<スケルトン>
誰かが私の名前を呼んでいる。
自分以外誰もいない地下遺跡の通路。声は、出口とは反対の方向から風に乗って響いてくる。
誰かが私の名前を呼んでいる。
仲間の制止を振り切って、私は声のするほうへと走った。松明の光を頼りに、逃げてきたはずの道を逆戻りした。
誰かが私の名前を呼んでいる。
しばらくして広い場所に出た。大昔は神殿だったのであろう、厳かな雰囲気の空間は、細かな彫刻の施された石段が八方に積まれていて、高い天井からはわずかに外の光が射し込んでいた。その光を正面に受けて、中央のひときわ大きな石段の上から、私を見下ろす影があった。
影が私の名前を呼ぶ。
死んだばかりなのか。その肉体はまだどこも腐敗しておらず、さらには私の名まで口にする。それだけの情報からは、生きているようにしか思えない。しかし、血の気のない肌の色とこちらを見ていない双眸、そして胸の中央から漏れ出る日の光が、私に彼の絶命を確信させてくれた。
彼はもう死んでいる。
死体の顔には見覚えがあった。さっきまで、一緒に遺跡を探索していたときに見た顔。昨日、私のことを好きだと告げた顔。初めて組んだ連隊にいた顔。僧院の祭事があったとき、舞台の一番近くで私の演舞を見ていた顔。
杖を掲げた友人が私を見つめたまま再度口を開く。
――――
「おい!」
「はえっ?」
彼の顔が目の前にあった。腕には毛布の感触。硬い岩を布団代わりにしたせいか、背中と首回りがガチガチに凝っている。
……なんだ、夢か。
なんて悪夢を見てしまったんだろう。彼に昔のことを少し話したせいか。寝具が最悪だったせいか。ここのところしばらく見ていなかったのに。
潤んだ目を拭おうとして、彼にほっぺたを掴まれていることに気づいた。なんだろう、この状況は。彼は私にどうしてほしいというのか。
……ははん。
「もう、襲わないって言ったくせに」
「襲われてるんだよ! 敵だ敵! 早く起きろバカ!」
「あでっ!」
焦りを含んだ声と頭頂部に走った痛みに驚いて、毛布を放り投げる。
寝ぼけまなこで辺りを見回すと、焚き火の向こうに杖を構えた彼と、武器を携えた複数の人影が見えた。
人影。
しかし、それらを人影と呼んでいいものかどうか。どれも焚き火の光をほとんど透過して、頼りない肢体の虚像を空洞の壁に映している。縞模様に見える胸部、そこから上下に突き出た一本の脊柱、横に広がった腰に、どうやって支持されているのかわからない足、体と均衡の取れていない頭部。どこを取っても滑稽な、生物ならざる死の化身。
夜営地の周りを取り囲んでいたのは、武装した骸骨戦士の一団だった。
「これはこれは皆さん大勢で。男女二人の夜営地を覗き見とは良い趣味してますねー」
「言ってる場合か。持ってる武器も本体もあんまり損傷してないところを見るに、この空洞の奥で眠ってた骸骨隊かな。あれで起こしちゃってたみたい」
あれとは、昼間彼が大声で叫んだときの、あれか。
「つまり、あなたのせいですか」
「……この戦闘が終わったら君との今後について一度真剣に話し合わないといけないかもしれない」
「それ、演劇の登場人物が死ぬ前に言う台詞っぽいですよ」
縁起が悪いなぁと思いながら、胸元にしまっておいた鎖を取り出し、先端に分銅を取りつけて大きく振り回す。寝起きでまだ少し力が出ないけれど、この武器を使う上ではさほど問題ない。
骸骨たちの足の片方が地面から離れるタイミングを待つこと数拍、一体が歩き出すと、それを真似るように他の個体も次々動き出した。統率が取れているようには見えるがしかし、実際は全員が一つの核の複製であるせいで動きのパターンが一律なだけだ。どうやらスケルトンになってからの交戦経験は少ないらしい。
「しゃがんでください」
『円薙』。
彼がかがむと同時に、周囲を囲む敵集団を鎖で横薙ぎにする。
基本的にスケルトンは、というより人間の骨は、とても軽い。水分さえ抜けてしまえば、成人男性の全身骨格でも大きなウサギ一匹分くらいしかない。だから勢いさえつければ数人まとめて弾き飛ばせる。うまい具合に何体かは武器をその場で取り落とした。
骸骨たちを一ヶ所に集めたことで、挟み撃ちされる恐れはなくなる。まとまって地面に転がったそれらは、互いの体でできた知恵の輪に挑まなければならなくなったようだ。
時間稼ぎが完了したので、余裕をもって分銅を付け替える。
「『剃刀錘』」
『線断』。
最初に知恵の輪を解き終わった一体を、長い剃刀状の分銅で薙いで首を切断する。
あっさり動けなくなるかと思いきや、しかし敵は何事もなかったかのように分離したはずの箇所を維持して斬りかかってきた。
「ほい」
年月に傷められた白刃を避け、反撃せず態勢を立て直す。
軽量なスケルトンは攻撃方法もごく単純だ。武器を横に振ったら振り回されて転んでしまうから、人間が重たい斧やハンマーを振り下ろすのと同じように、振りかぶってからの斬り下ろししかしない。レヴァナントとスケルトンの最大の違いはここにある。
「でも少しは怯みなさいって……これだから死体は」
