第九話 クリスタ
シャンデリアやじゅうたんもない。暗い内部。
講堂の中は色もなく、重苦しい雰囲気を醸し出している。
そこに装飾の施されていない硬い椅子。
「この空気、胃が痛くなりそうだ。失礼、お嬢さま」
カイルが私の隣にすわる。頷く私に続ける。
「あの男、誰ですか?旦那さんに丁重に扱えと言われているけど、こんな離れていたらな・・・」
視線の先にいる第一公子。ご機嫌な太ったおじさんと談笑している。
ほんとに笑えること話し合っているかは疑問。
「この国の第一公子よ。帰ってきたのよ。昨日、晩さん会にいたの」
カイルは眉間にしわを寄せる。
「知らないぞ。第一公子なんて、聞いたことない」
「わたくしも知らなかった。でも公爵が認めているんだから、そうなんじゃないの。考えてみれば、公爵の子供って、知られているの第二公女と第三公子だけなのよね。第一がいない事、疑問にも思わなかったけど」
「次の公爵かな?」
「公爵?」
「だってそうだろ、あの男見栄えがいいじゃないか。ザール公はきれいなのが好きなんだろ?第二公女は問題起こしてばかりだし、第三公子はガキだし」
「ガッ・・・口を慎みなさい」
「ふーん。丁重ってそういうことか。」
カイルは私をじろじろ眺める。
「いいのかよ。お嬢サマ。ニルのことはいいのか?」
「良いも何も・・・」
ニル。心の中にドンとある重たいもの。現実と考えられないから・・・直接ニルと会うまでは保留にしている。
もう一つ、公爵の跡継ぎが誰になるかなんて、私の一存ではどうにもならない。第三公子はかわいいから大好きだけど。かわいさだって大人になったら、ザール公のそっくりの子供だもの、毛むくじゃらになって消えるだろう。
ただ、お父様は大臣だから、次の公爵について関心あるはずだわ。
お父様はシャルをいやがっていた。注意しろって。でもその後、私にシャルと仲良くすることを薦めていたのは、もしかして、探れということなの。そう、彼に野心があるかどうかを調べろって、さりげなく言っていたのだわ。
え、私、期待されているの。産まれて初めてお父様の仕事に加担させてもらっているのかも。
「でも、何をさぐればいいのかしら。カイル、第一公子の秘密って何だと思う?」
私の言葉に丸くなったカイルの目が、意味を理解して光をともす。
「ほぉ、なるほど、恐喝して入り込もうとする魂胆か?」
「恐喝??」
その時、受賞者の入場が始まった。
町で歩いていたらどういう関係か問われるような、個性豊かな十人ほどの受賞者だ。
でも女性はカナ1人だ。歓声が上がる。
女の人って、こういうところでは珍しいのかな。
でも、賞をもらっているから、ダメってことはないよね。
佳作の作品から発表が始まる。
初めの一分できついと察した。
分からない単語、理解できない数字がポンポン出てくる。気を失いたくなる魔法の呪文みたい。
私がこうなのだからカイルは、と横をそっと見たら、鋭いまなざしで前方を見ている。
眼差しの先は第一公子だ。
カイルの口元が「弱み、弱み」とつぶやいている。
なるほど、別のことを考えたら眠たくならないのね。
私も第一公子に視線を向けた。
そもそもあのダンスの時、いきなり「君、余っている礼服があれば貸してくれない」ときた。
「君ぐらいの体格の女性が必要としている」
怪しかった。
「実は婚約者がこちらにきていて、明日、必要なのです。荷物を盗られたみたいで・・・頼る人もいなくて困っていて」
「まぁ、わたくしが今日、出会った方も、荷物が無くなったって言っていたわ。大学の寮の前で知り合ったのだけど、頼りにしていた方がいなかったんですって、あなた学生さんでしょ。ご存知かしら。確か、シャルって言っていたわ」
「・・・彼女、カナーディアという名前でしたか?」
これには驚いた。
「怒ってましたか?言い訳ではないのですが・・・その、いきなりザール公にここまで連れてこられて・・・カナは困っていたでしょう。僕の事、何か言っていましたか?」
・・・本当に困っている感じだったから、今日の出来事を正確に伝えた。
第一公子は笑いながら、途中からため息を深くついて、最後には苦渋の表情をみせていた。
「誤解だよ。でも怒るよね。やっぱり」
「ふふ。わたくしなら許さないわ。でも、カナは気にしていない感じだったわ。あなたの言うことが本当なら、明日、わたくしの礼服を一緒に持っていきましょう。会って直接説明したら、そうすれば大丈夫よ」
でも、今日、ここに着いた瞬間に、あっという間に校長に連れていかれた。
まあ、最前列だもの。カナも気づくはず。
カナは緊張した顔で、発表者の論文に耳を傾けている。
黒い髪を一つに結い凛とした気迫のある姿は、他の受賞者を圧倒している。
第一公子はその姿を眩しそうに眺めている。
好きな人への視線はあんな感じなのだろう。
ニルは私をどう見ていたのだろう。ううん、あんな風にみてくれていなかった。
私からニルへの視線はどうだったのだろう。
物心ついた時からの婚約者。
私の事を何でも聞いてくれる優しい人。
危険なことから守ってくれる人。
どんなことがあっても笑顔の人。
少しめんどくさがりや。
そして、私との縁を切ろうとしている人。
手の甲に何かが落ちた。
触れると暖かい液体。これは涙?
泣いているの。私、なぜ。
あふれ出る涙は止まらなくなった。
慌ててハンカチを取り出し、汗を拭くかのように、咳込んでいるのを抑えるかのように、顔全体を覆う。
カナの発表が始まる。
理解不能な言葉の羅列。
緊張していた表情は柔らかくなり、会場全体に語り掛けるように自分の論文を口にする。
第一公子は緊張した感じで、前のめりになり、カナの口調に合わせて頷いてる。
好きならばそれでいいと思っていた。
私は今までの状況にずっと満足していた。
でも、そうじゃない。
今まであまりにも安穏と生きていたから。何もできない。何もわからない。
私には足りないものが、たくさんあるんだ。