第三章 覚悟
黒崎指令からソルダと明かされた翌日、両親に今日は学校を休んでもいいと言われた。けれど、家でじっとしていてもすることがないし、折角だから藍華や同じソルダ候補となった舞子達と話がしたいという思いからいずなは学校に行くことにした。
「おばさん、舞子、いる?」
舞子の家に行くと真っ赤な目をした舞子の母辰巳が出てきた。きっとソルダの話を聞いて一晩中泣きはらしたのだろう。
「ごめんなさいね、舞子は今日、休ませることにしたの」
「そうなんだ。少し話がしたいんだけど、いい?」
「ええ。大丈夫よ。上がって」
「お邪魔します」
舞子はパジャマ姿にカーディガンを羽織った状態でベッドに腰かけていた。
「おはよう、舞子」
「おはよう、いずなちゃん」
「昨日、ソルダの話を聞いた」
「うん。私は補欠だって言われた。仕方がないよね、もともと体はそんなに丈夫じゃないし」
「補欠でいいじゃない。戦わずにすむなら其れに越したことはないし」
「でも、いずなちゃん達は戦うんでしょう。私だけ見ているなんてできないよ」
「いずなだけじゃないよ。高岡だって補欠だよ」
「うん。でも、そういう問題じゃない」
「ごめん、分かっている」
「ううん。私もごめんね。分って言ったの」
「黒崎はもう既に戦っているのよね」
「うん」
「エヴァンジルを使えば寿命が短くなるって聞いた」
「二〇歳までは生きられないって。怖い?」
「そりゃあ、もっと長く生きたいって思うでしょ。普通は」
「そうね。でも、私は平気かな」
「どうして」
「だって、千雪ちゃんと同じだもの」
千雪とは舞子の妹で、今年で九歳になる。生まれた時から心臓が弱く、生まれてすぐに医者からは二〇歳までは生きられないと言われている。
実際、来年までもつかも分からない状態だ。
「でもそうなると、おばさん一人になっちゃうよ」
「そうね。ねぇ、口止め料、受け取った?」
「父さんが突き返していた」
「そう。私は受け取ったよ。千雪ちゃんの治療費や入院費でお金がかかるし、貰える物は貰っとかないと」
「そうね。でも、舞子、おばさんは別にあんたの命を金で売ったわけじゃないよ」
「分かってる。そんなことぐらい分かってるよ。お母さんの目、真っ赤だったでしょう」
「うん」
「昨日、ずっと泣いてたの。『ごめんね、舞子。ごめんね』ってずっと言ってた。私は『大丈夫よ、お母さん』ってずっと言ってた」
「舞子」
「ソルダが死ねば更にお金が手に入る」
「死ぬ気なの?」
「補欠はそうそうしなないよ」
「でも、いずれはソルダの中から死人が出る。其の為の補欠でしょ」
「そうね」
「ソルダになったら死ぬの?そうなったら、おばさんは一人になる」
「そうね」
「舞子」
「ねぇ、いずなちゃん。人の心って単純だけどとても複雑なのよ。お母さんは私が死ねば悲しむ。でも、生活と千雪ちゃんの為にお金を受け取るわ。そして、其のことにすら後悔をし、嫌悪すると思う。悪循環ね。
ねぇ、いずなちゃん、何が正しいのだろうね。此の世界で正しいって胸を張って言えることってどれくらいあるんだろうね」
人を助けることは正しさだ。探せば幾らでもある。ソルダの話を聞く前だったら即答できた「此れが正義だ」、「此れが正しさだ」と。
クリミネルは政府の命令で動いている。生まれてくる子供の遺伝子を許可もなく弄って、ソルダに変える。
許されることではないだろう。でも、そうしなければ世界が滅びる。
世界の為に禁忌を犯した。大衆を助ける為に少数を切り捨てる。其れもまた一つの正しさだと思う。
個人にとっての正しさが大衆の正しさとは限らないことをいずなはソルダの話を聞いて知った。
「・・・・分からない」
「私も分からないよ」
「舞子」
「私がソルダの候補になれたから、だから千雪ちゃんの為にお金が手に入った。役に立てたことはとても嬉しい。其の反面、私の命と引き換えみたいで嫌だって言っている自分も居るの。私、最低ね」
