第二章 罪人(クリミネル)Ⅱ
「興味がないだけですよ」
「構わんよ。任務が発生すれば授業中でも出動してもらうことになるがね」
「失礼します。」
藍華は勝成と伯明に一礼をして其の場を離れた。伯明は収まらない怒りを何とか抑え込みながら勝成から手を放した。
藍華の背を見送る形で仁美が来た。
「新たなソルダ候補の話があるのだけどよろしいかしら、勝成さん」
「嗚呼。伯明、お前ももう帰っていいぞ。今日はご苦労さん」
ポンと肩を叩いた手はとても軽かった。此れが命の重さなのかもしれない。毎日、毎日何処かで当たり前のように人が死んでいく。
ほんの三〇年前の日本では其れは自分達とは無関係のことだった。いや、今でもそうだ。多くの人にとって真実に置かれた日本は今日のように毎日誰かが何処かで死んでいることに気づきもしない。自分達の偽りの平和の為に命を削っているというのに。
其の事実を知り、背負ってしまった人間はまともな神経ではいられないのかもしれない。
命は軽いと思わなければ罪悪感で圧し潰されてしまうのかもしれない。たとえ其れが娘の命であったとしても。娘の命だからこそ。
正常な判断をする為に、無視するしか方法がなかったのかもしれない。其れでも・・・・。
「勝成、藍華ちゃんと話をしろよ」
こんなのは悲しすぎる。切ないだろ。
「そんな暇はない」
「でも、藍華ちゃんはソルダになった。俺達がそうさせた。いつ死んでもおかしくはない。お前さんの言う通り〝次〟はもう無いんだぜ」
「話すべき内容は既に仁美の口から伝えられている」
「そういうことじゃない。そういう言葉を藍華ちゃんは欲してはいない。其れぐらいお前にだって分かるだろ。お前は藍華ちゃんの父親なのだから」
「父親である前にクリミネルの指令だ」
「クリミネルの指令である前にお前は藍華ちゃんの父親だ」
「任務外で私が彼女と話すことはない」
「お前が不器用なのは知っている。でも、普通の親子の会話もできないぐらい不器用なのはどうかと思うぜ」
吐き捨てるように言い残し伯明も帰る為に藍華が去った道と同じ道に足を踏み出した。此の会話は此処で終了だ。
「待たせて悪かったな、仁美」
「いいえ」
自分の娘と夫の関係性についての話を伯明としていた。仁美も其れを聞いていたのに彼女は興味がなさそうに資料に視線を落とした。事実興味がないのだろう。
仁美にとって興味があるのはサウロンとコアについてのみ。そして藍華はソルダ。戦う為の道具。其れが彼女の認識だ。
「神山鷹人、神山蒼空、桜井いずなの三名が有力候補に挙がってきています。」
「一宮舞子と高岡葉に関しては?候補に名前が挙がって来ていたが」
「悪くはないという感じね。実戦で使えるかは微妙なところだから補欠枠にしているわ」
「補欠枠か」
「ええ。念の為、候補者三名と同様に訓練を受けさせるつもり。ソルダの中から死人が出ないとは限らないから」
「・・・・そうだな。其のまま進めてくれ。両親には俺が話をつける」
「了解」
勝成の許可を貰った仁美は早速行動に移る。勝成も補欠を合わせて五名のソルダ候補生の両親に同意書を貰う為に地下を出た。
此処最近は籠りっぱなしだったので久し振りに地上に出ると息がとても楽に吸えた。息を吐くと自分の中で蜷局を巻いていた澱んだ酸素が全て外界に出てくれた。
空は何処までも青く、澄んでいて、もうとっくの昔に忘れてしまった平和だった日本がまだ其処に現存してくれているような夢を見てしまう。
藍華のことを「甘い」と叱ったが自分にもまだそんな甘さがあることを知り、勝成は苦笑した。
「さて、行くか」
自分の子供がソルダとして戦う。其れには長時間家を空けることもあるのでどうしても両親の理解が必要になる。だから同意書をもらわないといけない。
でも其れはあくまで形上のことだ。実際は説明をし、説明を受けた内容は他者に口外しないという約束を取り付け、万が一漏らすようなことがあれば一族抹殺という脅しをしなければいけない。勿論、子供がソルダになることは既に決定事項であり、拒否権は親にはない。同意書は貰うが、強制的な同意でしかない。
桜井いずなの母さくらと父家定、いずなは勝成の話を半信半疑で聞いていた。実際に藍華が戦っているところを録画したソフトを見せてもよくできた特撮映画だという認識しか持てなかった。
