ささやかな葬いを
葬い屋の彼と出会ったのは肌寒い季節の早朝
夢の中で、私の名前を呼んだ
呼ぶ声が聞こえた
ナミ、ナミ。こっちへおいでー
男の人が私の名前を呼んで
でも、影しか見えない。男の人なのは分かるのに
ナミ、手伸ばしてー
その人はひどく優しい声で私を呼ぶ
私を名前で呼ぶ
そんな優しい声で今まで呼ばれたことがない
それ以前に私は呼ばれたことがない
今、今この人に呼ばれて私は『ナミ』となった
じゃあ、今までの私は何者なんだろう
…いいや、どうでも
私はナミ
優しい声の姿を見せて
ゆっくりと瞼を開けて光源の眩しさに顔をしかめる
カーテンの隙間
そよそよと揺れる
半開きの窓
布団に入り込む寒さ
でもこの寒さは心地いい
昨日は何をしていたんだろう
寝落ちだったみたいで
夢の男の人がナミを呼ぶ
まだ耳に、耳に声が染みている
じっと目を閉じて
少しだけ夢に介入したら
外へ行こうと決めて
だってこんなに天気がいい
この眩しさは神さまの便り
パステルグリーンのカーディガンパーカー
ふわふわのジェラートピケ…もどき
みんなを起こさないように
もしくは気付かれないように
隠れたまんま逃げてくように
お母さんは弁当とにらめっっこ
多分午前5時すぎ
早起きしたとてこの時間は二度寝する
けど今日は外へ行く
そんな気分
先月買ったばかりのサボ履いて
裸足の私をコーティング
そっと玄関開いたらそっと閉じて、ばれないようにばれないように
ほらやっぱり天気がいい
気持ちがいい清々しい、いい日になりそうな
適当に足を前へ
行こう行こう
どこへ行こう
あの男の人が呼んでいる
でもあれは夢の中
会えない行けない伸ばせない
影しか見えない男の人
ナミ、ナミ…ナミ、おいでー
私の名前は『ナミ』らしいから
あれは誰かな、格好いい人なら最高とか
夢なら二次元ありだよね
過大になってく
なってなって実際の夢はどうでもよくなって
こんな風に幸せならいいかな
歩いて
どのくらい歩いたっけ
ここは
知ってる景色と知ってる景色?の双方が記憶で一致
あれ
ここまで来たんだ
もうすぐ
多分だけどお母さん
今度は朝食とにらめっこしてるかな
みんな起きたかな
私はとっくにおはようさん
これは午前中眠くなる
うとうとうとうと
でもいっか、ねむいけど
いい日になりそうな
帰ろうっと
ナミ、こっちだよー
夢の記憶が頭で反芻
したのかなって
呼ぶのは違う
姿も見える男の人
夢の中のあの人?ってなったけど、この人は違うと思う
まっすぐ見つめて男の人は
彼は言う
葬い屋ー
とむらい…葬儀屋さんが何の用
迎えに来たんだって
彼は言う
ナミをかえすために一緒に来て
なんて、電波なことを言う人
私の『ナミ』をどうして知ってるの
夢の男の人は現実のあなた?
神様はこの人の元に呼んだの?
