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#1

夕方、雨が降っていた。日曜日だというのに街はしっとりと静寂を纏い、生温い空気が充満していた。そう言えば、あいつは雨女だったな。ドライブのときも、キャンプのときも、いつもいつも雨だった。

 車に乗って、式場に向かう。久しぶりに出した喪服は少しよれていた。引っ越してから一番最初に着るスーツが喪服だなんて誰が予想できただろうか。昨日の夜、聖子から電話があった。通夜の時間と場所を教えてくれた。

「みんな来るから、ちょっとした同窓会みたいだね」

聖子は精一杯明るい声でそう言った。

 車に乗って、式場へ向かう。雨はさっきより強まって、初夏の空気を一層蒼く深くさせた。まだ、実感が湧かない。

 少し、寄り道をしてみることにした。真直ぐ行くはずの交差点でウインカーを付け、右に曲がると公園通りの100m以上続く桜並木へ入る。全国でもちょっとした観光スポットで、桜の季節には観光客が桜の花びらより多く来る。もう季節は終わり、青々とした葉が、天から降る恵みに静かに浸っているように見えた。そうだった、ここ、一緒に歩いたんだ。


「誰のせいだよ、この雨!」

僕はわざと怒鳴った。

「やっぱアタシのせいかなぁ?」

彼女は僕がどれだけ喚いても動じない。わざとだと分かっていたし、何より慣れていた。花見をしようと言う急な誘いに嫌々ながら来てしまったが、やっぱり雨だった。そして寒い。5月だと言うのに春らしさの欠片も感じない日だった。北国の春と言えばそうだが、それだけでイライラする充分な要素だった。いつもの場所で待ち合わせをし、落ち合ったのは良いものの、彼女は傘を持っていなかった。

「傘持ってきてないの?1本しかないよ」

「やった、じゃあ、アイアイ傘ね!」



「何が「やった」だよ、計画的犯行じゃないか」

あのときの言葉をそのまま言いながら、桜並木を過ぎる。

 彼女はいつも僕の近くに居た。放課後必ず美術室に遊びに来た。毎日メールや電話をしていた時期もある。空が明るくなるまで大笑いしたり、悩みを聞いたり、ケンカしたり、いろんな事を話した。学校でもたくさん話していたのに、それでも彼女との会話はずっと尽きなかった。仲は良かった。きっと生徒の中では一番だっただろう。

 僕は彼女の気持ちに気付いていた。でも、僕はずっとその気持ちに答えなかった。ちゃんとした告白をされたのはまだ彼女が1年生のとき、現代の高校生らしくメールでの告白だった。ただ、ちょっと不思議な内容の告白だったのを覚えている。

『好きでい続けても良いですか?』

僕にはこの言葉がよく分からなかった。と言うか、返答に困った。好きと言ってもらえるのは嬉しい。でも、こんな言われ方をするとあからさまには振ることすらできない。だからこう返した。

『良いけど、ダメって言われたらどうするの?』と。

彼女はその質問に答えなかった。少し、高校生には意地悪過ぎたかもしれない。告白はその一度きりだった。彼女は僕と正反対の人間で、幸せな家庭で育ち、友達もたくさん居て、誰からも愛されていた。僕にとっては羨ましい存在の一つでしかなかった。普通なら最初に告白された時点で彼女を突き放せば良かったのに、僕はそれをしなかった…いや、きっと出来なかったのかもしれない。

「あれ…どうして連絡取らなくなったんだっけ?」

思わず声に出た。どうしてだっただろう、何かあったんだっけ、それとも何となくだっただろうか。あんなに仲が良かったのに。

 ボーっとしていたのだろう。道を間違えた。と、言うより間違って来てしまった。普段ならあり得ない間違えだ。久しぶりに来た。彼女と待ち合わせをした場所。いつもの場所。地下鉄の出入り口。4番出口。いつも彼女は僕より先に居て、出入り口の横にあるベンチに座って待っていた。その姿は主人を待つ忠犬の様で、少し切なくなる。きっと彼女は何時間でも待ち続けるんだろう。何を考えていたのか。何を思っていたのか。どうして人間はいつも気にしないようなことを、無くなってから気にしたりするのだろう。急に更地になった土地に前は何が建っていたとか、芸能人が死んだりすると惜しい人を無くした。などと言ったりする。今、彼女はそこにいない。

