<兄弟子>
――君は魔法の才能が全くないから、魔法使いになりなさい。
その人はそんな頓珍漢な文句で、回復術の密用に失敗して途方にくれていた僕を、魔法使いの世界に引き入れた。改めて考えてみれば、どうしてそこで魔法使いになろうと思ったか自分でもわからない。誘うほうも誘うほうだけれど、現にノコノコとついていく僕も僕である。だけどそのときはどういうわけか、その人の謎の期待に溢れた目の色を見て、ついて行こうと思ってしまったのだ。あのときひょっとしたら僕は、師匠に魔法をかけられていたのかもしれない。
案の定というか師匠の見立て通りというか、僕には特殊な魔力耐性や得意な魔法といった才能が一切なく、ただ師匠に言われるがままに魔法を学び、教えられるがままに知識を蓄え、されるがままに身体をいじられることになった。僕より一年先に師匠の弟子になっていた義兄さんは、早々に技術を身につけて師匠の下を離れていってしまった。僕もその頃には少しずつ魔法の面白さがわかってきていたけれど、入門して数年経った今でも師匠の下で勉強を続けているあたり、やはり生まれつきの向き不向きというものはあるのだろう。もはや弟子というより、師匠の魔法の研究材料と言ったほうが正しいかもしれない。
今回の旅は、なかなか自分から離れようとしない僕に、いよいよ業を煮やした師匠が提案してきたものだった。
自身の足を使って広い世界を見てきなさい、と。
夜の村は昼間以上に静かだ。こういった小さな自治体では、魔物を寄せつけないために夜は極力物音を立てないのが定石だけれど、それにしても不気味なくらいの静寂があたりを包んでいる。おそらくこの地域特有の不毛な生態環境とレンガ作りの壁が、外と言わず内と言わず、生命の気配を殺してしまうのだろう。
「みんな寝静まったみたいだし、そろそろ行くよ。起きて」
声を潜め、ベッドで仮眠を取っている彼女を揺り起こす。
んぁ、と間抜けな声を上げて彼女が目を開けた。仮眠どころか爆睡していたらしい。無防備過ぎる。舐められてるんだろうか、僕は。
「もう朝?」
「夜だよ。お約束的に寝ぼけてないで出かけるぞ」
「出かける……? お仲間は隣の部屋にいるんじゃなかったんですか?」
「誰かに聞かれるとまずいらしいから、場所を変えるってさ。ついてきて」
「はーい……あれ、私の荷物」
「魔法で消した」
住人がほとんどいないと言っても、盗まれないよう念のため。一度消し忘れて全部持ってかれたことがある身として、慎重になっておく。
「『インファム・ペルクーレス』」
宿を出てしばらく歩いたあと、杖に淡い光を灯す。
「それ、どうやって光らせてるんですか?」
「昼間のうちに光を溜めておいた。時間が経つと消えちゃうから、早く行くよ」
「また微妙に不便な……松明でいいじゃないですか」
ぶつくさ言う彼女は無視して、村を塀沿いに早足で歩く。過疎化が進んでいるだけあって、集落内の人家はその多くが誰も住んでいない空き家だ。その中でも一番ひと気のない区画にある窓のない一軒家が目的の場所だった。
建物に近づくと、中からパチン、パチンという妙な音が一定の間隔を保って聞こえてきた。無人のはずの住居に誰かがいる。おそらく義兄さんだろう。
遠隔報知が使えればいいのだけれど、あいにく今は彼女が横にいる。うかつに連盟の生命線とも言える重要魔法は使えない。
空き家の部屋の扉を二回叩き、間を置いてもう一度叩く。これはあらかじめ決めておいた合い言葉のようなものだ。年季の入った蝶番を軋ませて中に入ると、松明が灯された部屋の片隅で、ガッチリした体つきの男が椅子に座って爪を切っていた。音の出どころはこの人だったらしい。
「あんまり昼間騒いでると宿屋のハゲ亭主に怒られるぞ。おれはもう十回以上怒られた」
男が自分の足先に視線を落としたまま、溜め息混じりに言った。宿の薄い壁越しに、昼間の会話を聞かれていたらしい。
「お久しぶりです、義兄さん。三年ぶり、かな」
「もうそんなになるか。早いな」
「奥さんは元気にしてる?」
「ああ。特に可もなく不可もなし、だ」
未だ顔を上げない義兄さんの態度は、昔と変わらず素っ気ない。僕に対してだけでなく、誰に対してもそうだった。基本的に奥さん以外の人間には興味を持たない人なのだ。
「師匠が寂しがってたよ。全然連絡くれないって」
