第二章 罪人(クリミネル)
一週間の訓練が終了した。とうとう一度も家に帰らなかったし、学校にも通わなかった。愛睦や学校のみんなはきっと疑問符だらけだろう。でも、其処は仁美がフォローしてくれていると信じるしかない。
「藍華ちゃん、此れを」
伯明は最終訓練が終了した日、紫の花をかたどったブローチを手渡した。
「此れは?」
「通信機になっている。うちの科学班が開発したんだ」
「科学班?」
「嗚呼、そうか。藍華ちゃんは俺達のことあんま知らないのか」
「はい。私が黒崎博士から受けた説明は自分の体とサウロンについてだけです。」
自分の母を『黒崎博士』と呼ぶ藍華。立場を弁えての呼び名ならしっかりした子だなとか礼儀正しい子だなとしか思わなかった。
でも藍華から発せられる『黒崎博士』は彼女が見せた拒絶を表しているようで伯明は悲しくなったが何も言わなかった。
家族の問題で他人の自分が口出しすることではないと思ったからだ。
「今から案内してやるよ。此れから自分が入る組織だ。ちゃんと知っていた方がいい。其れに家に帰るよりもこっちに帰ることの方が多くなるだろうからな」
「はい」
藍華は伯明に先導されながら訓練室を出た。
「俺達の組織はクリミネルと呼ばれている」
「・・・・罪人?」
「生まれてくる命に手を加え、人の人生を捻じ曲げるようなことをしているんだ。たとえ其れが国の命令だったとしても褒められることじゃないからな」
「そうですか」
伯明は藍華の前を歩いていた。だから彼が今、どんな表情をしているのか藍華からは見えなかった。
「随分、広いんですね」
「都市すべてに張り巡らされた地下に存在するからな。出入り口は主に学校と病院になる。其処の関係者は全てを知っている。」
「大人達の全てが知っているわけではないんですね」
「嗚呼。被害にあった旧市街の奴らで生き残りは居ない。目撃者は全て記憶を抹消した。そういう機械を科学班が開発してくれたからな。でないと世界中がパニックになっちまう」
「そうですね」
「科学班は主に二班ある。サウロンからコアを取り出し、エヴァンジルに変えてたり、フィデールが使うクロワを開発したりするのが一班。クロワってのはサウロンを市街地に入れない様に結界を作り出す装置のことだ。十字架の形をしている。此処が一班だ」
中には白衣を着た無数の人間が居た。
手術台に人のようなものが乗っている。人の形をしているが人ではない。病的なまでの白い肌に、青紫の唇をしている。
「あれがラ・モールだ」
「私が戦う敵ですね」
「そうだ。おいで」
伯明に連れられて奥に入ると円錐形の水槽のようなものが幾つも並んでいた。其の中には黒い影のようなものが入っている。
「此れは?」
「ディアーブル。人にとり憑く奴だ」
「黒崎博士は主に此処で働いているんですか?」
「いいや。仁美ちゃんはサウロンについて研究はしているが医療班になる。主に戦闘による負傷の手当てやソルダの健康管理。コアの移植をする。だから別の部屋だな。因みに通信機や藍華ちゃんが今着ている服のデザインをするのが科学班である二班。隣の部屋になる。其の隣が医療班。仁美ちゃんの仕事場だな」
次に伯明が案内したのは目の前の壁が全てスクリーンになっており、街の様子や町の外の様子を映し出していた。
働いている人間は白いシャツに青いネクタイをしており、男性は長ズボン、女性はスカートを穿いている。胸元のポケットにはシルヴァーの星の印章がつけられている。
「此処はコントロールと呼ばれる場所で藍華ちゃんは此処から指示を受けて戦闘することになる。」
コントロールルームにはコンピューターがあり、訳の分からない図形や数値が映し出されていた。中を見渡していと見覚えのある人物が目に入った。
「お父さん」
「何だ、来ていたのか」
コントロールルームに居る職員と同じ制服を着ている。ただし胸元につけられた印章はシルヴァーではなくゴールドだった。
「藍華ちゃん、もしかして仁美ちゃんから聞いてなかったのか?勝成は此処の司令官だ」
と、いうことは母だけでなく父までも自分達の運命を捻じ曲げた犯人ということになる。