 何となく腕時計を見る。別に、誰かを待ってる訳でも無い。でも、ちょっとだけ「待ってみる」ことにした。出入り口から10m程の距離にある歩道に車を止め、ハザードを付けた。僕の定位置だ。不思議なくらい人が居なかった。雨の音と、ワイパーの音。他には何も無い。窓を開け、タバコに火をつける。その手を外に出してみた。生温い空気に手が触れる。少し強まった雨がそれを流すように当たった。タバコの煙りが揺れる。その光景を見ていると急に眠気が襲って来た。瞼が重い。世界が歪むほどの睡魔だ。このまま寝てしまおうか……何となく、また彼女が夢に出てくる気がした。今の僕には通夜に行くよりその方が良い気がした。ジュッとタバコに雨が当たる。その音が頭のなかでリピートされるのを感じながらゆっくりと目を閉じた。



その途端、携帯が鳴った。心臓が飛び出すかと思うくらい驚く。律子からだった。そうだ、昨日結局連絡するのを忘れていた。

「もしもし」

「連絡してって言ったのに!今どこ?」

かなり怒っている、いや、心配させたのだろう。

「ごめん…実はいろいろあって」

律子のおかげで一気に眠気が覚めた。背伸びをし、欠伸をし、何となく出入り口の方へ視線を向ける。いつの間にかベンチに誰かが座っていた。目を疑う。それは白いコートを着た見覚えのある女だった。雨にも関わらず傘もささずに空を見ている。僕は息を飲んだ。いきなりファンッと大きな音がした。「ウワッ」情けない声を出してしまった。身体が前のめりになり、クラクションを鳴らしてしまったのだ。

「何っ?今車なの?」

律子も驚いた声を出した。目を離したのは一瞬だった、彼女が消えている。

「ごめん、またかけ直す」

携帯を切り、車から飛び出して全速力で走り出す。雨は強さを増して降り注いでいるのに、風が無いせいか優しく感じた。空は分厚い雲のお陰で夕方なのに暗く感じる。心臓が高鳴った。見間違いや幻覚かもしれない。それでも彼女の後を追う。角を曲がり大きな道へ出る。辺りを見渡したが誰も居ない。どちらに行くか悩んだが、立ち止まり顔を空へ向けた。どこからこんなに水が落ちて来るのだろう。どんどん僕に染み込んで行く気がした。雨が彼女の居場所を教えてくれないだろうか。そんな馬鹿げた事を考える。何やってんだ、車に戻ろう。そう思い、顔を下げたとき、大きな歩道橋が視界に入る。まん中に人陰が見える。自然と身体の奥深くから声が出た。

「栢山さんっ!」

こんな大声が出せたことに驚く。が、彼女は気付かない。

「やっぱりイタズラじゃないかっ」

自然とイライラしてくる。聖子の電話が何だったのか、僕の落胆は何だったのか。込み上げて来るイライラを打ちまけてやろうと歩道橋へ走る。もう、水溜まりに足を突っ込んでも気にしなかった。豪雨のせいで道全体が水溜まりのようにバシャバシャ鳴る。歩道橋の元まで来て上を見上げる。階段は螺旋状になっていて、少しの高さが永遠に続くような気がした。それを一気に駆け上がる。毎回、この女には振り回されてる。久しぶりに思い出したら死んだだって?そこに居るじゃないか、嘘をつくなよ。僕は何をしてるんだろう。僕は…僕はどうして彼女を捜しているんだろう。




「かしわ、かしわやまさん?」

4月に栄高校に来て始めての授業は入学したばかりの、着慣れていない制服が妙に微笑ましい1年生が相手だった。このとき僕は多少緊張していた。はじめての学校はいくらか緊張する。出席簿を見ながら、生徒と名前を確認する。