「そんなことない!そんなことないよ。誰だってそう思うよ。おかしくない。舞子の言う通り、人は単純にはできていないもの。だから分かるよ。
私にもあるの。黒崎のせいじゃないって分かってる。でも、どうしてって自分も居る。黒崎の親が余計なことをしなければみんなと同じように過ごせた。
今の平和が当たり前だと信じて、平和であることにすら気づくこともなく笑っていられたのにって。もし世界が滅んだとしてもきっと最期まで笑っていられたと思うの。
でも、知ってしまった。世界が平和ではないことを知ってしまった。
どうして私が戦わなければならないの?どうしてって何度も問いかけているの。でも、答えは出てこない」
いずなは溜息をついた。言っても仕方がないことを言うのはかなり疲れると思いながらもいずなは言わずにはいられなかった。
「ごめん、そろそろ学校に行くね。帰りにまた寄るよ」
「うん。一緒にソルダ、頑張ろうね」
「・・・・うん」
ソルダに選ばれた者として話をしたいとは思った。でも、何を話したいと思ったのか自分でも分からなかった。
多分、話がしたかったんじゃない。多分、愚痴のようなものを言いたかったんだと思う。そして、舞子は其れに気づいている。
舞子は人の感情にとても敏感だから。どんなに上手に隠しても直ぐにばれてしまう。
体は舞子よりも丈夫だ。体力だってある。でも、自分は舞子よりも弱いといずなは思っている。
「ダメだな、私」
舞子の家を出る時に辰巳から「舞子をお願いね」と言われた。其れはきっとソルダとして弱いあの子を守って欲しいということなのだろう。
「任せて」と言ったが、実際は逆だと思い、いずなは苦笑した。
学校に着くと、藍華が居た。一週間も学校を休んでいたから日名子に質問攻めにあっている。
藍華は適当に相手をしながら本を読んでいるようだった。「うざい」と一言言って追い払えばいいのに藍華は其れをしない。
基本的に藍華は荒仕事が嫌いだ。苦手ではない。面倒だからしないというのが正しいだろう。
人を怒るのは労力が居るし、学校という閉鎖空間で人間関係を悪くすると居ずらくもなるからだ。
他のソルダ候補である鷹人は教室に居た。蒼空は鞄はあるから学校には来ているようだ。けれど、教室には居ない。何処かで油でも売っているのだろう。葉は教室に居なかった。鞄もないので今日は休みだろう。
「末守、アンタ邪魔。黒崎、ちょっと話があるんだけどついて来てくんない」
「ちょっと、割り込まないでよ。今は私が藍華と話してるんだから。藍華が一週間も休んだことなら此の場で聞けばいいでしょう」
「一緒にしないでくれる。私は黒崎が休んだ理由なんてどうでもいいのよ。話はもっと別にある」
藍華が一週間も学校に来なかったのはソルダとして訓練していたからだと勝成から聞いているので知っている。でも、其れは話してはいけないことになっている。話す許可があったとしても日名子に教えてやる義理はいずなにはなかった。
「何の話をするの?」
「アンタには関係ないでしょ」
「内緒話なんてずるい」
「行くよ、黒崎」
「うん」
此れ以上日名子に付き合いたくなくていずなは無視をして歩き出した。藍華も其れに続いた。すると、何故か日名子もついて来た。
「私達、二人で話したいんだけど」
「何で?」
「アンタには関係ないじゃん」
「私達、友達でしょう」
「私はアンタと友達になった覚えはないし、其れに友達だからって全てを話し合えるわけじゃないでしょ。兎に角ついて来ないで」
と、いずなが怒鳴っても日名子はついて来るので二人での話し合いは断念した。
其の変わりに放課後、先にいずなが人に邪魔されず、かつ鍵のかかっていない視聴覚室に行き、其れから三〇分後に藍華が視聴覚室に行くという形を取った。
愛睦は申し訳ないが先に帰ってもらうことにした。
「私、昨日ソルダ候補に選ばれたってアンタの親父から聞いた」
藍華はとても驚いた顔をしていた。
「そう、なんだ」