けれど勝成の真剣な顔つきや態度、言葉からただの冗談ではないことをさくら、家定、いずなも薄々感づいていた。けれど知ってしまった幸福な時間を奪われたくなくて二人は必死に抗った。「此れは悪い冗談だ」と。
そんな三人に勝成は容赦なく同意書を目の前に置いた。
「同意書にサインをお願いします。」
「拒否権はないと言っていたのに同意書だけはきっちり貰うってか」
「其れだけではありません。口止め料としてあなた方には」
「ふざけるな!娘の命だぞ!アンタは其れを金で売れという」
家定がテーブルを力強く叩いた為置いていた四つのカップが転倒し、中のお茶が零れてしまった。
しかし、動くものは居ない。テーブルの脚を伝い、お茶がフローリングを湿らせようとも家人達は構わない。
「藍華ちゃんは全てを了承して戦っているの?あなたの奥さんだってこんなの許すはずがないでしょう」
「私の妻は先程話したクリミネルの医療班に努めています。」
「夫婦揃ってどうしようもない下種だな」
「あなた」
さくらが怒りを抑えて話し合いを続けることを促した。家定の怒りは収まらないが取り合えず腰は落ち着かせることにした。
「あなた達は其れでいいの?ご自分の娘でしょう」
「娘である前に私は司令官であり、彼女はソルダです。」
「死ぬかもしれないのよ」
「其れが彼女の役割です。」
「アンタは俺達の娘にも同じことを言っている。死ぬことが役割だと」
「其の為に生まれ、育てられた。彼女達は子供ではない、道具です。」
「お前達が勝手にして、勝手に決めたことだろ。俺達には何の関わりもない」
「私は」
今まで黙っていたいずなが初めて口を開いた。全員がいずなに注目した。いずなも注目されていることは気づいたが構わずに続けた。
「黒崎が国の為に戦って死ぬことを誉と思うようなタイプには見えない。アイツは全てを受け入れたんじゃない。アイツは諦めたんじゃないの?」
「・・・・いずな」
過酷な運命を突き出された娘に何か言おうとさくらは口を開いたが結局何の音も発せられず、まだ出来上がっていない娘の体を抱きしめることしかできなかった。
いずなはさくらに抱きしめられながら真っすぐと勝成を見つめた。
「アイツは全てを諦めたんだ。あんたらを理解することも、理解されることも。そして自分の運命も」
「其れで戦えるなら何の問題もない」
「黒崎さん、アンタねぇ」
「あなた方は何か勘違いをされている。我々はあなた方に同意を求めているわけではない。決定事項を報告にしているだけだ」
「なっ」
「父さん、母さん、いいわ」
また怒りを爆発させそうになった家定を止めていずなは言った。
「其れしか運命がないというなら私は其れを受け入れるわ」
「いずな」
「いずな、あなた自分が何を言っているか分かっているの」
「ええ」
「死ぬかもしれないんだぞ」
「分かっている」
「ソルダなんてものになる必要はない。お前は父さんと母さんが守ってやる」
「いいえ、無理よ、父さん。相手は政府なのよ。父さんや母さんの力でどうにかなるものではないわ。私達は所詮一般市民、政府には勝てない。弱者は強者に従って生きるのが自然の摂理。そうでしょう、黒崎指令」
勝成は「そうだ」と頷く代わりに口元に笑みを刻んだ。
桜井家から同意書を貰い、序に家定から「ど汚い悪魔」という罵りを貰って勝成は次に向かった。
似たり寄ったりのやり取りをし、全ての家から同意書を貰うことができた。口止め料は一宮は受け取ったが残りの家からは拒まれてしまった。
此れで重い仕事は一応終わった。
「さて、クリミネルに戻るか」
藍華は一週間ぶりの我が家に居た。
「何で一週間で此処まで汚くできるのかね」
リビングのテーブル、ソファー周りには空のペットボトルとパック、其れにお菓子の袋が転がっていた。
「此れはいつのだ?」
テーブルの上に折り重ねるように置かれたお皿とスプーンには油が固まり変色していた。ココアでも飲んだのか、空になったまま置かれたコップの底にはチョコレート色をした液体がこびりついている。
でも、洗っていないとはいえ汚れた皿があるということは藍華が居なかった此の一週間はしっかり自分で料理をして食いつないでいたといことだ。
「さて、料理をしたことを褒めてやるべきか、片付けができていないことに対して怒るべきか」