獣やゴロツキであれば、こちらが武器を振るうことで隙を作れるだろうし、怖じ気づいて逃げ出すこともあるだろう。けれど目の前の死体はその統御権が完全に魔力の支配下にあるせいで、子供だましな陽動や威嚇は全く意味がなく、しかも骨が多少壊れたくらいで動きを止めたりはしない。元々関節が繋がっていなくても動いているのだから、ある意味当たり前っちゃ当たり前。
このままだと数と勢いで押し切られちゃう……なんてことは、さすがにないだろうけど。
「だったら『重錘』で」
分銅鎖の先端を打撃用に付け替える。
魔力による完全な身体制御は、逆に言ってしまえば、反射行動のような俊敏な反応が苦手ということだ。動作速度さえ上回っていれば、複数いようと恐るるに足らない。
『点通』。
胴体ではなく、武器を持っている手を狙って分銅を投げた。鋼鉄があやまたず骨を粉砕し、剣が音を立てて地面に転がる。スケルトンはそれを砕けた手で拾おうとして、地面をザクザクとまさぐった。
繊細な指の動きが無ければ、武器を振るうことはおろか、持つことすらできない。武装解除されたスケルトンなんて牙を抜かれた狼にも劣る。反対側の手で拾うという思考がないあたり、やはりただの動く骨だ。
「楽勝楽勝」
攻撃と回避を繰り返して一体一体潰していると、ずっとしゃがんでいた彼が声をかけてきた。
「いいストレス発散になりそう?」
「おかげさまで。あなたはさっきから何してるんですか。か弱い女の子に必死に応戦させておいて……」
「こっちはこっちで準備中。もう少し待ってね。あと、か弱い女の子は分銅鎖振り回して魔物を盾ごとぶっ飛ばしたりしない」
「なるほど」
後で彼にも一撃食らってもらおう。たとえそれで死にかけても、すぐ回復させてあげれば問題ない。
武装した骸骨は残り半分ほどまで減った。
しかし面倒だ。奇襲全滅という最悪の事態は避けられたし、敵の武装を排除したのもいいけれど、これだけの数の蠢く死体を片付けるのは……。
「一人じゃ骨が折れますよ、スケルトンじゃないですけど」
「つまんない冗談言う程度には余裕じゃんか。準備終わったよ。時間稼ぎありがとう。『ストラベラ・イグニス』」
彼の呪文に応えるように背後の炎が動き出し、スケルトンたちの手前に炎上網が立ちのぼった。
「炎に怯む相手じゃないですよ?」
「確かに火自体はなんともないだろうけど、かわりに彼らは自分たちが危険な状態にあることも判断できない。そこの盾かぶって伏せて」
彼が手に持っていた何かを放ると、爆発音とともに骸骨たちがバラバラに吹き飛んだ。
「ビックリさせないでください! 魔法使いのくせに爆薬使うなんて……」
「使えるものは全部駆使しないと生き残れないでしょ」
私の苦情には答えない形で、彼がこともなげに言う。
「普通に爆薬に火をつけて投げるんじゃダメだったんですか?」
「即席の粉塵爆弾だから、そんなことできないよ」
「粉塵爆弾?」
「卵の殻に焼き菓子の粉末詰めたやつ。可燃性の粉が空気中に散布されたときに、火の気があると爆発するって知らない? 簡単に作れるけど大変危険なので絶対真似しないでください、的な武器」
「あなた、幼少期にちょっと頭のおかしい危険な子供として名を馳せたりしてませんでしたか?」
「……とりあえず今のであらかた片付いたかな」
骸骨たちは焦げてバラバラになった身体で、尚も立ち上がろうとしていた。しかし、知恵の輪の次は砕けた骨のパズルを解くのに時間がかかっているようだ。
「こいつら、武器だけ動かせばいいのにって思いません?」
疑問を口にしながら足下に転がってきた頭蓋を砕く。と、中から青く揺らめく炎のような何かが飛び出した。
これこそがこの骨を動かしていた魔力源の正体。メノンという魔力の塊だ。
「魔物はそこまで機能的にできてない。メノンが宿主の基本動作や可動域に馴染むのに時間がかかるから。飛行や浮遊は宿主にそういう能力がなきゃできないし、武器に取り憑いても地を這うくらいしかできないよ」
彼の説明になるほどと頷く。
死体はあくまで魔物の核であるメノンが、物理的な干渉能力を得るために獲得した外骨格に過ぎない。本体であるメノンの行動原理は、何らかの方法で外骨格を見つけ出し、自身を模造すること。あらゆる魔物はメノンが憑依した生物か生物の死体、もしくは適当な無生物だ。
そうしてこいつらは周囲への寄生と自己複製を繰り返し、ひたすら増殖していく。
「『エフューズ』」
メノンに手をかざして、魔力を吸収する。蓄積した魔力を完全に失ったメノンは虚空へと消えていく。これでこの亡骸は二度と動かなくなった。ここまで破壊されたら、もう一度メノンが取り憑くのは不可能だろう。
「あ、僕の分も残しといて!」
「しませんよ独り占めなんて。はい」
「だからって頭蓋骨ごと放り投げてよこすのやめてくれ。超噛みついてくるからこいつら。なにげに怖い攻撃方法だから」
ウダウダ言う彼に構わず淡々と骸骨たちの頭を砕き、葬っていく。戦っている最中はストレス発散になっていたものの、睡眠を妨げられてすこぶる不機嫌になっていたことをようやく自覚した。
あるいは睡眠妨害ではなく、起きる前に見ていた夢の内容がよくなかったか。
あの出来事も早く忘れてしまいたいけれど、この世に死体がある限り、願いは叶いそうにない。