「アンタが耳につけてるのってエヴァンジル」
「そう」
「戦ってみて、どうだったの?」
「戦う前はとても怖かった。だって、死ぬかもしれないし。でも、戦ってる時に恐怖は感じなかった。全くないってわけじゃないけれど、少なくとも正常な判断ができるぐらいにはまともだったって言ったらおかしいけど」
「勇気あるわね」
感心した様にいずなが言うので、藍華は苦笑した。
「恐怖を感じないのは私に勇気がるとかじゃないと思う。多分、此れは本能」
「本能?」
「ええ。戦っている時、死が常に隣にあった。一瞬でも気を抜けば死の世界に誘われる。だから恐怖に蓋をしたのだと私は思っている。
勝つ為の判断をする時に恐怖はどうしたって邪魔にしかならないから」
「そうなんだ」
「怖い?」
「どうだろ。まだ、実感が湧かない。エヴァンジルを発動するってどんな感じ?」
「最初は何も分からなかったから痛いだけだったけど、発動する時にコアを自分の一部として受け入れればそうでもない」
「何其れ」
「ごめん、上手くは言えない。実際に発動してみないと分からないと思う」
「そう。藍華は戦い続けるの?」
「其れが私の役目だからね」
「アンタは其れでいいの?」
「いいんじゃないの」
「自分のことなのにまるで他人事ね」
「そうね」
「アンタは自分の親がしたこと何とも思わないの」
「何を思えって言うの?」
「何をって、何かあるでしょう。憤りだって」
「怒っても何もならないよ。現実は変わらない」
「そうかもしれないけど、そういう態度は止めてよ。こっちは完全にとばっちりなんだから」
「つまり、桜井さんは私のせいだって言いたいの?」
「そうじゃない。ごめん、言うつもりなかった」
言うつもりではなかったけどつい口から出てしまったということは少なくてもそうは思っているということだ。
けれど、藍華は其処を指摘はしない。此れからソルダとして一緒にやっていく仲だからできるだけ穏便にいきたい。
「迷ってるの、ソルダのこと」
「了承はしたわよ。拒否権なんてないんだから」
「じゃあ其れでいいじゃない」
「そんな簡単には割り切れない」
「戦いの最中にそんなことは考えていられないよ」
「流石ね。経験者は語るってやつ」
「皮肉のつもり?」
「かもね」
「なら付き合わない」
「そうね。ごめん、もういいわ」
「そう。じゃあ、さようなら」
「うん。ごめん」
「いいよ。気にしてないよ。気持ちの整理がつかないんでしょ」
「其れでも、ごめん」
本当に自分は何をしているのだろう。此れでは完全に八つ当たりだ。
藍華に背を向け、帰ろうとした時藍華から電子音が聞こえた。携帯の音とは違っていたので何となく気になり、振り返ってみるとアイリスの花を通して話をしていた。
ソルダが使う通信機だ。いずなも昨日、勝成から受け取っていた。いつも持ち歩くように言われていたので鞄の奥に入っている。
取り出してみると、同じ電子音が聞こえた。
『いずなちゃん、コントロールの縋七恵です。結界の一部が崩壊し、サウロンが市街地に侵入してきたので直ぐに本部に来てください。』
「分かりました。」
いよいよ戦うのかもしれない。そう思うと怖くて足が震えた。動かないと、早く本部に向かわないとと思う程足は動いてはくれない。
「行くよ、桜井さん」
藍華は動かないいずなの手を引いて視聴覚室から出た。いずなは藍華に引っ張られるようにして走り出す。
足が一歩前に進むごとに自分達は死に向かっている。でも、藍華の足取りに迷いはない。其のことがいずなに少なからずの勇気を与えた。
本部に着くと既にソルダ候補である鷹人、蒼空、舞子、葉が居た。
三人三様に遅れて入って来た藍華といずなを見つめる。視線がいずなから藍華に向いた時、蒼空はあからさまに視線を逸らし、其れに気づいた鷹人は藍華に苦笑した。
「黒崎さん、私補欠だけどできることは頑張るから此れからよろしくね」
「藍華でいいわ」
「じゃあ、藍華ちゃんね」
「よろしく」