迷うところではあるが、取り合えず片付けが先だ。
洗い物は汚れがこびり付いて落ちないので洗剤と熱湯でつけることにした。其の間にゴミは袋にまとめて勝手口に置く。
「そうだ。今日のご飯、何かあるのかな」
中身を確認する為に藍華は冷蔵庫を開けた。
「何これ?」
冷蔵庫の中には食料と呼べるものは何も入ってはいなかったが代わりに幾つものコーヒーの缶が入っていた。しかも、全て開いているようだ。おまけに・・・・。
「全て空かよ。何で空の缶コーヒーを冷蔵庫に入れているのかな」
ピキリと額に青筋を一本立てながら缶コーヒーを捨て、序にまだ学校から帰ってきていない愛睦にスーパーでお惣菜を買うようにメールをしておいた。
『長く家を空けてゴメンね。
今日は家に帰っているから(^_-)-☆
一週間で家が様変わりしていて驚いたよ(^^♪
どういうことか説明欲しいな(´・ω・`)。なんてね(怒)』
という文面からメールは始まっている。皮肉たっぷりにしておいたが通じてはいないだろう。
戦闘後に家の片づけはきついが、片付ける人間が居ないので藍華は溜息を溢しながら風呂場に向かった。
脱衣所に置いてある洗濯機の下に何故か菜箸が落ちていた。
「アイツは脱衣所で料理でもする気か」
菜箸を拾うと、洗濯籠の陰になっていたところが見え、其処から割りばしも見つかった。
「此処でアイツは一体何をしていたんだ」
洗濯機の中には何も入ってない。籠の中には入っているが、洗ったのか洗っていないのか不明だ。
濡れているものもあれば全く濡れていないものもある。籠の外にも服は落ちている。
リビングにも幾つか使ったと思われるタオルが落ちていた。試しに愛睦の部屋に入ってみると其処にもタオルとゴミ、其れに洗われていない食器もあった。
「あの馬鹿」
洗濯物を洗濯機に入れ、スイッチを押す。序に浴室を洗い湯を張る。愛睦の部屋に合ったゴミを捨て、食器を洗って乾燥機にかけると全ての作業が終了した。
作業終了を見計らったかのように愛睦が帰って来た。其れもまたムカつく要因の一つとなったが藍華は勝手に家を空けた自分にも責はあるのでできるだけ穏便にすませようと考えた。
「お帰り、愛睦」
「ただいま。藍華、本当に帰ってたんだ」
「うん。まぁね」
「此れ、適当に買ってきた」
愛睦はスーパーで買ってきたお惣菜を藍華に渡した。
「嗚呼、ありがとう」
総菜を受け取った藍華は其れを冷蔵庫に仕舞った。
「貧血で一週間も病院に入院して大変だったんだよ」
そういうことになっているんだ。と藍華は思った。
「末守さん、すごい五月蠅かったし。何で藍華は休みなん?て。しつこいし。だから貧血だって何度も言ったのに、何度も聞くんだもん。本当にしつこい、あのデブ」
「だろうね」
其の情景が目に浮かぶ。
「ところで愛睦」
「何?」
「もう中学生なのだから少しは自分で片付けられるようになってほしいのだけれど」
「片付けていたじゃん」
何処が!?
「使ったタオルや汚れた食器にゴミが沢山出ていたのは私の幻覚かな。其処まで私の精神は病んではいないと思うけど。其れに、冷蔵庫に空の缶コーヒーがあったのはどうして?普通はゴミ箱でしょう」
「私が入れた時には入っていたの」
「じゃあ、何?中身が勝手になくなったって言いたいの?自然蒸発でもしたと?」
そんなわけないだろ。
「一日おきとは言わないからせめて二日か三日に一回は洗濯物もして欲しかったな」
「したよ、ちゃんと」
「でも、籠の中に丸まっていたよ。全て綯い交ぜになって」
「だから、籠にあった奴は私が洗ったの」
全く濡れていない服も入っていた。恐らく一度は洗濯機をかけたというのは本当だろう。ただし、干さなかっただけで。
洗った服の上に洗っていない服を乗せた。というのが真実だ。それじゃあ意味ないだろう。
「愛睦、洗濯物を洗うのは洗濯機の役目であって、あなたの役目ではない。昔のように板を使って洗ったのなら『私が洗った』というのは正しい表現ね。
洗濯物をするというのはね、まずSTEP1洗濯機にかける。STEP2洗濯物を干す。STEP3洗濯物を取り込む。STEP4所定の場所に洗濯物を仕舞うことを言います。
あなたは洗濯物を洗ったのではない。洗濯機のスイッチを押しただけ。其れでは洗ったとは言いません!」
「でも、ちゃんとしたもん」