「先生、カヤマって読むんです」

にっこりと笑う彼女の笑顔は、裏がありそうな、高校生の純粋さなんか微塵も感じない笑顔だった。10歳以上離れた小娘になめられまいと、余裕を持ってご挨拶をする。

「あぁ、よろしくね、カヤマさん」

「はい、こちらこそ、先生」

「クソガキ」これが第一印象だった。




 上まで着いたとき、彼女はまだ歩道橋のまん中に居た。内心また居ないのじゃないかと焦っていた。10m程の距離に彼女は居る。道路の方を向きながら遠くを見つめている。雨はまだ強いのに、やっぱり傘をさしていない。僕も彼女もずぶ濡れで、相合い傘でも良いから傘を持って来るべきだと思った。僕は呼吸を整え、その場で大きく息を吸ってもう一度叫んだ。

「初夏っ」

わざと聞こえないフリをしているのか?それとも雨の音で聞こえないのか、もしくは本当に幻でも見ているのか。彼女は微動だにしない。一歩づつ近付いてみる。走って行って、消えてしまっても嫌だと思った。未だにそこに居る彼女が現実なのか幻なのか分からない。少しづつ彼女の、初夏の横顔が見えてくる。懐かしかった。少し、痩せたかもしれない。少し、綺麗になったかもしれない。何だよ、やっぱり生きてるじゃないか。本当にイライラさせるのが上手い女だ。どう言うつもりなんだよ。怒ってやろうか、グーで殴ってやろうか。様々な感情のまま初夏の元に着く。少し間を置いて名前を呼んだ。

「初夏」

彼女の頭が少し揺れた。僕は初夏の右肩に手をかけ、こちらを向かせるように引っ張った。思いっきり殴ってやろう。

「お前…なにしてんだよ」

心で思っている事は必ずしもその通りではないらしい。どの感情が僕をその行動に導いたのだろう。雨のせいだろうか、日頃の疲れだろうか。何よりもまっ先に、僕は初夏を抱き締めていた。初夏のコートは雨をたっぷりと吸い込んでいて、酷く感触が悪くひんやりとした。それでも、小さい彼女を僕は包むように、きつく抱き締めた。幻じゃない。やっと、そう確信できた。そこでようやく気付く。僕は彼女に会いたかったのだと。初夏から離れて顔を見る。

「あ…」

例えようが無かった。初夏の顔は白く、反比例するように黒い瞳が真直ぐ僕を見つめる。そこからは感情が何一つ読み取れなかった。

「何してんの?」

一瞬、後ろから声がしたような気がした。振り向いても誰もいない。もちろんそれは初夏が言った言葉だった。

「こんなところでなにしてるの?」

続けて初夏が言う。僕はまたわざと怒鳴った。

「そっちこそ何やってんの?聖子から電話あったけどあれ何っ?」

「どうして…」

そう呟くと初夏は目を下へ反らし、口をヘの字に曲げる。久しぶりに見るその顔を前に僕は急に面白くなって、今にも笑い出しそうになる。

変わってない。1年前と一緒だ。

「何?また泣くの?」

僕はわざと意地悪く言った。

「あたしはもう泣かない」

「じゃあ何?」

「泣いてるのはそっちでしょ?」

その言葉に頭の後ろ当たりが震える。思い出した。これは夢の…

「最悪、酷すぎるよ」

「え…」 



 気が付くと車の中に居た。驚いて辺りを見渡す。そこは「いつもの場所」だった。雨は上がっていて、西日が眩しく輝いている。素直に混乱した。さっきあったことは現実だったのか、判断出来なかった。コートを触ってみるが、濡れていない。靴も濡れてはいなかった。

「夢?」

あれだけリアルな夢を見たのは始めてだった。雨が当たる感覚も、最後に見た初夏の顔も声も全てがリアルで、抱き締めた余韻が寂しさを誘って途方に暮れそうだった。

「…あはは」

ため息の様な笑いが出た。エンジンをかけ直した時、初夏の言葉を思い出す。

『泣いてるのはそっちでしょ』

その通りだった、僕は今、泣いている。


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