「よしてくれ。あいつとはもう師弟関係じゃない。寂しいならお前が慰めてやればいいだろ」
「僕は僕で、義兄さんは義兄さんでしょ」
師匠のことを口にしてようやく義兄さんは顔をこっちに向けた。
「……アリですね」
僕と義兄さんと見比べて、彼女がぼそりともらした呟きの意味を問うのはやめておく。
義兄さんは義兄さんで、僕のほうはちらと見ただけ。すぐに視線を逸らすと彼女のほうをジロジロと吟味するように見て鼻を鳴らした。
「僧侶と旅してるって話はホントだったんだな。しかも女か。少し見ないうちに大人になったな義弟」
「彼女とはついこないだ知り合ったばっかり」
「そんなやつ本当に信用できんのか? 仮にも教会側の人間だろ?」
僕の言葉で、より一層胡散臭げに義兄さんは彼女を見つめた。
「信用はできないけど、頼りにはなる、かな」
「そういうやつは裏切ると一番厄介なんだが。危機感の無さだけは変わってねーな」
それはそうかもしれない。
「とりあえず、自己紹介してもらおっか」
呟き以来ずっと黙って考え込んでいた彼女を前に出す。挨拶くらい自分からしてほしい。
「はじめまして。義弟さんにくっついて旅をさせていただいております、プロマテリア教会実在派特命宣教師の……名前はお好きにお呼びください。宣教師は名乗りを禁じられているんです」
「ふーん、お前が名乗らないならこっちも名乗る理由はねーな。おれのことは親しみを込めておにいちゃんとでも呼んでくれ」
「呼びません」
「おいなんだよ。猫被りって聞いてたのに話が違うじゃねーか」
義兄さんが口を尖らせて言った。
いや、僕を睨まれても困る。
「既に素性を知られている人間の前で善良な僧侶として振る舞っても仕方ありませんから」
彼女の回答も素っ気ないものだった。ひょっとしたらこの二人、ものすごく相性が悪いのかもしれない。
「ああ、それもそいつから聞いてたわ。可愛い顔して、本性は人を人とも思わないエセ僧侶だって」
「そんな、可愛いだなんて……」
都合のいい箇所だけ抜き出して照れるな。
「まぁでもおれの嫁のほうが可愛いな」
身内だろうと初対面の相手だろうと遠慮のない物言いの義兄さん。彼女が目を細めて僕を睨む。
いや、だからなんで僕が悪者にされなければならないのか。
「そんな話はいいから、本題に移ってよ」
「ああ、そろそろ仕事内容について……いや、その前にエセ僧侶にはやってもらうことがあった」
どうやら彼女の呼称はエセ僧侶に決定したらしい。
自分が呼ばれたことに気付かず、当のエセ僧侶はキョロキョロしている。
「お前のことだよ」
一瞬。
指差すかに見えた義兄さんの貫手が彼女の眉間に伸びる。
不意打ち。
そう気づいても、僕にはどうすることもできない。
けれど僕が動くより先に、彼女はまるで攻撃を予測していたかのように首を捻ってそれを交わすと、逆に義兄さんの腕を絡め取って外側に捻りあげた。
「これはいきなり何の真似でしょう?」
「おいおい今の避けんのかよ。完全に油断してたろうが」
顔色こそ変えなかったけれど、義兄さんも予想外の反応だったらしく追撃はしない。
「ああ、今のは不意打ちのつもりだったんですか。私としては単に粗野な男の手が当たらないよう避けただけだったのですが、タイミングがよかったみたいですね」
「タイミングの問題かねぇ」
「それから、完全に不意打ちとはこういうことを言うんです」
彼女の言葉が終わらないうちに顎に衝撃が走った。
天井と床が交互に現れては消え、現れては消え、そのうち視界が真っ暗になる。
混乱する頭でなにが起きたか推し測ったが、わからない。
なぜ僕は床に倒れ伏しているのか。
「たまたま練習用で良かったですね。剃刀錘だったら頭真っ二つでしたよ、あなた」
彼女の呑気な言葉で、ようやく分銅鎖で殴られたのだと理解した。
しかし回復する間もなく、後頭部にさらなる衝撃。今度は彼女に踏みつけられたらしい。
いやだからなんで僕なんだよ。不意打ちっていうかこれただの八つ当たりだろ。
「あーあ、完全に誤算だわ。言ったろお前、危機感持てって」
僕になんの断りもなく――いや断られても困るけど――彼女を奇襲した義兄さんに言われても腹しか立たない。
