第一章 兵士(ソルダ)Ⅱ
「政府での発表は震災としか。其れ以外は知らない」
「そうね。表向きは震災。でも実際は違う。侵略されたのよ」
随分物騒な言葉を使うと藍華は思った。銃刀法違反という法律が存在する日本は海外に比べれば比較的穏やかだし、第二次世界大戦に敗戦してから結ばれた条約のせいで核は所持していない。其の上、内乱も海外との戦争もない。
此の平和な日本に「侵略」とは到底似つかわしくないものだ。
「誰と戦っているというの」
藍華の考えを見透かしたかのように仁美は口元に嘲笑を刻んだ。
「戦っている。そう、私達は三〇年前からずっと戦っている。ただし、相手は人間ではないわ」
「人間じゃない?」
今度は藍華が嘲笑を浮かべる番だった。
「じゃあ何だって言うの?化け物とでも戦っているとでも言いたいの?」
「そうよ」
あっさりと肯定された。何かの比喩かと藍華は思った。
科学が発達した世界で化け物なんてものが実在するわけがない。
「私達は彼らのことをサウロンと呼んでいるわ」
「・・・・サウロン?」
「サウロンには二種類いるわ。人型をとるラ・モールと人にとり憑くデュアーブルと私達は呼称を付け分けている」
冗談みたいな話だ。けれど仁美の目は真剣そのもの。其れに彼女は冗談を言うタイプではない。其れは娘である藍華が一番分かっていることだ。だからこそ分からない。彼女が何を話しているのか。
「サウロンに重火器の類は通じない。けれど実験を続けて分かったことがある。サウロンが個々に持つコア。此れを取ることでサウロンは死ぬ。そしてサウロンを傷つけることができるのもまた其のコアだけだということ。
其処で私達はコアを使った武器を作り始めた。けれど、思ったような成果は出なかった。ただの人間はコアに触れることすらできなった。
武器化に成功した状態ですらコアは使い手を取り込み殺してしまう。
次に私達が考えた手はコアを使える人間を作ること」
「・・・・人間を作る」
仁美の話が正しければ藍華が使用したラポームはコアを取り込んだ武器だ。そしてあの看護師は「実験は成功した」と言っていた。
「生まれてくる子供に、まだ受精卵の状態の時にサウロンの因子を遺伝子に植え付けた」
無慈悲な仁美の言葉が藍華の心に反響する。
今度こそ何を言われているのか分からなかった。否、分かりたくなかったのだ。
「あなたは其の第一号。ただの人間にコアを移植しても駄目だった。けれど、受精卵の状態で移植すれば生存確率は半分になった。そしてコアが馴染み使用できるのは一四歳から」
「娘の体で実験をしたの?」
「そうよ」
仁美に罪悪感なんてものは一つも宿ってはいなかった。
「愛睦は?私達は双子でしょ」
「コアを移植され生存できた半数の受精卵。其の中でもコアが完全に癒着し、あなたのように使用できるようになるのは其処から更に半数になるわ。成功確率は四分の一ということになるわね。
三〇年前まで日本人の髪と瞳は黒だった。けれど今の子供たちの髪や目は違う。あなたのように目は黒でも、髪は夜空色だったりする。愛睦は桜色の髪に赤い瞳をしているわね。私達の時代には考えられなかったことよ。
此れは遺伝子を弄った副作用みたいなものね」
確かに子供たちには様々な色の髪と目を持つ子がいる。けれど大半の親は黒髪黒目だ。
不思議に思わなかったわけではない。でも、一度も聞いたことはなかった。
聞くのが怖かった。
知ることは怖いことだ。一度知ってしまったらもう知らなかった頃には戻れないからだ。
「愛睦はコアの移植に成功しても後者。あなたとは違う」
「普通の人間」
「ええ。愛睦は愛すべき私の娘。そしてあなたは愛すべき道具よ」
仁美は恍惚な笑みを浮かべて言った。彼女は根っこの髄まで研究者なのだ。娘の体の心配よりも実験の成功を喜んでいる。娘に対する情など欠片も持っていない。
「実験は成功した。何故、そう判断したの?」
「此れを」
仁美は布で包まれたものを藍華に手渡した。促されるまま布を取ると中には透明なガラスの杖が入っていた。先端にはリンゴのオブジェ。リンゴの中には赤い液体が入っていた。
此のシルエットには見覚えがある。気を失う前に手渡されたピアスだ。
「あなたのコアはラポームのコアを移植しているの。だからあなたの声に反応して変化する。元に戻す時は念じればいいだけよ」
藍華は杖を手にし、『戻れ』と念じた。すると杖はピアスに戻り、藍華の耳に着いた。
「ラポームが変化したのは此れが初めて。後はあなたが此れを使いこなすだけよ。サウロンに勝利する為に」
「国を守って戦えと?」
「其の為に存在を許された戦士よ。私達はコアを使いサウロンを倒すあなた達をソルダと呼んでいるわ」
ソルダ・・・・・兵士か。
「心配ないわ。あなた一人で戦うわけじゃない」
そういう問題ではないのだ。
「他にもソルダ候補生は居るわ」
そういうことを聞きたいのではない。
「体にはどんなリスクがあるの?」
藍華は真っすぐと仁美の目を見つめた。指一本動かすことができない痛み。発動時、体外に出た血液。
此れらの反応を認識して、体には問題ないなんてのはあり得ない。そもそも人間の体の構造は其のサウロンというのは違う。
「普通に暮らせば問題ないわ。でも、ラポームなどの武器のことを私達は総称してエヴァンジルと呼ぶけれど、其のエヴァンジルを使うことにより体は酷使され、エヴァンジル自体が人の命を糧に武器化するから私達の予測では二〇歳までもてばいい方ね」