「そうですか」
「用がないなら早く帰りなさい。」
「藍華ちゃんに中を案内している途中。何もそんな言い方ないだろ」
「あなたも、全てを知っていたのですね」
「・・・・藍華ちゃん」
「本当によくできた両親だことで」
冷たく言い捨て藍華はコントロールルームを出た。其の後を伯明は慌てて追いかけた。コントロールルームを出て直ぐの角の所で壁にもたれ、両手で目を覆っている藍華が居た。
「藍華ちゃん、勝成のことだけど」
「前にも言いました。慰めは要らないと」
困ったように口を閉ざす伯明に藍華は皮肉的な笑みを見せる。
「其れとも彼らを擁護するつもりでしたか?」
「いいや。そんなことをするつもりはないよ。自分達の行いが赦されないことだということはよく分かっている」
「そうでしょうね。」
「藍華ちゃん」
「すみません、八つ当たりをしてしまって」
「いや、藍華ちゃんが気にすることじゃない」
「大丈夫ですよ、蓮城さん。私は大丈夫です。思うところはありますし、父が司令官というのは驚きましたが、其れで傷つくということはありません。其処まで仲の良い関係ではなかったので」
初日に聞いた答えと同じだった。伯明は「そうか」としか言えない自分が情けなかった。
勝成や仁美がどんな親を演じてきたのか伯明には分からない。けれど、いきなり人間でないものを両親の手によって移植されたことを知り、国の命運を背負わされた少女の心には最初からどす黒い闇が渦巻いていた。
「では、行きましょうか。今日から実践訓練に入るのでしょう」
「そうだな」
藍華と伯明はエレベーターで地上に行き、病院の外に出た。其処からは伯明の車に乗り込み旧市街を目指す。
旧市街の入り口には軍人が立っていた。伯明がクリミネルの人間である証明書を軍人に取り出すと簡単に通してくれた。
「まるで警察手帳みたいですね」
「そうだな」
門を通る際、軍人は興味深げに藍華を見ていた。ソルダが珍しいのだろう。藍華は特に気にしないことにした。
旧市街には市街地と似たような建物、ビルなどがあったが、真ん中から上がなかったり、完全に破壊され、跡だけが残されていたりした。
同じ文明の利器に存在しているとは思えない場所だ。よくテレビなんかで紛争地域が映し出されたりしたが其れに近い感じがする。
旧市街は灰色に染まっていたが、中には鮮やかに咲く大輪のような赤もあった。恐らく人の血だろう。
藍華の中に恐怖が浮き出す。
戦った経験なんてない。一週間前までは何処にでも居る普通の女子中学生だった。
本当に勝てるのか?自分は生き残れるのか?
考えても意味のない不安が押し寄せてくる。
「大丈夫だ、藍華ちゃん。藍華ちゃんには俺がついている。俺にはサウロンを倒す力はないが、此奴で藍華ちゃんが逃げる時間ぐらいは稼げる」
伯明は助手席に置いたロケットランチャーを叩いてニッと笑った。藍華を和ませようとわざとおどけたように言う伯明の心遣いが今は有難かった。
「はい」
藍華は耳についているラポームに触れる。不思議と心が落ち着いた。
「蓮城、前方1キロメートル先にディアーブルが居る」
車に設置された無線機からシステムルームにいる職員の声が聞こえた。
「もうか。行けるか、藍華ちゃん」
「問題ありません」
「すぐ後ろに俺が居るから安心して戦え」
「はい」
車はディアーブルが確認でき、尚且つディアーブルから死角になる場所に停車した。
「ラポーム」
杖を持ち、藍華は車から飛び出し、ディアーブルに向かっていった。ディアーブルは直ぐに藍華の存在に気づき、黒い影のような触手を伸ばしてきた。
藍華が上に飛ぶと、先程まで藍華が足をつけていた場所にディアーブルの触手が刺さっていた。
不思議な感覚だった。戦いなど初めてで、もしかしたら死ぬかもしれないのに恐怖を感じない。
蓮城と訓練している時もそうだった。自分の思ったように体が動く。まるで体そのもの意思があり、生きる為に藍華を守っているように。
だからこそ藍華の体は訓練を受けた暗殺者のようにしなやかに、柔軟に動くことができた。
訓練中、蓮城も「何か習ってたのか?」と、驚いていたが一番驚いているのは藍華の方だった。