まぁ確かに危機感がないと言われればそうなのかもしれない。昔から周りに気を使わず一人で突っ走る男と彼女を会わせて、こうなることを予測していなかった僕の落ち度なんだろう。
「で、説明は?」
冷ややかな彼女の声とともに後頭部にかかる圧力が増した。そろそろ頭蓋骨がミシミシ鳴り始める頃合いだろう。
「悪かった。謝るから離してくれエセ僧侶」
絶望的に謝る態度というのをわかっていない義兄さんの声。エセ僧侶、のところでさらに頭を踏む力が強まった。堅木でできた床板が徐々に曲がってきているのがわかる。
「ソリョヒャマイタイレス……カヒャネガヒャネノブレイオユルヒクラヒャイ……オユルヒ……」
顎が砕けたのか上手く言葉が紡げない。口からこぼれるのは情けない音ばかり。ヤバい死ぬ。冗談抜きで殺される。
「あなたは立場をわかってるようですね。でも謝って済むなら教会は要らないんですよ」
「魔法使いだから元々教会なんて必要としてねーよ」
義兄さんは少し黙っててくれないだろうか。神の許しは必要なくても、彼女の許しは必要不可欠な状況なんだよ可及的速やかに。
「説明する気がないならこの腕はへし折って、足下の頭は踏み潰します」
やめてほしい。義兄さんの腕はともかく、僕のほうは脳みそを潰されたらさすがに回復術でも治せない。
「ニイサン、セツメイ……セツメイ……」
「いちおうエセ僧侶は教会側の人間だからな、『緘口契約』しようと思ってたんだ」
緘口契約というのは、簡単に言ってしまえば密告を禁止するための魔法のことだ。この契約を結んだ者同士は、互いの間で交わされた話を外部に漏らすことができなくなる。
「私があなたたちのことを教会に告げ口するとでも?」
「する可能性はある。だからちょっと眠ってもらってその隙にと思ったが、失敗した」
「心配には及びませんよ。あなたたちのような雑魚、私はもちろん教会だって歯牙にもかけないでしょうからね」
そう言って彼女は鼻で笑った。ぐうの音も出ないとはこのことだ。
「かっけー。この状況でそう言われたら返す言葉がねーな。ナメた真似して悪かった」
「謝るだけですか?」
「何が望みだ? 信者にでもなれってか?」
「あなたみたいなゲスには神の御心など一生かかっても理解できないでしょう。出すものを出せと言ってるんです」
「……おれにはお前が神の御心とやらを理解してるように見えないが、なっ」
本日三度目となる衝撃が頭の右から左へ抜ける。僕の頭はノビた身体を引き連れて、彼女の足下を免れた勢いでもってレンガ作りの壁に突っ込んだ。
もうどこが痛いのか自分でもわからない。今日の僕はここまで酷い目に遭うほどなにか悪いことをしたんだろうか。
あれか、彼女の裸見たせいか。
無駄話が過ぎた、と頭をポリポリ掻きながら、どうやったのか彼女の腕から逃れた兄さんが満身創痍の僕に見向きもせず椅子に座り直した。
「そういうことなら契約はいい。本題に入る」
本題の前からこんなダメージ食らってていいんだろうか、と、赤く染まった世界の中でぼんやり僕は思った。
「問題の地点はそこの川に沿って上流へ登っていった先、山を越えたところにある」
「周辺情報はいいので、標的が何かをまず教えてください。もろもろの話はその後でしょう」
「せっかちだな」
「早く帰って寝たいんです。さっきので興が冷めましたし、今日のところはどんな魔物が相手かだけ聞いて帰りますよ」
どうやら不意打ちのせいで彼女はご機嫌斜めになってしまったらしい。連れてきた僕としては申し訳ないが、一通り痛い目は見たので許してほしい。許してください。
彼女に話を促された義兄さんは少し考えたあと、一拍おいて言った。
「標的の名前を聞いても逃げ出さないか?」
「逃げ出す? あなた程度が倒せると思っている相手に、私が背を向けるわけないでしょう」
「『魔人形』」
「はい?」
「だからゴーレム。標的はゴーレムだ」
「私辞退します」
魔物の名前が出た途端、彼女が速攻で踵を返した。
「おいおい、背を向けないんじゃなかったのか?」
「背を向けるとか腹を向けるとかってレベルの話じゃないでしょう。たった三人でゴーレム退治? 馬鹿も休み休み言ってください。それとも魔法使いって、魔法のこと以外に頭使えないんですか?」
いつも以上に毒を吐く彼女だったが、今回ばかりは僕もその意見に全面同意だった。ゴーレムという魔物は、人間が数人で倒しに行くような相手ではないのだ。