葬儀屋なんて失礼だ
今頃になって
一言
彼は言う
死者を弔う仕事を僕はしない
ってゆのは葬儀屋っていうのが
そういうもの
だからだと思う
であるから彼は葬儀屋じゃない、らしい
元からの死者を還すのだと
そんなこと言われても
元からってのは運命のことかな
でも、元から死んでいるっていうことなら
どちらにせよ
なら私は死んでいるということに
なるわけで
そんなの初対面の人に言われても頭おかしいとしか
思えないから
信じられないわけで
じゃあだからといってこのまま家に帰るのは
違うような
そんな気がする
逃げるみたいになるのは
悪くない私が
悪いみたいで
悪くない私を
悪人にしてしまうような
だから、お前はもう死んでいる宣告されても
彼を
まっすぐ見つめたまま
ここにいる
ジェラートピケ…もどきを羽織って
足元から入り込むそよ風が
寒いなぁって感ずるくらいに
私と彼はずっと
そこにいる、いたらしい
私をというか『ナミ』を還しにきたなら
この私はどうなってしまうのだろう
家に帰れなくなるのは、困るなぁ
これから一日が始まるのに
いい日になりそうな
なりそう
っていう予感だけで終わってしまう
それは悲しいからせめて
執行猶予みたいな
あ
これじゃまるで
本物の
悪人みたいじゃないか
執行猶予みたいなの欲しいから待ってとか
言っても聞いてくれるのかな
あぁこれもなんか私は『ナミ』
渡すの認めてる
私は消えてしまうのだろうか
『ナミ』と一緒に連れて行ってよ
『ナミ』は私そのもの
だって、ふと葬い屋は口にして
超能力でも使えんのかな、すごってなって
でも彼に分かるのは自然のことで
別段すごいことなんてないんだなって
妙に頷けた
今日はいい日になりそうな
だから
もう少し待って
今日はいい日になるよって
彼は
一言
私に言う
その確信の真意が読めなくても
確かになる感じがして
奥の、奥にもういいよなんて諭されて
昨日買ったばかりのサボ履けなくなるのは
寂しい、けど私の可愛い妹が
可愛く履いてくれるだろう
というメッセージを残して
残すのは勝手なもんで
多分、私がいたことは無くなってしまう
から、改竄されちゃうのかなぁ
私が買った、はどこか幻になるのかなぁ
ぱたぱた、天気がいいのに
雨なんておかしい
ぱたぱた
落ちるのは雨とか都合のいい解釈で
物理的な状態にNOと拒否したなら
私は嘘を言うことになる
悪人になるならこのくらいで
このくらいのことで捕まる方がいい
これって優しい世界になりそうな感じ
上を向くとやっぱり天気が良くて
いやでもいい日になりそうと
いやでも、思ってしまう
もうお母さんのご飯は食べられない
もう妹と遊べない
もうこんな天気のいいを味わえない
もう、『ナミ』はいられない
お母さんに会えない
のは、奥の奥で自分が決めていたんだ
最初から抗えないものだったらしくて
隠れて逃げていくように
ばれないようにばれないように
その無意識の心配りを理解してもらえるかな
迷っちゃうもん私
私は弱いから、顔見ちゃったら
戻っちゃうもん
架空に等しい現実を求めても
理想郷の壊れかけ
いつか必ず壊れる
もしくは
壊される
ぱたぱたと
止まらなくて
止めようにも全て出し切って
残していくことはいいよね
『ナミ』いくよー
彼は葬い屋の仕事をしに来ただけで
手を煩わせることはしちゃいけない
お姉ちゃんだから
妹にいいお手本を見せてあげなくちゃ
『ナミ』おいでー
呼ばれて、じっと彼を見て
寒くなってきた体を早く暖めたい
まっすぐ目の前にいる
葬い屋が手を差し伸べて
触れたその手はひどく暖かくて
この手に詰まっている
それは幾らの人のもので
彼は還してきたんだって
分かってしまった
そうなったらもう私が『ナミ』を帰すことは無理で
もういいよの連鎖反応を受け止めながら
生きている
生きていることにして
生きていたことにして
葬い屋は
一言
安らかにー
私に言った
早起きしたからって今眠くならなくてもいいのに
瞼が閉じかけて
眠くて
安らかに眠って。ナミ姉ちゃん
葬い屋の声と重なる
どこか遠くの
私の可愛い、可愛い妹の声
聞こえた
このサボあげたら受け取ってくれるかなぁ
一回しか履いてないから
履いてくれたら
ね、私の可愛い妹ちゃん
またどこかで
元からいない『ナミ』を少しだけ成長させて
こんな風な私なら
享年出産直後
今日はいい日になりそう
沢山のいい日を送れるよ
暖かい日差しの向こう側
もうそこに朝っていうのはないのかも
葬い屋の彼の手を握って
いく
ねぇ、もしも夢の中の
夢の中の男の人の手を取っていたら
その時、私はどこにいたんだろうか
『ナミ』が消えてしまう前に
忘れられてしまう前に
それはもう知り得ることはないけれど
『ナミ』
それは私の名前だから