「相変わらずいい動きをするぜ」
車の中からロケットランチャーを構えた状態で伯明は藍華の戦いを見ていた。
藍華は全ての攻撃を躱し、いなしている。
「此れもコアの副作用か、あるいは哀れな人間に対する神からの恩寵なのか」
藍華の動きに無駄はない。訓練された軍人のように相手を警戒し、常に一定の距離を保っている。
たった一週間の基礎訓練で体力が倍以上になることはまずないが藍華は疲れを全く感じなかった。
触手がラポールに巻き付く。綱引きのようにディアーブルはラポールを引っ張り、藍華が踏ん張る。
「くっ」
少しずつだが藍華の体がディアーブルに引き込まれ始めた。藍華は杖の先をディアーブルに向け、力を抜いた。すると、体は簡単に宙に浮き、ディアーブルに引き寄せられ、放さずにいたラポールの先端がディアーブルに突き刺さった。
「マレディクシオン」
リンゴのオブジェに入っていた赤い液体がディアーブルの中に吸い込まれるように入っていく。すると、ディアーブルは急に苦しみだし、触手をばただつかせた。
触手に叩きつけられた地面に罅が入り、触手があたったビルや瓦礫は粉々に砕けた。なんて力だとぞっとしながらも藍華はディアーブルがラポールを離した隙を見逃さず、距離を取った。
ディアーブルの体は徐々に石化していき、やがて完全な石となった。
「何とかやったな」と独り言を呟いて伯明は車を動かした。
「藍華ちゃん」
近づいてくる伯明に向き直って、笑顔を向けた瞬間だった。地面が崩れ、足にディアーブルの触手が巻き付いた。
「藍華ちゃんっ!」
「くっ」
地面の下に隠れていたディアーブルは徐々に触手を伸ばしていき、藍華の体に巻き付いていく。
「くそっ」
伯明はロケットランチャーをディアーブルに向けるが藍華が盾になり、撃てない。
「此のままじゃあ、藍華ちゃんを巻き込んじまうな」
ディアーブルの締め上げがきつくなり、藍華は吐血した。
苦しくて、痛い。
<死ヲ恐レルカ、人間>
頭の中に声が響く。ディアーブルの声だ。ディアーブルは人に取り付くと仁美が言っていた。
<ダガ、オ前ハ知ッテイル。死ンダトコロデ悲シム者ガ居ナイコトヲ>
「耳を傾けるな、藍華」
持っていた拳銃でディアーブルを攻撃し、何とか藍華を助けようとする伯明だが、傷を負わせることはできても致命傷には程遠かった。
「コントロール、此方蓮城だ。応援を頼む。此のままじゃあ藍華ちゃんがやられちまう」
『此方コントロール。応援は無理だ』
胸元につけたアイリスの花から聞こえたのは藍華の父である勝成の声だった。
「冗談だろ、勝成。此の状況は見えているはずだ!お前は藍華ちゃんを見殺しにする気か」
『結果はまだ出ていない』
「結果が出るまで待てと?」
『そうだ』
ソルダを使用した戦いは此れが初めてだ。此処で藍華が勝てばソルダはサウロンに通用すると確証ができる。藍華は其の為の犠牲に選ばれた。
「勝成っ!」
『彼女だって覚悟はしている。此れは遊びじゃないんだからな』
「安全地帯に居る奴が容易く覚悟なんて言葉を口にしてんじゃねぇよ」
『伯明、俺が何も感じていないとでも思っているのか』
通信機では顔までは見えない。だが、通信機から怒気を孕んだ勝成の声が聞こえ藍華が勝成の娘であることを伯明は今更ながら思い出したのだ。
「くそっ」
伯明は引き金にかけた指に力を込めた。藍華と二人で必ず帰るという意志と一緒に。
<可哀想ニ、藍華。オ前ハ両親ニ愛サレテハイナイ。優遇サレルノハイツモイツモ姉デアル愛睦。同ジ双子ナノニ、何故自分ダケ冷遇サレル>
ディアーブルが愛睦のこと、自分のことを知っているわけがない。此奴は自分の心が読めると藍華が結論を出すと、黒い影がにぃと笑ったように見えた。
<ソウダ。我々ハ読メルノダ。人ノ心ガ。ソシテ理解デキル。我々ハ元ハオ前達ト同ジダカラ>
「どういう意味だ」
ディアーブルが何かを言おうとした気配はあった。だが、其処で伯明の邪魔が入った。
「藍華ちゃん、無事か」
<人間ハ皆敵>
「ぐっ」
喉と手に巻き付いた触手の力が強まり、気道が塞がる。手がだんだんと痺れ、感覚も鈍くなり、ラポームを持つ手の力が弱まりだした。
