安らかに」


 手を合わせ、ただ、祈る。死した彼らの行く先に苦しみがないようにと。


 ──護れなかった。


 不意に浮かんだその思考に、ロゼは唇を噛んだ。


 レーナは、老いた母に、少しでも良い暮らしをさせようと騎士団に入った少女だった。身分に制限のない聖騎士団においても、貧困層出身の彼女は少し浮いていたが、それでも明るさを忘れず進み続ける強い人間だった。


 ルークは、商人の家の次男だった。家は兄が継ぐからと、自分のやりたいことをと考えて騎士団に入っていた。戦いを終え帰るとき、護り切った街の風景に口元をほころばせていたのをよく覚えている。


 リットは黄薔薇団だからそこまで深く知らない。だが、騎士服の中に隠していて、時々取り出し撫でていた女性用の手鏡は、きっと形見か、誰かの代わりだったのだろう。


「──護れなくて、ごめんなさい」


 みんな、帰るべき場所があって。守りたいものがあった。それを思うだけで、ロゼの心は針で穿たれたように痛みを感じる。


「私が……」


 だから、ロゼは背負わなくてはならない。


「私が、貴方がたの思いを継ぎます」


 彼らの死を。


 それが帝国七傑が一人、〈剣姫〉の在りようだから。


「私は”悪魔”を、決してこれより先には通しません」


 火は昇る。暗闇の中、煌々と。


 まるで照らさなくてはいけないと、自らを縛るように。





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