「でも事例はないわよね」
「ええ。此れはあなたの体の状態を見たうえでの観測よ」
突きつけられた現実に眩暈がした。
平和ではなかった日本
戦わなければならない現実
そして、告げられた余命宣告
幕は閉じなければならない。喜劇は終わったのだから。
「でも問題ないわ。実験を重ねて行けばまだ長持ちする可能性だってあるし」
・・・・長持ち。
「もし、愛睦にソルダの適性があれば戦わせていた?」
「ええ」
「あなたは以前から私にだけは冷たかった。いつも愛睦を優先していた。其れを見る度に悲しかった。私とアイツ、どう違うの?っていつも問いかけていた」
答えはいつも出なかった。
「あなたは愛睦のことだけは愛しているのだと思っていました。黒崎博士」
藍華の中に在った母という存在は完全に消去された。
目の前にいるのは母ではない。勝つ為に手段を択ばない冷酷なマッドサイエンティスト。
「明日から戦闘訓練に入るわよ」
「直ぐに実戦というわけではないんですね」
「今はフィデールと呼ばれている人達が結界を張っているわ。其れで何とか持ちこたえている状態。でも、そう長くは続かないわ。だからこそ急がなければならない」
そう言って仁美は出て行った。
一人になって、藍華はもう一度仁美の言ったことを考えてみた。けれど、何度考えても夢物語のようで理解できない。
どうして自分が。という疑問もある。
体はまだ指一本動かすことができない。此れで本当に明日訓練できるのか?と藍華は思ったがあまり深くは考えないようにした。
愛睦は母に頼まれものをしたから帰りが遅くなると言っていたが、動くことのできない体では変えることができず、仕方がなく病院にとまることになった。
「おはようございます」
朝、病衣から用意された服に着替えているところに昨日と同じ看護師がやって来た。
「私の名前は蔵木世都子。ソルダ達の担当看護よ」
「そう」
「恨んでいるでしょ。私達のことを」
上司である仁美とは違って彼女には人の心があるようだ。
罪悪感に満ちた表情。自分達が何をして、何をさせようとしているのかを分かっている顔だ。其れでも彼女は仁美を止めなかった。
其れは其れ以外に生きる方法がなかったからだ。此のままだと世界は滅びる。生存する為に本能で選び取ったのが今の道なのだろうことは藍華も理解している。
理解できるからこそ生まれる矛盾の気持ち。
「誰を恨めばいいのか。どう、恨めばいいのか私には分からない」
世都子は何かを言おうと口を開いたが何の音も発せられることなく閉じられた。
白いVネックのTシャツに黒いミニスカートにノースリーブの黒いコートを着て、黒いハーフブーツを履いて病室を出た。
昨日の今日で、体が動くのか心配していたが、一晩寝たら少し筋肉痛は残るものの動く分には問題なかった。
藍華は昔から疲労が溜まりにくい体質だったし、傷を負っても直ぐに治った。今思えば其れは体質ではなくコアの因子を移植された影響、副作用の一つだったのだろう。
兎も角藍華は床頭台に置かれていた紙に書かれている場所に向かうことにした。
其処は鉄板で固められた無機質な部屋だった。窓一つない部屋に一人の男が立っている。
カーキ―色のタンクトップを着た男の二の腕はテレビで観るアスリート選手よりも太い。纏う雰囲気から彼がただの人間ではないことが分かる。
「初めましてだな、藍華ちゃん。俺は蓮城伯明。軍人であり、君の教官だ」
「初めまして。黒崎藍華です。よろしくお願いします。」
昨日の今日で、思ったよりも冷静な藍華に伯明は戸惑った。
「昨日、仁美ちゃんから話は?」
「聞きました」
「そうか。其れにしては随分落ち着いている気がするけど」
「慌てても仕方がありませんから」
順応が早いと言えば聞こえはいいのかもしれないが、藍華はどちらかというと何もかも諦めている雰囲気があった。
「ああ、其の、仁美ちゃんのことだけど」
「慰めは要りません」
慰めの言葉をかけようとした伯明は藍華から発せられた拒絶の言葉に口を紡ぎ、誤魔化す様に苦笑いを見せる。
「気を遣う必要はありませんよ。其処まで仲の良い間柄ではないので」
「そうか」
「其れで、教官殿」と藍華は重くなってしまった空気を払拭する為におどけて呼びかけた。
「私は今日、何をしたらいいのですか?」
藍華が何事もなかったかのように振舞うことを選んだので伯明も合わせることにした。其れが正しい選択だったのか伯明には分からなかった。
きっと何年経っても答えは分からないだろう。初対面でもあり、他人でもある相手に何処まで踏み込むべきなのか、其れは人間が人と関わり合う上で永遠に考え続けなければならない謎なのだ。
「昨日、ラポームを発動しただろう」
「はい。けれど、発動した記憶はないんです。」
「聞いているよ。意識を失ったんだってな」
「はい」
「昨日は仕方がない。初めてだったし、何の説明も受けずにやったからな。正直、お前はファースト世代つって、ソルダ第一号だからな。発動の仕方については俺も指導はできない。俺が教えるのは戦い方や基礎訓練だからな」
「そうですか」
「まぁ、もう一回発動してみろ。説明を受けた後だと上手くいくかもしれんしな」
「はい」
またあの痛みが来るのかと思うと怖くてたまらない。けれど、戦う為にはどうしてもラポールを発動しなければならない。ならば、此処で逃げても仕方がないと思った藍華は腹を括った。