「藍華ちゃん」
伯明は上手く触手を躱し、銃を撃ち続ける。着弾した箇所は穴の開いた布のようにボロボロになる。だが、ほんの数分で元に戻ってしまう。
伯明の放った銃弾が藍華の手に絡みついている触手に着弾した。五発連続で着弾すると触手はなくなり片手のみだが自由になった。
藍華はディアーブルの体にラポームを突き刺した。
「マレディクシオン」
ディアーブルは石化された。
「大丈夫か、藍華ちゃん」
「大丈夫と言いたいところですが肋骨に罅が入っていますね」
絡みついたまま石化してしまった触手を伯明は怖し、割れ物でも扱うような手つきで藍華を抱きかかえ、地面に下ろした。
「先程のディアーブルの話、聞いていましたか?」
「何の話だ?」
藍華を助ける為に必死だった伯明はディアーブルとの話を聞いていなかった。
「いいえ、何でもありません」
「そうか。其れよりも早く帰ろう。また奴らが来ちまう」
「はい」
藍華は伯明に支えられながら車に乗った。
荒廃した道を車が走っていく。
此処にも自分達と同じ人間が住み、幸せな生活を送っていたのだろう。きっと、住んでいた人達は其れが「幸せ」であるとは感じなかったはずだ。幸せとはそういうものだ。
訳の分からない生命体サウロン。其の恐怖は計り知れない。藍華も最初は怖かった。戦っている間は恐怖を感じなかった。戦わなければ殺されるという事実が恐怖に蓋をしたのかもしれない。
でも、藍華は今別の意味で恐怖を感じている。
サウロンは自分のことを同じだと言った。其れは藍華と同じという意味なのか、其れとも自分も人間だとでも言いたいのか。
今の段階では情報が少なすぎる為、判断はできない。此のことはまだクリミネルには報告せずにおこうと藍華は思った。
クリミネルの連中が此のことを知っているかは分からない。もしかしたら知らないかもしれない。でも、もし何かを知ってしまった場合。サウロンで街が半分滅んだことを隠し続けていた連中だ。自身の身が安全であるとは限らない。
藍華は荒廃した街を見た。荒廃した街を旧市街と呼び、自分達の住む世界と分けているが、腐食を拭うことはできない。少しずつ、けれども確実に生きたいと望む人の心が此の街のように腐っていくのを藍華は肌で感じていた。
「藍華、着いたぞ」
考え事をしていたらあったという間に藍華の乗った車はクリミネルの本拠地である黒崎記念病院に着いた。
伯明は車から降りる藍華に手を貸そうとしたが藍華は其れを断った。肋骨に入ったはずの罅は既に完治し、肌についた傷も今はない。新品のマネキンと同じ滑らかさを取り戻していた。
「まるで化け物だな」と藍華は自嘲気味に言った。
藍華の中に在るサウロンのコアが傷を直ぐに完治させてしまう。どんなに傷を負っても全てなかったことになるのだ。ついたはずの傷も、感じたはずの痛みも。全ては虚空の彼方へと消え失せる。
「たかがディアーブル相手に随分と手間取っていたな」
病院から地下に入った藍華を父である黒崎指令が待ち受けていた。表情は硬く、死にかけた娘を心配する父親の感情など微塵もない。
「初陣で全てが滞りなくいくのなら苦労はしませんよ、黒崎指令」
「随分、甘い考えを持つな。まだ平和ボケが抜けないのか、藍華。戦いに次はない。たとえ其れが初陣であってもだ」
「承知していますよ」
「今回のような無様な戦い方は不愉快だ」
「勝成っ!其れが生きて帰った娘に言うセリフか!」
たまらず伯明は勝成の胸倉を掴んで止めさせようとした。
「スマートに戦って見せますよ、黒崎指令。ご命令とあらば従うのが我々道具の役割の一つでもありますから」
「・・・・藍華ちゃん」
「自分の立場が分かっているようで何よりだ」
「勝成、てめぇ」
「蓮城さん、構いませんよ」
「けどよ、藍華ちゃん」
「言ったはずですよ、この程度で傷つく程私達の間柄は良くはないと。黒崎指令、私は今日、家に帰ってもよろしいかしら。長く家を空けすぎましたし、学校の方も心配なので」
「日本が滅ぶかもしれないというのに家と学校の心配とはお気楽なものだな」