一体一体はそこまで恐くない。全身が土でできた彼らは、せいぜい人間より少し力が強くて頑丈なだけ。足は遅いし、基本的に魔法は使えない。
その脅威は、生物の比ではない増殖能力の高さと、社会的知性の発達速度にある。
「でも集団規模はそこまで大きくないんでしょ?」
とりあえず顎は修復できたので、僕から義兄さんに質問。
「採集社会から耕種社会に移行してしばらく経ったってくらいか。今はまだ資源の平等分配が行われているが、そろそろ集中管理と再分配が始まってもおかしくねーな」
あっけらかんと言う義兄さんだったが、それはもう少し焦ったほうがいい事態だろう。
ゴーレムという魔物は、寄生することで増殖する他の魔物と繁殖方法が異なる。核となるメノンだけでなく、外骨格の身体さえも土から自分で作り出すため、生物のいない環境でも殖えることができる。そうやって、魔力に余裕がある限り、際限なく自己増殖を繰り返し集団を成長させていくのだ。成長の過程で様々な知識を獲得し、文化を発展させていく彼らは、ときに中央集権国家に近い大規模社会を築き上げることもあるし、人類の活動域に進出してくることもある。そのたび人は、それを上回る武力と兵力をもってゴーレムたちを殲滅してきた。
魔法使いの間では、ゴーレムは魔王による人間の再発明だとさえ言われている。
「その規模でしたら、教会の討伐師団を召喚して解決してもらったほうが手っ取り早いでしょう」
「それがそうもいかない。普通ゴーレムってのは人形を設計する魔法使い無しには発生しない生き物だ。今回の件には間違いなく魔王の息がかかってる」
「だからなんですか」
「魔王の痕跡を辿るヒントになる。うちの最終目標は打倒魔王だからな」
連盟のメンバーすらあまり口にしたがらない大それた目標を、しかし義兄さんは事も無げに言った。
彼女は呆れ顔を通り越してウンザリ顔だ。
「……なんにしても二十万クロナでは命まで懸けられません。ゴーレム退治はお二人でなさってください」
そう言うと、僕の杖を勝手に借りて部屋を出ていった。
「二十万くれたら、骨くらいは拾ってあげましょう」
おまけに捨て台詞まで吐いて。
取り残された僕は一人途方に暮れる。
ここに来るまで詳しい情報を教えてくれなかったのはそういうことか。確かに、一定成長したゴーレム社会の無力化なんて大仕事、面と向かって頼んで引き受けてくれる人間はいないだろう。
「とにかく、おれ一人の手に負える相手じゃなさそうだから、お前に来てもらったわけだよ」
「なんで僕なんだよ……。そんな相手ならせめて師匠を呼ぶとか」
「絶対やだ。おれあいつ苦手」
「苦手とか言ってる場合じゃ……。奥さんは?」
「彼女をこんな危険な任務に連れて来れるか」
「他のメンバーは?」
「おれ一人で倒せってよ。あいつらぜってーこの機におれを潰す気だぞ。それで未亡人になった妻に手ぇ出す気だ」
「日頃の行いが悪すぎるんだよ、義兄さんは。連絡もめったに送ってこないし」
「嫌だよあんなもんめんどくせー。おれは別にお前らの助けなんていらねーし」
「…………」
改めて思うけど、この人むちゃくちゃだ。師匠はこんな男のどこが好きなんだろうか。
「なんか僕も疲れたから帰るよ。義兄さんと久しぶりに話そうと思ってたけど、そんな気分でもなくなった」
身体はまだ痛むし、宿に戻って彼女に回復術をかけてもらおう。まともにやってくれるかわからないけど、一縷の望みにかけて。
「おれは今夜ここで寝るから、宿の部屋使っていい。明日の朝に出発するから、それまでに準備しとけよ」
「わかった」
おざなりに返事をし、扉を開けようとしたところで、それから、と義兄さんが続けた。
「あのエセ僧侶、絶対ただの僧侶なんかじゃねーぞ」
「それは同語反復じゃないかな、義兄さん」
ただの僧侶じゃないということなら、それはわかっている。というより、さっきの不意打ちで確信が持てた。宣教師風情が魔法で強化した義兄さんの貫手をかわせるはずがない。ただの女僧侶が筋骨隆々の男の腕を絡め取れるはずがない。
エセ僧侶。
「お前、相変わらず女の趣味悪いっつうか、変な女に引っかかりやすいな」
男女関係なく、昔から僕の周りは変な人間ばっかりだよ。
そう心の中で呟いて、僕は暗闇に向かって走り出した。




